『今日の一言』
因幡うたぎ



 秋雨前線と体調不良との関連性は不確かなれど・・・

いつだったか、早朝のTBSラジオで、気象予報士の森田さんが、「前線の人体に対する影響力」なる話をしていた。
潮の満ち干き…所謂「月の重力」が、人体に及ぼす影響というのは、ポピュラーだが、梅雨前線や、秋雨前線などの天気予報でお馴染みの前線君も、どうやら人体に影響力をもっているらしい。
そういえば、雨が降る前に古傷が痛むとか、関節が…とかリュウマチが…とかいう話を聞いた事があるが、それと同じだろうか?
自律神経系やらにも来て、躁と鬱なんかにも影響するらしい。
長雨は、確かに憂鬱になったり、精神に訴えかけてくる場合が多々あるが、それは所謂「気圧の変化」からくるものなのだと、なんだか今更ながらに「ほえ〜」とかおもったりしちゃったりして。
しかし、所詮森田氏の言う事である。
確かに、実体験的に「ああ、なるほど」と思えるが、統計学的に見て、果たして全ての人間にそれが当てはまるか…というと、月の重力うんぬんよりも、影響の度合いがアバウトすぎて、はっきりしないような気がする。
だがしかし、まぁ、我輩は思いきりそれに当てはまる体質のようだ。
いつでも昼までも酷く眠くて、それなのに夜眠りが浅く、夜中に何度も目が覚める。−−更には、身体の節々が痛み、鼻水が出て来て、喉が非常に痛いのである。−−−つまり、風邪?
恐るべし、秋雨前線!!←本当か!?

■今日は何の日?■

全日本学生自治会総連合(全学連)を結成(1948年)
蔵前国技館が落成、相撲博物館開館(1954年)
海老原博幸、ボクシング世界フライ級チャンピオンに(1963年)

=記念日=

●かいわれ大根の日
日本かいわれ協会が、無農薬野菜であるかいわれ大根にもっと親しんでもらおうと制定した。9月18日を選んだのは、9月の会合で決まったことと、「1」の上に「8」の字を横にしておくと双葉のかいわれ大根の姿になるためという。……なんじゃそりゃ!?てなもんだが、まぁいいか。

で、大根である。↑の貝割れが成長すると大根になるが、大根おろしには、しっぽの方より、葉に近い首の方がいいというのが通説だ。
これは調べてみると、大根のしっぽの方には、空気に触れると苦みの成分となる『窒素化合物』が多く含まれているかららしい。……細い部分により多くの窒素化合物が集まっているので、大根はなるべく太いものを選んだ方がよく、しっぽの方や細い大根は煮物に使うのがベスト。
また、なるべく空気に触れさせないように、大根は食べる直前におろすのがよいと言う事だ。……さりげなく、奥が深いぞ!大根!!
−−−ちなみに、へたな役者のことを『大根役者』というのを聞いた事があるだろう。それは、何故かをご存知だろうか?……昔の人は何て素朴ないいまわしを好んだのだろう。っていうか、所謂連想ゲームなのだが(苦笑)−−−答え。『大根はどうやって食べても中毒しない(あたらない)から』……オヤジギャグよりは、センスはいいね!(グッ!)

2002年09月18日(水)



 そして、ゾンビ映画の余韻より・・・地酒によるセカンドインパクトにお悩みの午後

アセドアルデヒドによる、「二日酔い」ではないが、とりあえず昨夜のみ過ぎたことは認めるにヤブサカデハナク(←何故カタカナ/笑)……朝、目覚めると、喉がからからに干からびていた。−−−うふふ、こりゃ加水分解による脱水症状になる前に、水飲まなきゃvとヨロヨロ起きだし、お茶を胃袋に飲み下して、更にヨロヨロと布団へ戻ると……ああ何たること、とってもご気分がわるいんですのよ〜ワタクシ……な状態になったので、二度寝する(バカ)
午前中も終わりかける頃に、再び水分欲しさに布団からはいだし、「このままではいかん」と一念発起して、食事と採る。……ああ、いつもよりはマシだな。あんだけ日本酒飲んだのに。体調良かったんだなぁ、ワシ…とか、あまり救いにならないことを考えつつ、今現在塩分も欲しい筈だ…とがんばって塩気の聞いたものをモヒュモヒュ咀嚼したが、まぁ、いつものようにたらふく食べるには至らず、なんとか「腹が減った」と訴えていた、胃袋を宥める事に成功し、昨日とって置いたはずの「世界ふしぎ発見」を見ようと、何気なく流した視線の先で、タイマーが解除されたままの状態になっているビデオデッキを発見してしまい、内心かなり、「俺サマのバカ……」と落胆する。−−−気を取り直して、もう一台のデッキで録画しておいた、「グリーンマイル」を見る。−−−昨日見た、「バイオハザード」とは違い、これは怖くはない。筈。……だが、見てみると、これはこれで、かなり怖い内容だった。ホラーの怖さではない。人間という生き物の残酷さ残虐さを感じる作品だ。昔のアメリカの死刑囚だけを収監する刑務所の一角、その床は深緑色をしていて、いつからかそこは「グリーンマイル」と呼ばれるようになった。死刑囚が最期にあるく道という意味もあるその「グリーンマイル」に新しい死刑囚がやってきた。その男は少女二人を殺した殺人犯と言うことだったが、とても純粋な魂の持ち主で、奇蹟の力の持ち主だった。彼が触れた看守は病を直され、その奇蹟を目の当たりにし、更には、潰されたネズミを生き返らせると言う奇蹟まで起した。−−彼は、もう一つ奇蹟を起す。−−そして、彼は無実だった。だが、それを証明することは、出来ず、看守達は、涙を零しながら、彼を電気椅子にかけ、処刑する事になってしまうのだ……彼は、世界中で起こっている不幸な出来事を感じ、哀しみ、そして絶望していた。そして、とても疲れていた。だから、「終わりにしたい」と言って、逃亡を示唆する看守達の優しさに被りを振りつづけた。−−−悲しい話だ。そして、電気椅子というもので人を殺す、人間の怖さ…それを見つめる人の目。その電気を流す恐ろしい最期の瞬間を何度も描いた監督の意図が、胸に迫る。−−人の秘めた残虐性と、隣り合わせにある優しさ。あたたかな心。それらを引き立たせる囚人達の死の瞬間。……この映画を見ながら、恐ろしさと温かさで、胸が苦しくなった。−−こういう感動もあるのだな。色々言葉にならない感情を喚起させられて、それはそれとして、言葉にする必要はないのだろう。何かメッセージを受け取った、感じた、それは、つまり、この映画のすごさなのだろうから。
とりあえず、なんだか日記書いているうちに、また気分が悪くなって着たりして、そして、書く予定だったSSが全く書けなかったりして、うふふ、今日の予定は既に駄目ね。明日は仕事だし、誕生日当日にUP出来れば、拍手喝采vということで、許してもらいたいぁ…なんて、某女王に念を飛ばしてみようかな。

■今日は何の日?■

アイオン台風が関東、東北地方に上陸。死者行方不明2368人(1948年)
国鉄、中央線にシルバーシートを設置(1973年)

=記念日=
●敬老の日
1966年に「国民の祝日に関する法律」が改正され「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」祝日として敬老の日が制定された。この日は、723年、聖徳太子が四天王寺に、貧しい人や病人、孤児などを救済する悲田院(ひでんいん)を設立した日とされており、それにちなんだもの。


……これは、全く↑の内容とは関係ないのだが、9月10日ころから10月10日ころまでの約1カ月は、「秋霖(しゅうりん)」というらしい。梅雨の長雨と、秋の長雨、どっちもどっちと言う話である。夏の間押し上げられていた梅雨前線が、高気圧の低下とともに、再び日本列島へと下りてくる、すると秋雨前線となって我々を悩ませるのである。−−これに台風が近付くと、集中豪雨になるから、要注意なのだそうだ。いやだなぁ、雨は。どちらかというと、天高く馬肥ゆる秋的、秋晴れを望みたいんだが、ああ、最近天気不安定だよなぁ。めう。晴れろ晴れろ〜

2002年09月15日(日)



 シネプレックス10というのがありまして・・・

我輩の勤め先がある、千葉県千葉市美浜区中瀬…所謂、「海浜幕張」駅がある場所の駅前に、7月中頃、「シネプレックス10」というのができた。いわゆる全席指定の映画館なのだが、スクリーンが10あるから、「シネプレックス10」という名前だったりするようだが……それで、何が言いたいのかというと、本日、我輩は友人と共に、レディースデイでもないのに、映画を見に行ったのである。これが、本題。
ちなみに、この「海浜幕張」駅近辺には、幕張メッセという国際展示場がある。そこで、現在、9/22まで恐竜博をやっていたりする。これは、割りとメジャーな話だろう。
さらに、この駅の前には、「ガーデンウォーク」と呼ばれる、アウトレットのお店が集まったショッピングモールがある。色々安いが、その場にあるもの限りなので、サイズがない時が多いので、少々肉付きのよい我輩などは、あまりこちらで買い物が出来なかったりする、悲しい場所だ(T□T)

話がそれまくってしまったが、映画の話に戻る。
我輩達が今回見に行ったのは、「バイオハザード」だ。……カプコンの人気ゲームをハリウッドが映画にしてしまったという、アメリカのオタクな人たちが情熱を傾けた作品なのだが、我輩このゲーム、怖い上に、コントロールできなくて、全く駄目なのだが、友人は、それこそ全てをクリアし、時に、夜中に一人でクリアしている最中、怖くなって、いきなり電話して来たりする…とってもマニアなゲーマなので(←何かが違う)、「見に行こう!」と我輩を誘ってくださったわけである。……ちなみに、我輩怖い映画は大の苦手である事を先に明記しておく。

▼ここから先はネタバレなので、映画をコレから見に行こうと言う人は読まない方が得策である。

ああもう、コンチクショウめ!製作者の思う壺とはこの俺サマのことさ!!!
くやしい、くやしいぞぉ!!
ゲームの「バイオハザード」でもそうだが、「あ、ここで出てくるぞ」と言う時に、音楽が最高潮に緊迫した瞬間、お約束通りにゾンビだゾンビ犬だと出てくるし、ここで扉を開けると、その向こうには、必ずいる!絶対いる!と言う時には、必ず、やっぱり予想通りの結果になる…そう、予想しているのに、我輩心臓が止まりそうになる程、吃驚するし、怯えてしまうのである。……思う壺。思う壺(泣)
ラクーンシティという街の地下で秘密裏にとある研究が行われていた。ある日、研究施設の中でバイオハザード警報が発令され、メインコンピューターは、研究所内に居た全ての人間を殺し、ウィルスが外に出て行かないよう処置をした。だが、外の人間には、何かが起こったのか解らない。そのため、研究所を運営していた会社は、原因究明と、メインコンピューターを停止させるため、特殊部隊を地下研究施設に派遣した…というストーリー。そして、主役の女キャラは、強い。その上可愛い。……思わず、ワイヤーアクションのシーンや、彼女のアップのシーンでは、我輩ウットリと見つめてしまうのだが、そこには、ゾンビやらゾンビ犬やらが出て来て、大変なアリさまなのである。そして、心底ビビる。ああもう、俺サマ心臓バクバクさ!(←かなり混乱中)
身体中が恐怖の叫びを上げる我輩の心境を置き去りにして、スクリーンの中では、次々とゾンビが出て来て、更には遺伝子操作された怪物がお約束のように登場。やっとこ、逃げられた…ト思ったら、そいつに教われ、最後まで何とか生き延びていた仲間が、ゾンビウィルスにやられて、ゾンビ化して大ピンチだし。生き残ったと思ったら、主人公は拉致監禁され、彼女が目を覚ました時、おばかさんな研究所の元締め組織が原因究明とかいって、迂闊にも地下研究所からゾンビが徘徊するような状態にしてしまったりなんかして、主人公は、ゾンビ達の徘徊する街から、今度は脱出しなければならない〜なんて、ラストだったらいしたから、ああもう、まるっきり、このまま、「バイオ〜2(ゲーム)」に続く?って感じ?とか友人と熱く語ってみたりして。
はっきりいって、マジ怖いッス!ええもう、心臓バクバク、呼吸は苦しい、身体中は強張って、震えが止まらない!?…ってな具合で、我輩、席を立って外に出る時も、ひざ笑っちゃって位だ。
「ぜった、B級映画になってると思ってた」と友人が語る位には、話も、脚本も良かったといえる。怖いのが平気ならば、ぜひオススメの映画である。
ちょっと、残念だったのは、地下研究棟のウィルスが保管されていた部屋は、コンピューターがその中の人間をスプリンクラーの水を密室化した部屋の中に放出して、殺しちゃった為、扉が開いた後も膝上位の水位があった。……それを見た瞬間、「サメか?ゾンビザメが出るのか!?」とかなり期待したのだが、結局出てきたのは、水中に潜んでいた女ゾンビで…ああ、やっぱり、ゲームほどゾンビのバリエーションも遺伝子操作された化け物の出現率も高くないのね〜とかとか、さり気なく恐怖に震えあがっていた割には、細かい所で文句を言ってみたりする余裕が合った我輩(笑)−−−なんにしても、時間の感覚がなくなる映画であったから、2時間近い鑑賞も苦にならない、良く出来た映画ではあった。怖かったけど(T□T|||)

映画を見た後、地酒が飲める飲み屋で、300mlビン3本と、2合分の日本酒を飲み、かなり酔っ払って自宅に帰った我輩。−−日記の更新もできず、部屋の電気を消す事もせず、気がつけば布団で寝ていて、「あら、ワタシ、いつ布団をひいたのかしら?っていうか、着替えてるし…記憶?記憶が?ほほほほ♪」という状態で朝を迎え、さり気なく体調不良な日曜日を過ごす事に。……自業自得とはいえ、微熱まで出ちゃうのは、どうよ?とか思う、今日の飲んだくれの戯言。

■今日は何の日?■

津田梅子、女子英学塾(現津田塾大学)を開校(1900年)
ソ連無人探査機ルナー2号、月面到達(1959年)

=記念日=
●メンズ・バレンタイン・デー
9月14日は2月14日のバレンタインデーから半年後であることから、男性の側から積極的に愛を表現する日として、日本ボディファッション協会が1991年に制定した日。バレンタインのチョコレートに対して、この日のプレゼントは下着。

……メンズ・バレンタイン・デー……なんとも怪しい響きである。
というか、ただのバレンタイン・デーが「お菓子会社の陰謀」だとすれば、このメンズ・バレンタインデーは、下着メーカーの陰謀というところか。っていうか、2月のバレンタインデーから半年後ということで、今度は、男性の側から積極的に合いを表現する日にしよう…という、その思考回路がそもそも解らない。ただのこじ付け…と言ってしまえば、それまでの話。そして、我輩、男性が女性に下着を送るというのは、ある意味両思いの深い中の男女であれば、冗談ですむかもしれないけれど、チョコを渡す乙女の大半が片思いやら、義理やらだったりするのと同じで、そういう相手に渡すものとして、「下着」というのは、一種のセクハラ行為ではなかろうか?とかとか、愚考するのだが、皆の衆。ご意見はどうだろうか?(笑)

ちなみに、今日は何の日?の津田梅子女史についても、調べてみた。
彼女は、なんと6歳にして留学した天才少女であったらしい。留学先は、アメリカ。梅子が預けられた家では、最初、こんな小さな子供の面倒はとても見られないといったそうだが、その聡明さは周囲の大人を驚かせたという。結局10年間もの長きに渡って留学することになり、帰国したのは明治15年。華族女学校の教授として迎えらながらも、日本の教育が肌に合わなかったのか。後に再び渡米。二度目の帰国後に、独力で女子英学塾を開いたそうな。………すごい人っもいるもんだ。

2002年09月14日(土)



 嫌な予感は良く当たる・・・

ずっと楽しみにしていたネズミ王国に行って、帰ってきたら、最愛のネコが死んでいた。−−−朝、出かける前に、水をスポイトで飲ませたら、ほとんど飲み込むことも出来なかったので、多分今日、出掛けたら、生きている姿には逢えないかもしれない…そう思いながらも、外出を選んだのは自分だった。
帰ってきて、冷たくなった彼女を見た時、「ああ、やっぱりな」と思った。
玄関を開けた時、線香の匂いと、菊の香りが強く立ちこめていたから、彼女の冷たくなった姿を見る前に、気付いていたけど、自分の家には既に仏壇があるから、そちらの方の線香の匂いだと、信じたくて…すぐには仏間の方に行けなかった。−−−無事な姿を探して、結局、箱の中の彼女を見た時、納得している自分と、後悔している自分と、やるせない自分とがぐちゃぐちゃになって…一人で逝かせてゴメンネ。傍にいなくて、ゴメンネとしか言えなかった。ネコは人のいる所では死なない…というけれど、母も私もいない午前中に、一人で静かに眠っていた彼女は、最期に何をおもっただろう?−−−淋しいと、思ってくれただろうか?それとも、夢を見ながら、一人であることに気付かないうちに、逝ってしまっただろうか?朝、寝かしつけたままの姿で、眠るように、苦しんだ様子もなく冷たくなっていたよ…と母は言った。
ごめんね。今日、多分彼女は死ぬだろうと解っていたのに、もう時間が残っていないだろうと解っていたのに、出かけて…一人にして、ごめんね。
ゴメンネ……ごめんね……。ごめん。ごめんなさい。

2002年09月10日(火)



 元気溌剌?・・・とまではいかないけれど、健康を取り戻した喜び

普通の食事が食べられる…というのは、シアワセな事だなぁ〜とか、しみじみ最初っから語ってみたりする、今日の我輩。ふふふ、お弁当も、少ししか残さなくなったし、朝食もご飯半膳は食べれるようになったし、おかずも少量だけど、美味しく頂けるし、ああ、人間食べることが出来る様になると、みるみる健康を取り戻してゆくもんだ…と言う実感を、非常にリアルに覚えているのだが…そういう経験って、皆々様はないだろうか?(ああ、あまりここまで体壊す人間って、いないかな/笑)
食事という作業が、人体全体に及ぼす効果というのは、絶大である。…ただ、エネルギーを補給する…という作業なのではなく、口に物をいれる。咀嚼する。唾液が出る。嚥下する。胃袋に食べ物が入り、消化をする。胃袋が動く。腸が動く。排泄される。・・・これら一連の連鎖が行われる事により、脳味噌も動くし、身体全体の機能の歯車がしっかりと回り出す…という事を、我輩はしみじみと実感した。
食べると言う行為は、健康への第一歩なのだ。いくら、栄養ドリンクで補った所で、それは一時的なもので、身体の中の内臓から血流にいたるまでのメカニズムをスムーズに、快活に動かす為には、やはり固形の食事をとると言う事が、もっとも効果的なのだ。……その場合、咀嚼の回数が多ければ多いほど、脳が刺激され、信号の発信率が高くなり、更には内臓機能も活性化するわけなのだが……早食いだった我輩が、胃袋が受けつけなくなった一週間の流動食生活によって、咀嚼回数が異様に上がり、食事時間が比例して量の割には長時間に及ぶようになった…というのは、なんというか…分刻みの現代社会においては、一長一短な感じがしないでもないのだが……ああ、健康的な食生活!食欲の秋を前にして、食事の有り難さを知るというのは、なるほど、素朴な幸せなのかもしれないが、実は、とっても大切な事である筈だ…と改めて思ったりした。
だから、なに?…とか言われると、悲しくなるので、突っ込まないように(苦笑)

■今日は何の日?■

わが国初の普通選挙として浜松市会議員選挙実施(1926年)
巨人の王貞治、756本の本塁打世界最高記録を樹立(1977年)

王貞治…といえば、「一本足打法」であり、その笑顔は、ナボナのCMを思い出す(笑)お菓子のホームラン王…とか言う煽り文句だったかしら?あの合成臭い味…安いバタークリームが嫌いで、我輩はあのお菓子を食べることはしなかったが…あの20年〜15年位前の誕生日ケーキ=バタークリームのデコレーションケーキという時代、あのバタクリは、どうやら相当ひどいものだったらしい。本当のバタークリームではなかった…と最近知って「騙された!?」とか衝撃を受けている人間は、多分日本中を捜せば我輩以外にもいるのではないだろうか?……という話ではなく、読売巨人軍の王貞治選手が、後楽園球場でおこなわれた巨人対ヤクルト戦の3回裏に通算756本目の本塁打を打ち、米大リーグのハンク・アーロンを抜いて世界新記録をつくった。すごいね、王サン…現在の王監督、色々大変そうであるが、頑張って欲しいものである。…ていうか、ホームラン王だからって、野球の監督で大成できるか?というと微妙な問題ではなかろうか?長島と同じ、ネームバリューだけの監督ではない…と言うような感じだけど…チームもそれなりに頑張ってるし……っていうか、野球あまり興味ないので、最近の事は全く知らないのだがね(苦笑)



2002年09月03日(火)



 健康を取り戻す為に、頑張ってます・・・

前日の日記に「暫く無理かもね〜」みたいな事を書きつつ、今日もとりあえず、生存報告。

昨日よりは食べ物を受け付けるようになった胃袋が嬉しかったりする。久しぶりに、お菓子を食べた。(小さくて、通常2口サイズの柔らかい物)一度に沢山食べられないので、割合、こまめに空腹を覚えるが、一口二口何か口に入れれば、満足する…その程度の空腹なので、正常時の一食分を1日かけて分割して食べているようなものである。そして、そうしていながら、分量はまだ1食分にも満たないのだから、「困ったね〜」と言う感じである。やれやれ、どうした胃袋!負けるな胃袋!−−少し前までは、胃薬常用で何とかしようと考えていたが、今は自然に胃袋が復調するまで、無理のない食事量を心掛け、良く噛み、時間をかけて柔らかいものを食べる…という方向で頑張っている。(本当の所は、薬があまりにも効かないので、サジを投げた…と言う説もあり/笑)

なんだかんだで、一週間も胃袋に無理のない(というか、殆ど物が入っていないのだから、疲れ様がない状態だろう/滅)食事事情であったせいか、回復した折には、恐らくここ一ヶ月以上の胃袋の不調からも解放されるのではないか?・・・などと淡い期待を抱いている我輩。…この甘い考えは、果たして現実となりえるのか?−−−ああ、どこかで「無理だね。ちょっと調子よくなったら、すぐ飲むでしょ?お酒を!」と言う声が聞こえる…心の声の突っ込みか…それとも、心の友の突っ込みか…賛同者多数のご意見が、近未来的に自分の身で実際に起こるほうが、より確率的に高そうだなぁ…とかとか、思いつつ。まぁ、今日の所もコレくらいにして、早めに寝ようかね。うん。

2002年08月31日(土)



 一週間の沈黙・・・流石にマズイと、ちょっぴり焦りつつ

インテの日記も書かず、今の今まで何をしていたのかと言うと・・・寝込んでいた我輩。−−−いやまじめな話である。一時は、「誰かに頼んで、掲示板に書き込みしてもらうしかないかも…」とか思う程、深刻な状態で、とりあえず、無理やり置き出して、サイトトップに体調不良をお知らせする告知文を載せたり、BBSに書きこみを入れたりしたのだが…果たして、どれだけの人間に伝わったのだろうか?(寝こんでいる間に、メールがたまってゆくのが……大変心苦しかった我輩/滅)
果たしてどう言う状態だったかというと、インテから帰った翌日の(月)は、お休みをもらっていたので、家でゆっくりしていたが、午後から「ジャンプの立ち読みにでも〜」とか考えていた我輩は、唐突に起き上がれないないほどのダルさを感じた。−−そして、熱を測ると38度5分・・・あはは、この数字を見るのは何年ブリ?とか遠い目をしつつ、とりあえず解熱剤を飲んで、ひたすら寝る。翌(火)の朝には、微熱になっていたので、「ま、これなら…」と出社。解熱剤服用していたので、午前中は割りと元気だったが…11時頃から雲行きがなにやら怪しくなり、昼を食べて午後の仕事に掛かって、更に症状が悪化…寒気と吐き気とダルさに溜まらず、早退して帰宅……炎天下の14時頃外を歩いていて、陽射しは暑く痛い程なのに、「ああ、暖かいなぁ」とか思って歩いていた我輩の体温は、帰宅後はかれば39℃2分ありまして、布団にめり込むほどの身体の重さ。−−−駄菓子菓子(←かなり古典…/笑)このまま寝ていても熱は下がらない…と医者へ這うような足取りで行くと…なんと午後の診察まであと30分あり、締めだしを食らう。でも、もう動けないので、扉の前に座りこんでいると、10分後、扉が開いて、中に入れてもらえたのだが、診察は定時より少々過ぎてからだったりして、更に問診のみで、ぽいぽいとクスリを指示されて、処方箋をもらうだけ…という感じで、「なんだか、こんなに症状酷いのに、医者ぁあああ!」とか憤りを覚えたのは、熱が下がった後だったりしたのだから、かなり重症だったらしい我輩(暗笑)
「明日仕事に行きたいのですが」と言った我輩に、「行けるなら行けるでしょう」と言う謎の言葉を告げた医者が「強力」と言った解熱剤を服用後、ドロのように眠るが目覚めて計って「38度5分」………「強力?」そして、更にこの時既に腹が壊れまくっていた。もちろん、コレ用に「強力下痢止め」ももらっていたが…たしか、医者は「朝には止まってるから、そしたら飲むのやめてね」と言っていたのに………ふふふ(怨嗟)−−−そして、翌々日の(水)、朝から38度あるし、お腹は既に蛇口状態だしで、あえなく欠勤連絡を入れ、1日重湯とスープの食事…すら、胃に収まらず、更に嘔吐の症状まででちゃって、あはははは!←笑い事か?
エネルギーinゼリーのようなものカロリーを補給し、水分はスポーツドリンクを常温で飲む…という生活……そのゼリー飲料すら、一つ飲み干すのに2時間かけた我輩…極限状態である。−−−1日寝つづけ、腰は痛むし、腹は痛いし…そして、更に翌日(木)も欠勤。寝たきり老人と化す。とりあえず、熱は随分と落ちついたが、食事が取れない。重湯一杯をクリアできない。カップスープ完食が症状がでてから久しぶりのまともな食事だったのだが…まぁ、それはともかく。
そんな状態で、今週は月〜木まで寝たきりで、金曜日現在、食事はおかゆだが、二口が限度、汁物ならなんとか、具は柔らかいものを少々(しかし時間がかかる)ゼリー半カップ、うどん二本(笑)・・・・コレが1日の食事で良いのだろうか?我輩…とりあえず、仕事にはいった。少し早く動くと途端に目の前に紗が掛かるが、まぁドンマイ!(←おい)−−−そんな状態であるからして、今暫く養生しようと思うのであるが、ここまで日記かくだけで、いやな汗が額に浮かんできている状況では、恐らく週末の更新は絶望的?とかとか……許してくだされ。

2002年08月30日(金)
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