『今日の一言』
因幡うたぎ



 運命の反作用を実感させられて、アンニュイな気分で候

そう。
良い事と悪い事。
それは交互にやってくる。

コンチクショウな残業でヘトヘトにになって帰宅した我輩。もう気分は泥沼色。
そんな我輩の壊滅的な精神状態をフッ飛ばす1通の巨大な封筒。
「おお」
(ああ、そういえば夏コミの当落通知って今頃か!)
「おおぅ」
(落ちたかな…落ちたのかな)
ドキドキと高鳴る鼓動もソコソコにサックリ封筒を開封。中に入っていたのは…サークルチケット!!
「おおおおおおおおおおおおっっぅ!」
まさに、雄叫び。
まさに、吼え声。
月に向かって吼えるオオカミの如く、喜びの雄叫びを上げてしまい、ママ上に叱られた我輩。
一気に、「ラッキーvv」な気分になり、残業によるヘトヘト体も心も足取りも重い感じがふっとび、「よし、やるぞ!」とやみくもなやる気が我が胸にあふれる思いだった。

−−−だが、良い事には悪い事がついてくる…というのを忘れてはイケナイ。
ラッキー効果で心もウキウキになっていた我輩は、十二国記の再放送をビデオで未ながら、しみじみと「運命の女神がほほえんでいる!」と思ったものだが、ビデオのタイマーを弄っていたとき、そこに表示された時間を見て、「しまったーーーーっ!!!」青くなった。

「探偵学園Q」というアニメがある。
それは、ヨル6:55から放送という中途半端な時間のアニメなのだが…そのタイマーを週間タイマーで入れていたデッキで、同じ時間帯にやっている「十二国記」を撮ってしまった事に我輩は気付いた。
−−−−今日はあの美少年と運命の出遭いの日だったのに。←腐れ脳味噌

そして、我輩は「幸運の反作用」なるものにうちのめされ、ガックリと頭をたらすのだった。まさに「反作用」!でかいラッキーのあとには、同じ比重のアンラッキーが憑物なのね!!!←漢字が違う

全てのやる気は根こそぎついえた。
だめじゃん、結局、ナント言葉をとりつくろおうと、ただの「なまけもの」なんじゃないだろうか?!じぶん!!←今頃気付いたのか?

もうどうにも「ああ、だめだめくん。つか、マヌケだ」と落ちこむ今日の「おばかさん」な我輩。

<今日は何の日?>
オランダが西インド会社を設立(1621年)
ペリーが黒船4隻を率いて浦賀に来航(1853年)
日独伊が蒋介石の国民政府を正式に承認(1929年)
ウィーンでケネディvsフルシチョフ会談(1961年)
韓国で朴政権打倒の大デモ。京城に戒厳令(1964年)
阪急の福本豊選手が盗塁939の世界記録樹立(1983年)
雲仙普賢岳の火砕流で死者・行方不明34人(1991年)

●測量の日
1949年、測量や地図作成の規範となる「測量法」が公布されたのを記念し、国土地理院は1989年に毎年6月3日を「測量の日」に制定。測量についての意義及び重要性に対する国民の関心を高め、測量の成果である地図などの普及・促進を図るのが目的。この日は建設省や「測量の日実行委員会」などで、日本経済の発展と安全な国民生活の向上に重要な役割を果たしてきた測量・地図の意義及び重要性について理解と関心を高めるための啓蒙活動や、測量に対する功労者表彰などを行っている。


2003年06月03日(火)



 一週間にイッペンの日記って、どうよ?

<近況報告とかしてみましょうか?>
さてさて。我が父上さまの入院から、1週間がたった。昨日からようやく、自力でご飯が食べられるようになったらしい。ああ、よかったよかった。
脳のCTとったら、「隙間がありますね〜ボケたりしてませんか?」とか先生にいわれて、「とうとうきたか!」と思ったとか、愉快なママ上さまが、毎日「大変よ〜」といいつつ、面倒をみに病院に通っているが、我輩は娘として、一度も見舞いにいっていない、人でなしである。−−−だって、家の事やるニンゲンがいないとね〜あははん。というのもあるが、命に別状はないし、酔っ払ったあげくのに、顔面スライディング(受身なし)を豪快にかまして、ムチウチで頚椎いためちゃったパパ上さまも、人並みに羞恥心はもっている筈だから、見舞いにいかないのも、「武士の情け」でござんしょう。
−−−そんな、彼氏の退院予定は2週間後である。つまり、まだまだ先は長いのである。更に、その後もリハビリがあるらしい。ま、これからも、やっぱり大変な孤とには代わりないようだな。(←なぜかひとごと)
んで、最近思う事。
「仕事と家事ときちんとやって、更に同人活動している方…めさめさ、尊敬しますですよ〜」という感じである。我輩なんぞ、平日はとても余力残らないですもん。うぬぬぅ。煩悩だけでは、眠気にかてませぬぅうう!つーかんじで。
そんなこんなで、最近日記も一週間に1度と、「日記じゃないじゃん」という突っ込みはいりまくりな状況だが……とりあえず。
「生きてるにょ。」
「ワタシ個人は元気だにょ。」
と主張してみたりして。
その主張の一環としてかは、定かでないが。
6月1日の今日、ヤケのように沢山小野不由美の小説サイトでは、怒涛の勢いで更新したりなんかしちゃったりしてv
−−−サイト開設3周年記念企画とか、
−−−眼福幼稚園第2話とか、
−−−トップページの更新とかとか。
どうしちゃったの!なにか悪いもん食べたのか!?つーくらいである。
まるで、死ぬ前に、命の炎が最後に一瞬燃え上がるかのように!(←不吉な)
これも、夏コミの原稿執筆に入ったら、もう全く更新できなくなるしぃ、いまのうちだけ〜なので、今後もウルトラスーパーハイスビードの更新を期待するだけ無駄なのでやめたほうがよござんす。
「ああ、明日からまた仕事なのね〜」となんだか夏休み明けの小学生のようにダルダルな、今日の我輩。

<今日は何の日?>
西光・俊寛らの平氏討伐の鹿ケ谷の陰謀発覚(1177年)
生田万が同志とともに越後柏崎で決起(1837年)
日比谷公園が開園(1903年)
幸徳秋水が大逆罪容疑で逮捕(1910年)
社会・民主などが連立して片山哲内閣成立(1947年)
国鉄・専売公社が発足する(1949年)
フランスのド・ゴール内閣が成立(1958年)

=記念日=

●写真の日
銀板写真(写真機)は1839年にフランス人画家のルイ・ダゲールが開発し、その2年後には早くもオランダから日本に上陸。その写真機を日本で最初に手にしたのは島津藩(今の鹿児島県あたり)の御用商人・上野俊之丞だった。彼は早速、藩主・島津斉彬に献じ、1841年6月1日に斉彬を撮影したという。これを記念して日本写真協会が1951年に毎年6月1日を「写真の日」と制定した。
●電波の日
1950年6月1日に施行された電波法・放送法により、電波は一般に開放された。これを記念して郵政省は、1951年から毎年6月1日を「電波の日」と制定。国民に広く、電波に関する知識普及と利用の発展を呼びかけている。
●気象記念日
1875年6月1日、赤坂の葵町に設置された東京気象台は中央気象台を経て、1956年7月1日に気象庁に昇格。その際、毎年6月1日が「気象記念日」と制定された。またこの日は、1884年に東京で初めて天気予報が出された日でもある。
●人権擁護委員の日
1949年6月1日、人権擁護委員会法が施行されたことを記念して、全国人権擁護委員連合会が1981年の総会で、毎年6月1日を「人権擁護委員の日」とすることを制定。全国の人権擁護委員が、その使命を再認識し自ら研鑽するとともに、人権思想がより広く普及することを目的としている。
●麦茶の日
「麦秋」と呼ばれる6月初旬は麦の収穫時期であり、夏の暑さを迎えて麦茶が飲みたくなりはじめるころ。そこで全国麦茶工業協同組合は、麦茶の需要拡大を図って、1986年に衣替えの日の6月1日を「麦茶の日」と制定。PR活動を行っている。

……なんで、6/1にこれほど記念日が多いんだ?(謎)

2003年06月01日(日)



 あれやこれやと急転直下・・・

−−−先週末の土曜日。我輩、初めて救急隊員からの電話を受けるという人生でそうそうあってたまるかーっ!な体験をした。理由は…酔っ払ったMyオヤジ殿が、路上で倒れ、動けなくなっていた所を通行人が119番通報して、救急車を呼んだ…という経緯があったらしい。
「顔から突っ込んだらしくて、擦り剥いて血だらけで倒れたまま、車道側で動けなくなってたらしくて…これから今夜の緊急外来の外科当番医のいる病院に行くんですが…すぐこれます?」
−−−住所もろくに云えないほどのへべれけ状態。我が父ながら「自業自得じゃ−−−!」と見捨てたろか?とか心の中に過ったりして。
まあ、あれだ。ずっこけて、血みどろで、とりあえず病院で見てもらえば、すぐ飼えってこれるだろう〜とか、短絡ていた我輩。
母は慌てふためき、取り乱した後、救急車の中で延々と父に説教たれて、救急隊員のオジさんに呆れられたらしいが…事態は、酔っ払って路上でコケて擦り剥いた〜だけというだけに留まらず、なんとなんと!3週間の入院を余儀なくされるほどの重症であった事が、翌日の検査で判明し、私吃驚、ママ上茫然!
−−−コケタとき、手をついた形跡がなく、もろに頭からアスファルトに突っ込んだと推測されるパパ上の頚椎は、ムチうちより重度の損傷を受けたのだという。ーーーいや、年で弱っていたというのもあるらしい。
「絶対安静。いま動かしたら、神経切れて、動けなくなるよ」
と医者に威され、パパ上現在入院加療中−−−動かしたら駄目ということは、下の世話から、食事の介助まで、誰かの手が必要ということで…昼から夜まで、ママ上さま病院でつききりになって、夜の家事が我輩の背中にずんどこしょ〜と乗っかってきたから、さあ、大変!−−−ああ、こんな筈ではなかった…と考えつつ、夕食の支度をし、猫の世話をし、洗濯物を片付け、翌日の米を炊き、弁当の献立を考え……あう。我輩一人ならば、「適当」でどうにでもなるが、ママ上さま色々煩く言う方なので、ヘタに「適当」にやろうものなら、全てのやる気を削がれるほどの煩わしい突っ込みを入れられるのである。−−−それは、仕事で疲れて帰って来て更に遠慮したいもんである。
そんなこんなで、暫くはゴタゴタしそうである。−−ああ、腱鞘炎が痛い。肩が痛い!コンチクショウ!眠いぃい!!(←なら、寝ればいいじゃん。と突っ込むべからず。)

<今日は何の日?>
ロシア船が来航、ゴローニンの釈放を求める(1813年)
日米約定(下田条約)が調印(1857年)
北条県(岡山県)で血税反対の農民暴動(1873年)
兌換銀行券条約を定める(1884年)
米大統領クーリッジが排日移民法に署名(1924年)
京大の滝川教授の休職が発令。滝川事件(1933年)
東名高速道路全線開通(1969年)
日本海中部沖地震。死者104人(1983年)

=雑学=
★五月晴れって五月のことじゃない?

「五月(さつき)晴れ」というと、5月の気持ちよく晴れあがった空をさすと思いがちだが、でも、ほんとの「五月晴れ」とは、5月は5月でも、旧暦の5月のことで、鬱陶しい梅雨の晴れ間のことをさしている。梅雨の時期が陰暦では5月だったためだが、太陽暦での生活が長くなるにつれ、5月の晴天も「五月晴れ」と呼ぶことが定着してしまった今日この頃。そのため、辞典によっては新旧両方の意味を載せているものもあるのだから、日本語は乱れてきているというべきか、それともリバーシブルちっくに用途の幅を広げる努力がされていると言うべきか。何事も世の中ファジーになりつつあるな…とか遠い目をする我輩(苦笑)。
ちなみに、五月晴れと同様に「五月雨(さみだれ)」も、梅雨(つゆ)の時期に降る雨のことで、本来は5月に降る雨をさす言葉ではなかった。ついでに、「さつき」の「さ」は、「田の神」とか「田植え」の意味で、「みだれ」とは「水垂れ」の意味である。


2003年05月26日(月)



 隅田川から東京湾をクルーズで、ドキドキ?←わけわからん

関東圏…東京という土地には、隅田川という川が流れている。江戸の時代から、要所としてしられる、その川は、21世紀を迎えた現代もその流れは昔とさまがわりしたとはいえ、とうとうと東京湾へと流れつづけている。
−−−その、隅田川を望む浅草、吾妻橋の袂から「水上バス」が運行しているのを、皆様ご存知だろうか?
古今東西、老いも若きも、外国人も、その土地に色濃く残る「日本情緒」を求めてやってくる浅草は浅草寺の門前…雷門を背にして左手へ少し歩けば、すぐ目の前の空に燦然と輝く金色の……………「ほにゃらら」←自主規制(笑)
ガイドでは炎とか云われ、人は魂だのゴジラのう●こだの、金のうん●だのと好き勝手読んでいる、サントリーのビヤホールを有するビルをめざしつつ、吾妻橋の袂左手の乗り場から500人近くのれる水上バスが運行し、多くの観光客を喜ばせている。−−−そして、本日…我輩は『初!水上バス乗船』を体験したのである。

先週、浅草寺や浅草観音を賑わせた「三社祭」に顔をだしたばかりだというのに、その祭に行けなかった1名、行ったが首が回らなかったもの1名が「リベンジ〜ィ!」と叫んだのが、そもそもの発端。
昼過ぎに浅草雷門前で待ち合わせ、まずは浅草寺の仲見世を冷やかし、揚げ饅頭をゲット揚げたては美味しいねぇvvといいつつ、水分補給に自販機で水やらお茶やらをゲットした後、お寺をお参りして、その後同じ仲見世をとおり、焼きたて脳素焼きせんべいを食べ、きびだんごやで冷し抹茶をのみノドを潤すと、一路左手…金の●んこを目指して歩き、水上バスの乗り場から舟に乗り込んだ。
−−−本日のコースは浅草浅草寺で揚げ饅頭を食べ、手焼きせんべいを食べ、水上バスで浜離宮へ行き、散策後、日の出橋から葛西臨海園、そして舞浜へ移動後、地ビールを飲む!というのが計画であった。

そして、感想は……もう一度乗りたいカモ。
ナニが楽しいかといえば、ただたんになんだか「のんびり」できるのが良いのである。舟図云うのはふしぎなもので、揺れがイイ幹事だとどうもマッタリする気がするのである。−−−そして、なんだかもう一度乗りたい〜というのは、集中してアナウンスを聞いていなかった為、色々聞き逃しているのが悔しい!というのも気持ちの中に燻っているからだろう。
とにかく。
じかんは掛かるが其れなりに楽しい水上バス。
浜離宮は花が終わってしまっていて、いまはサツキ位しか咲いていない色取りの寂しい庭園は、芝を刈る青臭い匂いとか、300年生きてる松とか、お茶屋で抹茶と御菓子をゲットしたり…それなりに楽しかった。
−−−その後、ギリギリで日の出橋乗り換えで葛西臨海公園経由、舞浜「地ビールがのみたい!」という心の叫びとともに我輩たちは夕方向かった。
乗り物酔いキングには日の出橋からの葛西臨海公園行きは、東京湾が穏やかだったのでまだOKだったが、それでもやぱり三半規管が惰弱で、上手に説明できないのだが…とにかく、其れほど申告な乗り物酔いにはならなかったので、色々見たいかた。乗った事がないかた、遠方より浅草へ遊びにこられた方。−−どうぞ、1度クライは乗って見るのも話の種にイイかもvvであるので、ぜひつかってみてみてv

とにかく、舞浜の地ビールは季節限定ビールがなくて残念だった(がくり)
−−−以上、とにかく今日はこれまで。

<今日は何の日?>

老中・松平定信による寛政異学の禁(1790年)
日本最初の盲唖学校、訓盲唖院が開校(1878年)
12歳以上の男女混浴禁止の内務省令発令(1900年)
日本初のゴルフ場がオープン(1903年)
日本商工会議所が創立(1928年)
売春防止法が公布(1956年)
チリ地震の津波で三陸地方4万戸以上に被害(1960年)


★日本初のゴルフ場がオープン

……1903年5月24日。日本初のゴルフ場といわれる「神戸ゴルフ倶楽部」が兵庫県の六甲山にオープンした。
設立の中心になったのは六甲山頂に住んでいたイギリス人アーサー・グルームで、発会式には兵庫県知事の服部一三、イギリス総領事ホールらが招かれた。
始球式を行った服部知事のドライバーは一間(1・8m)も飛ばなかったという。

ちなみにゴルフの起原については、スコットランド発祥説、オランダ発祥説などがあるが定かではない。1608年に創設されたロイヤル・ブラックヒースが世界最初のゴルフクラブといわれ、その前後にスポーツとしての形態が整えられたものらしい。
また現在、日本には約2000か所のゴルフ場があるが、世界的に見ても異常なほど多く、森林伐採や大量の農薬散布などによる自然破壊、会員権詐欺などが問題になっている。


2003年05月24日(土)



 一日、家でネットサーフィンは久しぶり〜んv

−−−−今更ながらに、噂(?)の「ピースメーカ」を読みました。
つか、嵌りそうだから「やばい」とおもって、興味をもちながらも近づかないようにしていたのに。
月刊ブレイドを立ち読みしたとき、「どんなもんだい?」とチラ見してしまったのが、運のつきだった……おそらく、きっと。
自ら罠に嵌り、まんまと古本&通常購入(自爆)−−−全巻揃ってしまった時には、なんだか、「無駄遣いだってわかってるんだよな…わかっては」とブツブツ怪しい人のように呟きつつ。
−−−−やっぱり、というか。予想どうり、というか。
「鉄ちゃん…カワイイよ。あんた////(TT)」
と、ほざく位には、メロメロになっているだすよ。うえ〜ん(><::←なぜ泣く!?
そして、鉄之助がみんなに愛されている構図がスキらしく、ネットで捜し始めてしまった自分…ああああああ(泣き崩れ)
いつものパターンだ。
主人公、アイドルっていうのが好きなんだよ。
ごめんよ。
ごめんよ。←だれにあやまっているのか?

しかし、世の中あまくないようで、中々ジャストミートなところはみつからず。
(あまり、イラスト中心サイトは見ないので、小説サイトをさがしていたのだ)
暫くは、ちょろちょろ、ネットサーフィンして、其れなりに満足しないとこの熱さめんなぁ…まぁ、ある程度見れば満足して、熱も一定以下までグンと下がるんだけど…(魔探偵ロキが良い例である/笑)これも、いわゆる「一過性の発情症候群」なのだろう。うん。−−−とか、ちょっと明後日の方向を見つつ。
とにもかくにも、「もう少し色々と考えること、やることあるでしょ?」とか冷静に突っ込みを己にいれる、今日本日の我輩(滅)

<今日は何の日?>
豊臣秀吉が長崎からキリシタンを追放(1588年)
英が仏に宣戦布告し、7年戦争始まる(1756年)
ナポレオン1世が皇帝に推される(1804年)
函館五稜郭で榎本武揚が降伏。戊辰戦争終結(1869年)
護憲三派が領袖会議を開く(1924年)
米大統領ルーズベルトがTVAを設立(1933年)
阿部定事件起こる(1936年)
韓国・光州市で学生・市民と軍隊が衝突。光州事件(1980年)
アメリカ北西部の活火山セントヘレンズが大噴火(1980年)

=記念日=
●国際親善デー
1899年5月18日、オランダのハーグで、ロシア皇帝ニコライ2世の主唱により26カ国が参加した第1回平和会議が開催。国際紛争平和的処理条約が結ばれたのを記念して、この日を「国際親善デー」とした。日本では1931年から実施され、国際交流を通して平和を実現するという目的のもと、さまざまな催しが行われている。

………ああ、早く平和になってくれ…とか思うですよ。
つか、アメリカ!大ペルシャ帝国の皇帝や、アレキサンドロス大王のとった政策を見習いやがれ!とか思ったりして。あはん。(NHKスペシャル見て、思ったさ)



2003年05月18日(日)



 映画と祭とビールでウホホv

本日はTTT3回目鑑賞&三社祭見物&地ビール飲むぜ!の日であった。
5/23で公開終了…ということで、前売りチケット1枚残すの勿体無い!と同行者一名とえっちらおっちら舞浜駅前イクスピアリ内AMC16へと出掛けた我輩。3度目なので、先の展開はわかっているが、それでもうほうほvしながらTTTを鑑賞する。−−−途中、コンタクトが死ぬほどずれて、「ここならじゃまにならん!」という瞬間を狙ってトイレへ駆けこむ…という、はた迷惑な客となったものの(その節はとなりに座っていた方に大変申し訳ない事をしたと反省仕切りである。が、我慢ならなかったんじゃ−−−−!つか、映画見てる最中に席立ったのって…人生2度目だ。稀少だ←立たないのが普通じゃ…?)同行者の気も散らしてしまったが、前見たときから、一ヶ月以上間があいていたからだろう。なにやらそれなりにドキドキとした気持ちで鑑賞できた。−−−心の突っ込みは容赦なくいれさせてもらったが(くすり)
とりあえず、詳しい感想などはHPの方にいずれUPしたいぞ…ということで、とにかく「馳夫さんの回想シーンby裂け谷…の転寝馳夫さんの裸足の脚に、萌!萌!とか鼻息荒く息乱していた変態はわ・た・しv」と自己申告。つか、はだしの足ってそそられませか!普段隠れている所が見てれる!これもいわゆる「ちらりずむ!!!」ってやつですか!!!(ぶひーっぶひーっ!←鼻息の音)−−−ああ、馳夫さん。貴方の崖から落ちても死なないところや、バッチイまま手も洗わず、服も洗わず、顔も洗ってないはずだが他よりましなのは何故?という所も含めて、初恋に胸トキメかせる乙女の如く、キャッチザハートでフォーリンラー−−−−ブ!ですぅ!とここでもう一度叫んでおこう。−−−ああ、もちろんフロドもスキじゃ−−−−!!TTTのリジィ・フロド…指輪の魔力でラリってて、病的に美しいですな。(←病んでいるのがいいのか!?)−−−とくに、あそこ!ワイバーンに乗った黒いヤツが近づいてきているのを感じ取っていた時の上からアングルで撮影された、「怖いけど目が離せない」フロドの顔が!ゲソっと頬がこけてて、顔の色が白蝋のように白くて、それでいながら蒼い瞳だけが大きく目だって、爛々と狂気の光を宿している…そんなフロドの顔が!うふふふ。溜まらんのです。つか、好きv←変態か!?……ああ、もちろん。ファラミーに連行されながら「放してほしい」と訴えるシーン(まるで連行される宇宙人のような格好のフロド&サム/笑)の悲壮感漂う表情も貯まりませんな!−−−ああ、せめて、ゆめにみたのが、ガン爺じゃなくて、馳夫さんだったら、乙女回路が悲鳴を上げるほど煩悩暴走バーニング!!になれたのに…つか、思い出してやってください…ふろどしゃん(TT)とか、馳夫さん、アルウェンとの無駄なラブシーンの数々を思い出している暇あったら、少しはフロドのこと思い出そうよ!(><)とかとか、まあ、原作より互いの事思い出していないような気もする寂しいTTT。映画終わってから、前作ではあった次回予告映像もないしなぁ(ガックリ)−−−色々色々、今回も思った事がありましたが、ここでは、これ位で。
−−−さて、映画の後は、三社祭である。浅草まで繰り出して、地元民の同行者と合流。浅草寺の手焼きせんべい、揚げ饅頭をもりっとたべて、昼抜きの飢えを満たすため屋台を冷やかし、目玉焼きののった大盛りやきそばをゲットし、ヒロシマ風お好み焼きと少しずつトレードして舌鼓をうち、謎の鬼退治の神楽をチラ見、神社をお参りして、夜宮のお神輿見物をして、そのキンキラキン&ライトアップ&お囃子つきを間近で眺める。−−−はあ、神輿間近で見るのは久しぶりだが、やっぱり、お祭は良いものである。うはは。
だが、早々に神輿のオッカケから戦線離脱。浅草名物にして別名「金色の●ンコ」(タクシーの運ちゃんは「ガメラのウ●コ」って言ってた…初耳ッス)の乗ったビルの中の地ビールを飲めるお店へ突撃。2時間のみ続けて、満足満足と帰宅。−−−いやぁ、美味しかったナァ。地ビールやっぱ、スキだ−−−−!!!とヨルの隅田川に叫び…はしなかったが、とにかく、満腹満足な今日の我輩。

<今日は何の日?>
後醍醐天皇が北条氏の擁立した光厳天皇を排す(1333年)
徳川幕府が選銭を禁じ金1分を銭1貫文とする(1616年)
ラオーグの海戦で英蘭連合艦隊が仏艦隊突破(1692年)
間宮林蔵が宗谷海峡を探検(1804年)
屯田兵が初めて札幌に入植(1870年)
ゾルゲ事件が公表される(1942年)
米最高裁が公立学校の人種差別を違憲と判決(1954年)

=記念日=
●世界電気通信記念日
国連の専門機構・国際電気通信連合(ITU)の前身である万国電信連合が発足した1865年5月17日にちなんで「あらゆる電気通信の改善と合理的な利用に関する国際協力の維持拡大と、技術開発の促進を行うこと」のPRを目的に、ITUが1968年より実施している。

2003年05月17日(土)



 朝から、衝撃走り抜けて、「ギャグ漫画じゃあるまいし」と呟くの巻

今日は朝から雨降りで、いつも自転車でかっ飛ばす最寄駅までの道を歩かねばならず、しけっぽくて、髪の毛どんなにブローしてもボサボサのほわほわにたってしまって、「けっ」な感じだった。
それだけなら、まぁ、梅雨間近の雨降り天気で、湿気バリバリ〜な時のお約束…と諦められたのだが。

−−−我輩が、なにをしたというのでせふ?
−−−あんまりだ、神サマ。
−−−つか、ギリギリでてきたから、
   今更4Fの我が家まで戻ることもできないぜ、ベイビー。

「いってきます」と勢いよく駆け下りた階段下、自転車置き場に立ち尽くし、我輩ノ背中は、確実に「心はロンリー、気持ちは・・・」を地で言っていたと断言する。
ちくしょう、「背中がススけてるぜ?」と誰か言ってくれ!(←懐かしい見本市のような発言続発)
誰が考えたか、ワンタッチ・ポン。それで傘は片手で開く。
開いて、雨の中颯爽と歩き出す、始めの一歩を踏み出した、まさにその瞬間。
我輩は見てしまった。
見てはならないものを……。

『−−−−−傘が…傘が………縫い目からパックリ破れてるじゃん?うふvvv』

誰かうそだと言ってくれ!!!←心の叫び

この間、使って干した時は、無事だったぞ!絶対!確か!…多分。………の筈(沈黙)−−−−うわ〜〜〜ん!
流石、1000円で買った安物!ナイス呆けだ!(←ヤケクソ)
駄菓子菓子(だがしかし)!
このまま歩き出さねば、電車に乗り遅れる=遅刻v
究極の二者択一で我輩が選んだのは………。

『このまま、GOv』

だった。
−−−−恥ずかしかったさ。
−−−−この21世紀に「破れ傘」さす、一般家庭に暮す若者(←我輩をさすにあたり、この表記であってるかしら?/自爆)がどこにいるぅううううう!
(↑ここにいたし。(滅)/←自ら突っ込む)

人の目はそれ程他人の傘なんぞ見とりゃせん…と思いたかったが、こういうアクシデントがあると、自然に他人のカサなんかみちゃったりなんかしちゃったりして…「ああううう、自分と同じ目線で人の傘見てるヤツがいたら、『ありゃ、なんぞや?』と我輩の破れ傘をみて思っているに違いない!!」とかグルグル考えつつ、勿体無いので途中のコンビニで傘を買うという姑息な手段は使わず、正々堂々(?)破れ傘で通勤する我輩。−−−−そういや、この間の雨のときは、折りたたみ傘(それも使用数回目)をパッとひらいたら、骨組の先に糸で縫いつけられている筈の布が一箇所、ほどけてて、あれもいわゆる「壊れ傘」ってやつよね〜。あはははは。−−−−つか、なんで、どれもこれも、ただ保管してただけで糸が解けて,壊れるんじゃぁあああ!!!(絶叫)ドンガラガッシャン!ちゃぶ台ひっくり返すぞ、おるらあああ!

−−−と、斯くも、これほどに我輩は朝から衝撃を受けたのである。
ちなみに、帰りは会社のホチキスをつかって、縫い目の部分をバチンバチンと10箇所位止めて破れ目塞いで、ぱっと見普通の傘に見えるようにして帰ったとさ。(←荒業)−−−ソーイングセット、持ち歩こう。オトメの嗜みだぞ!とか物思う、今日の我輩(T■T|||

<今日は何の日?>
承久の乱が始まる(1221年)
水野忠邦が天保改革を行うと宣言(1841年)
上野の彰義隊が新政府軍と戦って敗れる(1868年)
犬養首相射殺。5・15事件(1932年)
初のナイロン製靴下が全米で発売(1940年)
コミンテルン(第3インター)が解散決議(1948年)
クリスマス島でイギリスの第1回水爆実験(1957年)
沖縄の施政権がアメリカから返還される(1972年)
プロサッカーのJリーグ開幕(1993年

=記念日=
●沖縄復帰記念日
第2次世界大戦末期にアメリカ軍に占領され、1951年のサンフランシスコ条約の結果、アメリカ合衆国の統治下に置かれることとなった沖縄が、1972年5月15日、27年ぶりに日本へ返還された。沖縄はもともと琉球王国という独立国だったが、1609年から薩摩藩の支配を受け、明治維新に際して日本へ強制的に接収。1872年に琉球王国から琉球藩となり、1879年に琉球藩から沖縄県となった。

……31年前の今日ですか。というのが正直な所である。沖縄は日本で唯一、上陸線が行われた土地であり、数え切れないほどの悲惨な事が実際に起こった土地である。現代人には信じられないような考えがまかり通っていたあの頃、その強迫観念と戦時教育による刷りこみが、数多くの兵士を…そして非戦闘員をも、自ら「死」へと向かわせたのだ。−−−レミングの群が死ぬと解っていながら、海に飛び込むように、「玉砕」という自殺を選び取るようプログラムされた人々が沢山沢山惨たらしく死んでいった土地。でも、その時、彼等にとっては正しい選択であり、後年、今現代の常識をプログラムされている我々からすれば「戦争はよくない。戦争に負けて、降伏勧告があったとする。国際協定的に捕虜は保護されるというのが多くの国では一般的とされている考えかただ。だから投降すれば助かるのに、なぜ日本兵も日本人も投降しなかったのか?玉砕なんてナンセンス」という考え方をするかもしれない。−−−しかし、それは当時の日本に生きていなければ語る事は出来ない話だ。「正しい事」と今、我々が思っている基準は、戦後アメリカが「世界基準」として押しつけたものを日本に適応させた「常識」で一応「世界」が認めている「一般常識」であり「正義」である。それら全てが、あの戦争という時間の中で、全くベツのものを信じ、正義を教えこまれていたのだから、玉砕するという事を決めたその瞬間の彼らの正義を「正義ではない」と、とても云えない。いってはいけない。−−−たしかに戦争中の日本兵が行った一面だけを見れば、「非道」の一語につきる行いが行われていたし、それが「正当」とされていたことは、現代からすれば、「とんでもない」ことだ。−−−しかし、全ての日本兵がそうであったわけではない。命令されれば従わなければならない。それが兵隊というものだ。そして、彼らは確かに彼らの信念に従い、そして、多くの兵士が家族を守るためを信じて、そのために闘っていたのだ。正義とか信念とか、お国の為とか、そういうことより、なにより、闘わなければ家族が幸せになれないと、そんな時代だったのだろうと……戦争、戦後、其れ関連の記念日になると、どうもそういうことがグルグルと回る。過去の戦争という事実に関しては、色々な見方があり、強く主張する人もいるし、右より、左より、新聞も先生も、本もいろいろ言っている。だが、それについて、当事者以外がののしることも、批判することも、するべきではないと思う。ただ、過去にあった事は知るべきだ。知って、そして、未来にいかすべきだという事だけをしっかりおぼえておけば、それで十分であり。あとは、それぞれの国の戦争という傷跡が時折国同士の外交に「あのときのうらみ」「あのときの非道な行為をわすれたか」という感情を持ち出すような事になったとき、高度に政治的なやりとりとやらで、とりあえずカタをつけてくれればイイはなしであり、どうせ、当事者が生きている間は、なにをしたところで、納まるような感情ではないというものだ。殺せば恨まれる。恨みは相手がいるかぎりつづく。いや、いなくても記憶に残っている限りその記憶のなかの相手を恨み続ける…人間に「情」があるかぎり。
沖縄は返還されたとはいえ、いまだに島の半分以上米軍の基地関連に貸出中。それで返したと云えるのか?だが、自衛隊しかもたず、専守防衛をモットーとする日本には、「敵」と証する相手に対して有効な対抗手段は間借り人のアメリカ軍に依存・委託するより術がないのもまた事実だろうよ。金しかださねぇと文句をいうが、逆にアメリカにいってやりたいね。金もらったんなら、キリキリ守らんかい!とね。−−−つかそれ位の役にたってもらわにゃ、いるいみないだろ?あんたたち。−−−と、さりげなくグルグルトークで、わけわかんないが、これは我輩の個人的意見であり、葛藤であるので、読み飛ばすべし。以上

2003年05月15日(木)
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