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2001年07月15日(日) 子供心全開!

 我ながら、なんて単純な人間かと思う。
 芝居の出来がいいと、気分がいい。悪いと、嫌な気分になる。
 舞台稽古から休演日なしに一週間以上やってきて、明日ようやく休める、という疲れもピークの公演。疲労がたまって声を潰した俳優を、まるで我が子を案ずる母親のように見守って1日を過ごした。一回りも二回りも年上の俳優を、である。
 そういう職業なのかもしれぬし、それがわたしの性(さが)なのかもしれぬ。

 明日は、休演日。ドライブに誘ってもらったので、ドライブへ。わたしはきっと子供に戻る。
 結婚していないせいか、それもまた我が性なのか、遊びにいくとなると、「子供ごころ」にすぐ回帰してしまうのがわたしの常だ。
 今から、着ていくことに決めたワンピースの丈詰めをする。山に向かうというから、川遊び用の着替えも用意しよう。リュックにビーサンを詰め、サングラスだって二通り持って、はしゃいではしゃいで、車の中で歌を歌って迷惑がられる。ああ、楽しそう。
 ウキウキすると、またきっと眠れないだろうから、これまたウキウキして「ハリー・ポッター」の続きを読もう。ホグワーツ魔法学校の生徒になって、夜を過ごす。
 ああ、こんな阿呆なことばっかり書けるのは、まさしく明日がお休みのせい。ありがたい!


2001年07月14日(土) 仕事のあとはハリー・ポッター。

 本日は、2回公演。いろいろと事件が起こって、なんだか気疲れでくたくたになってしまった。帰宅して、ただぼうっとしている。
 日本中の人が、今そうかもしれないが、毎日暑くて寝付きが悪い。
 今日の救いは、本屋でハリーポッターの3巻目を入手してきたこと。
 
 明日を迎えるためのリフレッシュ、今夜はこの本とともに。


2001年07月13日(金) 猛暑を楽しむ。

 無事初日を開けて(多少のトラブルはあったが)、今日で5日目。
 相変わらずの劇場暮らしで、ようやく夜1回公演かと思うと、ついつい前夜飲み過ぎたりして、結局、人として機能しているのは、仕事している時だけ。
 世事からは遠くなるし、かつてのように僅かな時間を利用して何か書こうというような動きもない。心震わせる何かは、仕事場以外になく、自分からそれを産み出そうという意志がない。いや、ないはずはないのに、ちょっとくたびれているのだと思う。良き触媒が天から降ってきたりしないものか・・・。

 ただ、たまりにたまっていた肉体の疲れは少し和らぎ、猛暑の中、自転車を飛ばして劇場に通ったりしている。渋谷まで、本来なら30分の道のりを、はじめは地図も見ずに飛び出したから迷いに迷って、1時間ほどもかかってしまった。今は近道を教えてもらい、走りやすい道をすいすいと快適に走っていける。うっすらと二の腕が日焼けしていくのも楽しい。
 若い頃から、日焼けを恐れたことなど1度もない。皮膚が老化するなら、するにまかせよ、と思って夏を過ごしてきた。確かに肌はくたびれてきたかもしれないけれど、それは年相応のもの。親から与えてもらった体を大事にしようとは思うけれど、あまり惜しんで使うのもどうかと思う。思い切り使い切るってのが、やはり気持ちよいのではないかしら?
 もうすぐ、40歳になろうかというわたしだが、いつまでも元気な不良でいたい。ふらふらと自由でいたい。たとえ、そのために捨てるものがたくさんあっても。



2001年07月08日(日) わたしの仕事の原動力。

 今日、舞台稽古を終えて、やっとこのページを更新しようという余力が戻ってきた。
 11時には家にたどり着ける日もあったのだが、何しろ仕事のことが気がかりで気がかりで、それ以外のものは何も手につかなかった。ただ、翌日の仕事のことを考え、翌日のために眠りをとり、仕事場にいけば仕事以外の何もない。とにかく、心配で仕方なく、出来上がるべき舞台のことばっかり考えて暮らした。
 明日の初日を控え、まだ不安材料だの努力すべき点だのは残っているのだが、少なくとも、「見えた」。
 今ないものを望むのではない。今あるもの、今できることを、最高の状態に持っていくことが、わたしたちの仕事だ。それがなんとか出来そうな見通し。それが「見えた」のだ。

 初日を控えた緊張とともに、テストの最終日を明日に控えた高校生のように、ちょっとばかり解放された自分の身の振り方を想像してワクワクしたりもする。と言ったって、OFFはまだ1週間以上先なので、ただ、読みたかった本がガンガン読めるぞ、といった程度のものなのだけれど。
 まず控えているのは、ギュンター・グラスの新作、「わたしの一世紀」。これはなんとも面白そう。扉を開けるのが楽しみである。

 さて。
 わたしはこうして、連日連夜、仕事のことで知力と体力を振り絞り、また、人間関係から生まれるものに一喜一憂しながら、細々と、それでも生き生きと暮らしている。将来への不安や現実への苛立ちは山積みだが、それでも、毎日が楽しい。
 それで。
 今日、最寄りの駅に降り立ち、いつものように自転車置き場にたどり着くと、入り口にバットを持った少年が立ちはだかっていた。大変な身の危険を、わたしは感じた。一度通り過ごして、また戻り、それでも彼がいるので、仕方なく反対側の入り口から入って、彼の立ちはだかる近くに停めてあった自分の自転車のところまで行った。
 結果から言えば、何もなかったのである。彼は、たまたまバットを持ってたまたま人を待っていたのかもしれない。それでも、一瞬、わたしは、「こんな時に理不尽に襲われたり命を落としたりすることだってありうるのだ。そうすると、わたしは今日の眠りをとることも、明日仕事場に行くこともできないのだ」と感じた。実に冷静にそう感じながら、バット少年の前を通り過ぎた。
 どんなに自分の生活と真摯に向き合い、苦しみ楽しんでいても、そんなものは一瞬で無に帰されてしまう可能性のある時代だ。

 わたしたちをこの生活に、現在に、つなぎ止めるのは、髪の毛1本くらいの危うい幸運によるのだ。
 その幸運を、とてもありがたく思う。だから、同じ幸運を享受して、明日劇場にくることを楽しみにしている観客に、ちゃんと劇場にたどり着けた観客に、少しでも良いものを、と思う。

 こんな時代でも、こんな国でも、わたしは同じ地平に立つ人たちと、生きていることを喜びたい。それが、わたしの仕事の原動力だ。かっこつけてるわけでもなんでもない。愚かしくも一生懸命暮らし、ぎりぎりのところで闘っていると、そんなことをチクチクした傷みとともに感じるのだ。

 さあ、また明日がやってくる。いつもと同じだけれど、わたしにとって、いつもと少しばかり違う明日、だ。


2001年06月29日(金) いよいよ佳境。

 明日は稽古最終日。あさってからいよいよ劇場入り。初日からたぶん泊まり込み。
 このページの更新もままならなくなってきた。
 PowerBookは劇場に持っていくものの、果たしてわたしに、自由になる夜の時間があるだろうか?

 初日まで、あと10日。もう、ただひたすらに、働きます。


2001年06月26日(火) 夢見ていたのは午睡。

 稽古場をひとりで切り盛りする羽目になって、大変な思いの昨日。「いやあ、頑張った頑張った!」と人知れず自分を誉める。
 仕事が終わって。「長らくバイクに乗せてもらったことがないよう!」とぼやいていたわたしを、若い奴が乗っけて帰ってくれる。さいたまから東京に向かう先日の高速沿いを今度はバイクで走った。久しぶりの風を切る感覚にわたしはご機嫌。「この川まで歩くと2時間かかったんだよね」とか回想しつつ。しかし、バイクで1時間以上かかる道のりを歩いて帰ろうってんだからね。まったく馬鹿なことをしたものである。

 本日は闘いの日々の前の最後の休日。
 平日家にいられたことがないので、朝から区役所やNTTをはしご。太陽が見えていたので、自転車を漕ぐのが楽しくって。遠回りをして、川沿いの公園を突っ切っていく。緑のアーチをえんえん抜け、水浴びする鴨たちの姿を楽しんで。
 で、とうとう4月に申し込んでいたADSLが開通。もう、その早さに子供のように目をまん丸にするわたくしでありました。

 しばし我が家のベランダで本を読み日光浴し、夢見ていた「午睡」ってやつを無理矢理1時間して、打ち合わせに出向き、芝居を1本観て、そろそろ日付が変わる。
 実は明日発注のコンピューター仕事が残っており、これから励む予定。後輩に任せていたら、突然のギブアップ宣言を受けてしまったのだ。まったく、もう! 


2001年06月24日(日) 深夜、さいたまから東京を目指す。徒足にて。

 今日はお休み。滅多に味わえないお休み。
 で、昨夜は仲間達と焼き肉とビールの夜。さんざん仕事の話をし、さんざん酔っぱらい、さいたま市にいるというのに、終電に乗り遅れる。わたしったら、何を思ったか「歩いて帰る!」と宣言してしまった。酔った勢いで「俺も歩く!」とつきあってくれる男性が二人。後先考えず、高速に沿って歩き出す。
 もう、ただっただ歩いた。荒川にさしかかるまでは、競歩の乗りで歩く。心優しい男どもがPowerBook入りの重い鞄を持ってくれたので、わたしは両腕を大きく振ってご機嫌に。6・ヒールのサンダルなんぞ履いていたので「その靴じゃあ・・・」と水を差されるが気にしない。
 高速沿いの道はなんの変化もない面白くない道で、歩くことそれ自体のみが楽しみ。
 途中で調布に向かう男性と別れ、二人で歩き続ける。別に恋人でもないし、お互いその気もないのだけれど、楽観的な苦行僧のように「歩く」ことを共にした。休むところがないので、道ばたに新聞紙をひいて休憩しては、歩き続けた。
 夜が明けた頃には、わたしの足には4つの大きな水ぶくれができており、足の裏の筋肉はパンパン。たかだか6時間歩き続けたくらいで情けなかったが、池袋に私鉄線で3駅というところまででギブアップした。
 家にたどり着くとすでに7時前。
 せっかくの休みの前になーんでまたこんな馬鹿なことをしてしまったのかと悔やむ気持ちと、「ォっもちよかったあ」と思う気持ちと。

 今日は仕事のことを何も考えず、過ごした。

 明日は働く。



2001年06月20日(水) 曖昧な記憶の中に映える、黄色いワンピース。

 気がつけば、4日も書いていなかった。
 予期せぬ泊まり仕事でパソコンを持っていない時や初日前の繁忙期以外で、4日書かぬというのは珍しい。
 何より、わたしは書かなければ物事を考えられない人だ。たとえすべてを文章で追っていかなくても、「今なにを書きたいか」と紙やキーボードの前に向かって、はじめて思考が始まるタチだ。「知らぬ間に書いていること」で、今の自分がわかってきたりもする。だからとりあえずこのページに何か書き付けたり、そのあともキーボードに向かってあれやこれやとつまらぬ文書ファイルをふやして夜を過ごすのだ。
 ってえことは、ここ4日間は、なあんにも考えたくなかったのかも知れぬ。仕事を終えて家にたどり着いて、ビールを1本飲んだ時点で、ただっただ、眠ってしまいたかったのかもしれぬ。
 考えるべきことや書くべきことがあると思っていても、眠ってパスしてしまいたかったのだな。そしてまた、このことろ書きたいことが重ーいことばっかりだったので、書ききれない自分に直面するのが辛かったのだな。
 これは、あの宅間ナニガシの起こした事件から、ずっと思っていたことだ。
 何をどう書いても埋めきれないものがそこにある。
 理不尽な犯罪という側面からも、精神障害者の待遇という側面からも、様々な精神の病み方病んだ人という側面からも。

 10代後半から20代前半にかけて、被害妄想に陥って他者を必要以上に恐れたり、外出拒否症になって2ヶ月ほとんど家を出なかったり(寮生活だったから、お腹が空いたらコソコソと賄いだけ食べにいっていた)、セックス過信だったりセックス不信だったり、過食症だったり拒食症だったりした時の自分を思い返してみる。その頃は抜けられずに真剣に闘ったものだが、今は自分のことながら、思い出すのさえ難しい。だから、妙に社会人として落ち着いてしまった今となっては、他者と関わる時、知らぬ間に傷つけないようにと、必要以上に気を遣う。辛かった頃の記憶は漠然と残っているから。

 ひとつ、とってもリアルに思い出せること。
 外出拒否がとけたのは、1枚のワンピースがきっかけだった。
 母が、オーダーメイドで作って、宅急便で送ってくれた黄色いサンドレス。
 母はわたしが外出拒否症に陥っていることなどつゆ知らなかったのに(電話では変わらずしゃべっていたし、私自身、母と話す分にはまったく臆するころがなかった)、送ってくれたワンピースが余りに可愛くって、着てみたら、みっともないみっともないと信じていた鏡の中の自分がちょっとばかり可愛く見えて、外に出てみたくなった。
 黄色い色が映える陽射しの眩しい日を選んでわたしは外に出た。久しぶりに。わたしは何を恐れていたのだろう、と、いきなり靴は快活な足音をたてた。

 その後。黄色いワンピースは、仕事で出会った、傷ついたアイドル志望のタレントにあげた(彼女は夢やぶれて故郷にすぐ去ってしまったが)。
 ワンピースが手元になくなってからも、黄色はわたしの大好きな色になり、4月の引っ越しでインテリアを選ぶときは、知らぬ間に黄色をいっぱい選んでいた。カーテンもソファーカバーも、ラグも、ベッドカバーも、みーんな優しく柔らかい黄色で揃っている。

 今日書けることはその程度。かつてあった自分の、曖昧な記憶。
 悔しいかな、または、嬉しいかな、人は忘れていく生き物なのだなあ。


2001年06月15日(金) 書けない日の、書けない人の、戯言。

 稽古は休みだったが、スタッフは相変わらず作業のために集合。サム・メンデスの「キャバレー」のチケットを買っていたわたしは、まわりの非難を省みず、半日であがって、劇場へ。

 直球勝負で、てらいのない演出に感動する。世界が滅亡しない限り消えることのない深い傷を描く時に、何のてらいが要るだろうか! という演出家のストレートさが、わたしを打つ。(「キャバレー」はナチスのユダヤ人迫害が二世代のカップルを引き離していく様を描く物語。)
 
 感動のあれこれを具体的に書きたいのだが、感動のあまり飲み過ぎて、どうにもこうにも。

 そして。

 朝、自分が書いた文章(すぐ下の6/14付け)に関する、心乱れるメールを受け取ったことに言及したかったのだが、それも、今夜は書けそうにない。ずっとそのことに心囚われる1日だったというのに。

 こうして、書くべきことが書きたいことが自らの中に渦巻いているのに、書けない書かないことの辛さったら。

 って、たいそうなことではなく、只わたしは酔っぱらっていて、明日の仕事が早く、それも朝から勝負を控えているから、というようなこと。

 わたしは、こんな風にいい加減に、毎日書いている。

 それでも、扉にあるアイザック・ディネーセンの言葉のように、絶望もなく希望もなく、只ひたすらに書いてはいるのです。

 じっくり書ける時を待ちなさい、と、わたしは自分自身に問う。

 今夜は人並みに眠るとして。


2001年06月14日(木) 昨今の車内。

 現在の仕事場が埼玉県にあるため、毎日電車に乗っている時間が多い。朝はだいたい新聞を読んでいるかグウグウ眠ってしまうかなのだが、帰りは深夜の車中で仲間たちとしゃべったり、ビールを飲みながらぼうっとしていたり。そういう時に、車内の人間観察するのは楽しい。まわりの人たちを一人一人見ながら、この人は今日どんな1日を送ったのかとか、どんなところに帰るのだろうかと、想像する。
 そういう時に感じるのが、このところ、変な人、得体の知れない人が、ずいぶん増えたな、ということ。
 何より、目で分かる。どんよりして焦点の定まらぬ目、忙しく動き回っては悪意のようなものをのぞかせる目、ひとところに異常な集中を見せる目。そういう人は往々にして薄汚れた服を着ていたり、「いったい何が入っているのだ!」と疑問を抱かせる不穏な荷物を持っていたりする。或いは同じ運動を繰り返していたり、独り言を言っていたり。
 人と一緒に乗っているとまだ安心できるが、一人で乗っている時は、少しでもおかしな人を見つけたら、わたしは迷わず車両を移ることにしている。余り気分のよいことではないが、こういう時代に我が身を守るには、仕方のないこと。
 そんな安心感に欠ける昨今の車内で、相変わらずわたしを楽しませてくれるのは、たくましいおばちゃんたちだ。
 この間見かけた、背の低いおばちゃん。近所で大安売りでもあったのか、パンパンにふくらんだショッピングバッグを持っている。勢いよく乗り込んできたおばちゃんは、混んだ車内を一通り点検して空席のないことが分かるや、「はいはい」と言いながらショッピングバッグに手を突っ込んでもぞもぞ何やら探したかと思うと、大きなS字の引っかけ具(あの、鴨居とかに引っかけて、ハンガーとかを吊すやつ!)を出し、つり革に引っかけてつかまったのだ。
 このおばちゃん、背が低いから通常のつり革につかまるのは大儀なのだ。で、Myつり革を持ち歩いているわけ。なんだか、たくましくって、いいじゃない! 何駅か過ぎて、空席が出きると、素早い動きでMyつり革をはずし、しっかりお尻を間隙に割り込ませた。
 こういうささいなことが、車内では楽しい。
 それぞれの人に、生活があって、それぞれの人が、せいいいっぱいその暮らしを生きているのを知るのは、嬉しい。すれ違う人、すれ違う人。貧富の差があれ、多少の幸不幸の差あれ、みな「生きてる」って感じさせてくれる場所にいたいな。


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