ウェブ日記
2007年01月01日(月) ワケギとウィーンフィル
ワケギとウィーンフィル

アデレードには葱や玉葱みたいな植物がたくさんあるけど、 日本で見られないので、未だ正体を掴めないものがある。 その1つが、先日初めて中央市場のアジア食材のスーパーで買って来た、 ラッキョウのような根を持ち葱のような葉を持つ野菜 --スプリングオニオンより細み-- である。 これはもしかしてワケギなのかと思いネットで調べてみた。 '80年くらいの園芸雑誌「趣味の園芸(NHK出版)」には ワケギは葱の変種と書かれていたけど、 ネットでは何とシャロットと葱の雑種と紹介されている。 だけどなかなかソースが見付からなかった。 でもやっと見つけた。

田代洋丞(1984)ワケギの起源に関する細胞遺伝学的研究、佐賀大学農学部彙報 56:1-63 (Tashiro, Y. (1984) Cytogenetic Studies on the Origin of Allium wakegi Araki, Bull. Fac. Agr., Saga Univ. 56:1-63)。

この記事は佐賀大学農学部彙報 のウェブページからpdfで利用できる。 こちら同様日本でも農業の研究がちゃんと行われているんだね。 なのにどうしてあちらの農作物や食品は高くて競争力が無いのだろう (こちらでは日本産の食品の値段は他国産の倍はする)?

夜ロッジの仲間とテレビでウィーンフィルの新年演奏会を見る。 ズービン・メータが指揮。 彼がインド出身であることをベンガル出身のSDが教えてくれる。 見たのは第二部で、 ポルカが退屈だったけど、 後半の演奏は良かった。 例年通りきれいなバレリーナ達がバレリーノ達ときれいに踊ったけど、 彼らはホールの観客には見られないのね。


2006年12月31日(日) 朝からいいニュース/中華街の缶詰/2006年最後の瞬間は花火に消えた
朝からいいニュース

死刑執行ですか?それも絞首刑ですか? 自国民を虐げる為政者は他国によってでも除くべき。 次は東アジアの将軍ですか?

中華街の缶詰

アジア系の食堂の半数くらいは12月下旬から1月上旬まで休むことが多いけど、 こちらの年末年始は日本と比べ店が長い間閉まらない。 それでも買物に少し不便なので、 これを機会に今月下旬から今までほとんど買わなかった アジア系の缶詰とインスタント麺(個別包装のもの)を買って試食することにした。 前者についてはほぼ飽きるまで食べたので、 少しここにまとめてコメントする (特に断らないときは中国産)。

最初に頂いたのは楕円形の缶(容量200 g弱)に 汁抜きで入ったリョウ魚 (リョウは綾の字の糸編を魚編に換えたもの、英語ではdace)や 鳳尾魚。 値段は1.5ドル前後で甘辛く唐揚されている。 味は日本の蒲焼きや大和煮より個人的には好きだけど、 魚の違いが分かりにくいし油が多い… 味付けの豆シ(ブラックビーン、シは鼓の左側の部分を豆に換えたもの)がおいしい。

台湾産好媽媽ブランドの鰻の缶詰は 日本の鰻の蒲焼きの缶詰と素材も味付けも違う。 身は硬めでぶつ切りに近く、 味付けには豆シや五香粉が使われる。 個人的には好き。 100 g 1.7ドル。

野菜は1缶のみトライ。 梅林(Maling)のPickled cabbage(雪菜)は200 g 75セントと安価。 高菜の漬物のような味。 塩気が濃いので料理の素材にしか使えないのが残念。

ランチョンミート(午餐肉)は360 g 2ドルくらいで 何ブランドか選べる。 厦門・古龍(Gulong)のは発色剤である亜硫酸ナトリウムが無添加。 イージーオープン缶が少し開けにくく、 味はどちらかと言えばプレーンだけど品質は良かった。

一番私の好みだったのは回鍋肉。 日本のものと違い野菜には筍が使われる。 198 g 1.35〜1.5ドルくらい。 明発(Ming Fa)と梅林を試したけど、 どちらも四川風でなかなか辛い。 グリコカレーLee (私のお気に入り、20年のロングセラーが嬉しい)に例えると 「辛さx10倍」以上と思う。 明発の方が筍の歯応えが良くて好き。

あと東南アジア産の鰯のトマト漬については 缶を捨ててしまって細かく書けないので後日また書く予定。 原産国やブランドにより価格差が大きく、 日本のものより添加物が少なくておいしい。

2006年最後の瞬間は花火に消えた

2006年最後は自分の部屋で来年のやりたいことを 頭に浮かべながら過ごそうかと思っていたら、 夜ロッジの住人からシティの花火大会に行かないかと誘われ 二つ返事で参加(誘われるのはありがたい)。

行きのバスでは酔っ払って粗野で下品な言葉を話す若僧どもに悩まされ、 オージーのイメージを悪くさせられたものの、 バスを降り会場のヴィクトリア広場と車両通行止のウィリアム王通りに着いた頃には そんなつまらないことは忘れてしまった。

アデレードの西の海岸の町グレネルグへ人が流れたので、 こちらの会場はそれほど混んでいないと 私を誘ったベンガル州の留学生SDが説明した。 年が変るまで路上の臨時ステージでロックコンサートが催されたが、 私がそんな好きでないブリティッシュ/オージーばかり 演奏されたので始めはつまらなかった。 でも「ラジオスターの悲劇」 --未だに歌詞を知らないでいる-- が流れて元気に。 この曲はU2の曲同様古くならないね。

ゆっくりしたカウントダウンの後 「蛍の光」が会場に流れ 小さめだけど派手な色の花火が次々に打ち上げられる。 ドイツ人住人BHと抱き合って新年を喜ぶ。

眠かったので花火が全部打ち上げられたら、 ロッジの有志と一緒にバスで帰宅。 元日の深夜は無料。


2006年12月28日(木) 名古屋圏人のはらわた
名古屋圏人のはらわた

私の世界観を大きく変える出来事が起きた。

数日前、ウェブ百科事典 ウィキペディアの パロディのウェブサイトアンサイクロペディアを訪問、 名古屋共和国の記事を見て面白がる。 日本で時々耳にしたけど、 彼の土地の人が閉塞性が強いと紹介されているので、 一昨日「名古屋 閉鎖的」の言葉をぐぐってみたら、 約12万件もヒットしたので驚いた。

そして、検索されたウェブページの中からこんなウェブサイトを発見した (名古屋みゃーみゃー通信第22回)。 そこにはおそるべきことが書かれていた。 あまりに衝撃的だったのでここに引用する。

名古屋っ子は必ず恩返しをします。 しかし、やられた仕打ちに対しては 例えそれが一時的なことだったとしても、冗談だとしても、 名古屋っ子は一生根に持ちます。 それでも良ければ名古屋をあざ笑って下さい。 これは脅しなんかでは決してありません。 悪口を言う際は、一生名古屋を敵に回す覚悟をしてください。

このウェブページには例として 戦後すぐ潰れそうになったトヨタ自動車の 再建支援を断った住友銀行と川崎製鉄が それらが地元の企業と合併するまで 半世紀も出入り禁止となったことを挙げている。

企業は己の経営に問題があったから倒産寸前になるので、 恨むとすれば自身である。 他の企業はそんな問題のある企業の再建の協力を拒むのが普通なのに…

トヨタは特別な例と思っていたら、そうではなかった。

以前はこちらがつれなくして申し訳なかったのにもかかわらず、 半年前あることがきっかけで仲良くなってくれて、 笑顔で挨拶してくれて、 親切にして貰ったことのある愛知県出身の留学生がいる。 でも、また私の過ちが元で、 あちらからは最近3ヶ月の間こちらが挨拶してもろくに返事を貰えなかった。 謝ったのに。 あまりに態度が酷いので、それは正しいことかの旨メールしたら、 半年以上ろくに挨拶の返事をしなかった人に 最近の自分の態度が正しいかどうか聞かれても困る、と返された。

私はショックだった。 自分の非をなかなか認めない人は世の中に多いので、 それはまだ良い。 でも、まさか仲が良かった日々でも あちらは私の無礼を根に持っていたとは全く思ってもみなかった。 あまりのショックに終日寝込んでしまった。 あのウェブページの内容は、やはり事実だったのだ。 その後あちらには、そちらがどんな人かよく分かった旨の最後のメールを送信した。

私は今まで何人かの愛知県とその周辺出身の人に (名古屋圏外で)出会ったことがあったが、 正直言って何度もどこか彼らに、 他の出身の人には感じられない違和感を覚えたことがある。 うち1人(愛知県出身)は、 私を一度嫌いになってから、何度謝っても、 最後まで私を許さなかった。 今までは私に問題があると信じて疑わなかった。

織田信長は、自分に一度でも刃向かった者を最後まで許さなかった。 柴田勝家は許されたけれど、 彼は尾張出身であるのを忘れてはならない。 特殊部隊の経験者であり愛知県出身の柘植久慶氏は 著書「フランス外人部隊から帰還した男 (飛鳥新社、1987年))」で、 自分を馬鹿にした兵士を訓練中脳挫傷であの世へ送った --この事件は事故として処理された-- と記している。 彼らの行動は上のウェブページを読めば、 容易に理解できる気がする。 もっとも命の遣取りが行われる場所は 平時の常識が通用しないのだけど。

根に持つ者は、 日本では相手にされないくらいで済むけど、 ヨーロッパを含む外国では、 命を落とすかもしれない。 キリスト教では他人を許すことの大事さを何度も説くので (例:主の祈り)。

ともあれ、 あのウェブページの発見と 最近の私に起こった出来事がきっかけで、 私の名古屋圏とその地の人々や企業に対する見方は 決定的に変ってしまった。 あそこは、海外在住の私が知った最初の「異国」である。

(29 Dec 2006に28 Dec 2006付で記、30 Dec 2006細部の追記)


2006年12月18日(月) "All your base are belong to us"
"All your base are belong to us"

ウィキペディア で英語について少し調べ物をしていてこの文句を発見。 その後「Engrish (こちらは知っていた)」と 「Chinglish」に関するウェブページを探して読んではまる。


2006年12月17日(日) 今日の新解さん
今日の新解さん

今朝「ダッチ」を引いたら、 驚いたことに無かった。

山田忠雄他(篇) (2005) 新明解国語辞典、第6版、小型版、東京:三省堂。


2006年12月14日(木) 「歴史言語学と日本語の起源」
「歴史言語学と日本語の起源」

昨日触れた日本語の人称についてネットで情報を探したところ、 古代日本語の人称代名詞に関する考察 なるウェブページを発見。 古代日本人の言葉は全うだったんですね。 このページはロゼッタストーン氏のウェブサイトの一部で、 他のページを読むと専攻や分野に関らず、 学問のやり方は共通していることを強く感じた。 このサイトには面白い読みものが多い。


2006年12月13日(水) こちら、そちら、あちら
こちら、そちら、あちら

昨日 ことばや言語関係の雑記集我々」について書いてから、 こちら(我)、そちら(相手)とあちら(それ以外、よそもの)について今朝ふと気になって考えた。

まず言語についてさらに考える。 「我々」の項に書いた通り、 日本人と中国人には、少なくとも言語の面から見ると、「我」が無い(確かでない)。 「我」は1つしかないのに言語では複数の表現「我々(我我)、我ら、私達/我們)があるから。

それでは相手とよそものについてはどうかと言うと、 中国人は言語では区別する(なんじ(イ尓)と他人(他))のに対し、 日本人は実はそれほど区別していない。 何故なら「あなた」は本来あちらとか遥か「かなた」、 つまり元々第三者の意味なのに「そなた」、 そちら、つまり第二者と同じ意味だから。 そもそも日本語には英語のyouに相当する言葉が、無い (これについては「「ユー」と敬語」の項で触れた)。

さて、このような言語が人々の世界観を支配しているとしよう。 そして、この世界が「我」、「相手」と「それ以外」だけでできているとしよう。

すると多くの国の人達はこれら3つがちゃんと区別できる。 これが「普通の」世界観と言える。

これに対し日本人は「我」がはっきりしないうえ、 「相手」と「それ以外」も区別できるかいまいち分からない。 「我」も「相手」も「それ以外」も互いに区別できず、 ぼんやりと存在しているのが日本人の世界観となる。 家庭で母親が子供の前で父親を「お父さん」と呼んだり (註1) 自分を「母さん」と呼んだり (註2) 会社で他の人を肩書(つまり課長、部長等々)で呼んだりするのを思い出すと納得。 その他「おのれ」の意味は何だっけ? 島国なので領土は外国とはっきり区別できるのにね。

一方中国人の世界観は「我」がよく分からないけど「相手」と「それ以外」ははっきり存在するもの、となる。 私はうまく想像できない… ちなみに私の持つ中国人のイメージは「中国人のはらわた(連根藤 (1989)、はまの出版)」に書かれている。

ここからは言語の話題から離れる。 では、「それ以外」がよく分からないけど「我」と「相手」ははっきり分かる世界観は… 神様あるいは恋人に向かっている人が持つものと言える。

では、「相手」がよく分からないけど「我」と「それ以外」がはっきり分かる世界観は… これってもしかして…「ウリとナム」? そう言えばあちらにもyouに相当する言葉が無い(と言語の話題に戻って終る)。

(註1) 妻はまだ良い方かもしれない。 と言うのは夫の中には名前も代名詞も使わず 妻を「オイ」で呼んで済ませる奴らもいたから(今もいるのかな?)。

(註2) 私はこのような呼び方がものすごく苦手なので日本女性はめとりたくない。


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