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くもりのち晴れ
美雨
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2003年05月08日(木)
人間に近づいた?



今日、仕事からの帰り道、母から電話が。
「近所のスーパーが安売りしてるから適当に買ってきて〜」

「あー、はいはい」と返事しながら、嬉しい気分になっている自分にびっくり。
「母から頼まれごとをされること」を喜んでるみたい。

すげぇ〜、どういう心境の変化?

以前からこの日記を読んでくださっていた方ならご存知かと思いますが、私は母に対する反発心をとても強く持っていました。

ホントは無条件で愛してもらいたかったのに、条件付の愛しか与えられなかったことに、そしてそのために生き辛さを感じてきたことに対して、母に訴えたくて、でも訴えても埒があかなくて、苛立っていました。

ここ数ヶ月、「ホントは無条件で愛してもらいたかった」という自分の気持ちに気付き、そして、「ホントに無条件で愛してもらえてなかった?」と自問していたら、いつの間にか、気持ちが変わってきてたようです。


う〜ん、やっと大人になれたのでしょうか。
(すんません、奥手なもんで)





でも基本的に、頼まれごとをされるのは嫌いではありません。
キレるのは、過保護にされた時。
「私ができるということを、何故信じてくれないの?!」と激しい憤りを感じるのです。
(お子ちゃまでごめんよぅ)
これをさらりとかわせるようになるまではまだまだだなぁ。




2003年05月07日(水)
かわいい子には旅をさせろ



日曜日、クラシックのコンサートに行ってみました。

ライブやコンサート、映画や展示会などにはひとりで行く方です。
好みが合う子が周りにいないというのが一番の原因です。
好みが合わない子を誘って、つまらない思いをさせたら申し訳ないし、こっちも気を遣って疲れるから。だったらひとりの方が気が楽だし。

今回もひとりで行くつもりだったのですが、思い直してある子を誘ってみました。
その子には以前、彼女の知人のバレエの発表会に誘われたことがあって、そのおかげで私もバレエに少し興味が出たということもあり、また、彼女も色々吸収したいと言っていたので、まぁいいかなと思って。入場無料だったし。


こうやって趣味や交友関係を広げていけばいいのかな、よし、一歩前進と思いながらもやはりちょっと気疲れしてしまいました。


車の中で彼女の仕事の話などを聞いていたのですが、仕事ができない同僚への批判が出ると、つい、「ごめん、それ、もしかしてあたしもかも。」などと思ってしまってちょっと落ち込んだり。

決して仕事ができないということはないと思うんですけど、私。
今の会社では一番パソコンの技術持ってるし、電話の応対も早いし、諸々の処理も的確だと思うし。同僚ともうまくコミュニケーション取れてると思うし・・・
なのに何故こんなに自信がないのでしょう?

彼女はどうしてそんなに強気なんだろう?と考察してみました。彼女にはやるべきことが見えていて、それに向けて日々の努力を怠らないので、それが自信に繋がっているようです。
私の場合は、日々の勉強や努力をしていないのでそれで自信に繋がらないのかもしれません。



そんな折、今日上司からうれしいひとことが。
「美雨さんって打たれ強いよね」ですって!
「だからもうちょっと叩いても大丈夫だよね♪」などと言われ、「いえいえ、こう見えて繊細なんですからやめてくださいよ〜」などと冗談を言っていたのですけど、そう思われていたということにびっくり。
いくらキツイことを言われても、翌朝はケロっとして出勤してくるからなのだそう。
いや、社会人ですもの、それは当然でしょう(苦笑)
「○○さんのおかげで鍛えられました♪」と答える私。
これってケンカ売ってるのかしら?(笑)

まぁ、この会社にいたら図太くもなると思うのですけど。


で、思ったのです。
仕事でこれだけ図太くなれたのは、ひとえに鍛えられたから。
だったら、人間関係で傷ついたり疲れたり落ち込んだりするのは、鍛えられ方が足りないから?
つまり、人との交流が足りないから?

たくさんの人と交流してたら、いちいちそんなことにかまってられなくなりますよね?

人の心は大事にしつつも、自分の心はあまり気にしない、そういう図太さを身に付けたいと思う最近です。






2003年05月06日(火)
なんか見えてきた



私は、私のことを知ってもらいたくて、私のことを愛してもらいたくて、ずっと、「もっともっと」って欲してきた。

「彼氏」が欲しいのも、私のことを一番に想って、私のことを理解して、私がありのままの自分でいられることを認めてくれる人が欲しいから。


自分に自信が持てないから、人から自信を与えてもらいたいのだ。
人を使って、自分に自信をもたせたいのだ。
たとえば「彼氏」「音楽」「ミュージシャン」「作家」であったり、または(自分を大きく見せて、人から感心したり尊敬してもらうための)「知識」や「経験」であったり・・・


カウンセリングがいいなと思うのは、「ありのままの自分」が肯定されるから。
「ありのままの自分」でいいんだという安心感と、「自分が理想としている自分」になれるという自信と希望が与えられるから。
ただ話を聴いてもらうだけなのに。

ただ話を聴いてもらうだけだけど、ひとりで悶々としているのとではやっぱり全然違う。
そこには「人」がいるから。

悪く言えば「手段」として使ってるだけかもしれないけど、それを他者に求め、そして失敗するよりもずっと建設的でいいことだと思う。
というか、それが彼らの仕事だし。



花が枯れかけてたら、誰かが水をやらなきゃ。
(それと太陽の光もね)



あ、それで、何が見えてきたのかというと、この渇きがおさまったら、きっと私も人に対して「自分」が出せるようになるんだろうなということ。

「私」をこの世に存在させることができるようになるんだろうなということ。

人から与えられることばかりを望むんじゃなくて。
人に、「私」を与えることができるようになるんだろうなと。

思いやりであったり、心遣いであったり、ユーモアであったり、とにかく、人にとって大切なことを。


もちろんそれは、今の私にもできることなんだけど。



もうちょっとまっててね。