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三浦雅士の「青春の終焉」という評論を読み始める。
雨の音を聴く薄暗い夜明けから、俄に晴れ上がり白い光が部屋に注ぎ込む昼へと、なんとも美しい日曜日であるのに、わたしの仕事は遅々として進まず、悶々としている折りに読み始めた。
20世紀初頭から日本に流布し、日本の近代文学界を席巻した「青春」ということば、60年代後半の学生闘争と共に死語となってしまった、当時は「人生」に置き換わりさえした「青春」ということばの概念を、解き明かそうとするこの書物。
ゆっくりと序章を読み終えただけで、もう今日という1日が価値あるものに思えてくる。
何にも出会わない1日ほど淋しいことはない。そして、こういう書物との出会いが、わたしの無為な生活に輝きを与えてくれる。
読み終わったのはまだ序章だけだし、それを要約して伝えることも意味がない。
ただ、本書読書中の印象とは関係なく、引用されていた三島由紀夫の文章を、是非、写してみたくなる。(※の注は、ワタクシがつけたもの)
***
「佐藤春夫氏についてのメモ」 三島由紀夫
大正以後の作家の成長には或る型がある。一様に青年期には、時代の頽廃を一身に背負ったやうな観を呈する。彼はその自らの頽廃を精選する。頽廃の精髄をつかまうとする。さうしてゐるうちに、自分であれほど自信を抱いてゐた頽廃の根拠があやしくなる。頽廃と見えてゐたものは、実は青春の別名であり、近代西欧の教養の洗礼にすぎなかったとも思はれてくる。このとき、徐々に作家の本来的なもの、風土的なものがあらはれてくる。そして青春と壮年、西欧と日本との調和や総合が企てられはじめる。
明治以後、西欧とは日本にとって青春の別名であった。これを裏からいふと、青年の嗜好に愬へぬ(※)ような西欧思想は、ひとつとして輸入されず、又たとへ輸入されても、ひとつとして普遍化されなかったと云っていい。
さて、詩人とは、自分の青春に殉ずるものである。青年の形態を一生引きずってゆくものである。詩人的な生き方とは、短命にあれ、長寿にあれ、結局、青春と共に滅びることである。
これだけの前置きが、どうしても佐藤春夫氏を語るために、私にとっては必要であった。
小説家の人生は、自分の青春に殉ぜず、それを克服し、脱却したところからはじまる。
かういふ小説家的人生と、詩人的人生との、明瞭な、しかしイローニッシュな対比が、芥川龍之介と佐藤春夫との間に見られる。芥川は小説家である。彼は本来、自分の青春から脱却して生きのびるべきである。それなのに、それを果たさずして芥川は死んだ。佐藤春夫は詩人である。氏は自らの青春に殉ずべきである。それにもかかはらず、氏は老来ますます壮健である。(※)この対比は、まことに皮肉で、運命的だった。
青春の懲罰を一生受けつづけねばならぬといふことに詩人の運命を見て、おめず臆せず、その運命に従って生きてきた氏に敬意を払ってゐる。
※愬=訴(愬は、訴より、心的情的な「うったえ」に使われた漢字)
※三島はこれを別の文章では、
「本来夭折すべき作家が生き長らえ、しかもその危険な青春から身をそらせて生きたとみえてじつは果たさず、青春の衣裳をそのまま着つづけて(もし夭折していたら美しい屍衣になっていたであろうものを)、おのれの青春に対する盲目的誠実が、ついには、そのまま不誠実と化してしまったドラマ」
と言い換えており、佐藤春夫が青春の美に殉じなかったことを惜しみ、にもかかわらず生き延びてしまった姿を憐れんでいる。憐れみもまた、美の鑑賞のひとつの形態であるとして。
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益のない写しなどし、相変わらずの無為の中、こうしてまた1日、終わる。
2002年01月26日(土) |
雨の朝 ●森のなかの海〈下〉(宮本輝)・井上ひさしの作文教室 |
わたしの朝型は、すでに確固たるものなりつつあるらしく、二日酔いで遅く寝覚めた昨日でも、午後10時を過ぎると眠くなる。1日分、時間を少し損したような気分にもなるが、こうしてちゃんと午前5時過ぎに目覚めると、気分がいい。
雨だ。今年初めての雨の朝。陽が昇る時間に降っているのは、たしか、はじめて。間断なく地面に降り立つ水の粒の音や、濡れたアスファルトをゆく車の走行音。遠巻きに耳に届いてくるいつもと違う音。このところ朝の静寂を一人ひそやかに楽しんでいるが、雨が降ると、いつもより音の要素が多いはずなのに、またぐっと違う趣の静けさを感じてしまう。なぜ?
長い間の夜更かしと不眠症生活で、朝とのつきあいが人より少ない。わたしは朝のことを何も知らない。しばらくこうしてつきあえるのだと思うと、無為の毎日であっても、ほんのり嬉しくなってくる。
2002年01月25日(金) |
眠くても、そこに酒があると ●森のなかの海〈上〉(宮本輝) |
その日のうちに就寝、翌朝5時から6時に起床、という生活がほぼ体になじんできたところで、このところ、午前2時越えの痛飲が続く。眠くってしかたないのに、目の前に酒と語るべき相手がいると、どうしても。
書きたいことは山ほどあれど、心はもうベッドの中。
明日は、通常のストイック一人暮らしに戻る。
2002年01月22日(火) |
夜の続きではない朝の時間 ●少女(マンスフィールド) |
早起きは三文の得を実感する1日。
夜の時間から朝を迎えると、その明るさ、清新さが、何かしらそらぞらしく感じられるのに、朝が始まろうとする時間に起き出すと、その朝の芝居の巧さにすっかりだまされ、同調し、わたしは気分よく、朝からひと仕事できたのだった。こういうことは、毎日を楽しく過ごすコツのひとつであるなあと、納得した次第。
ちゃんと朝ご飯を作り、仕事(と、現在わたしが呼んでいること。それでお金がはいってくるわけではない)して、洗濯して、干して、一息ついてもまだ午前中。
昨日、万年筆を落として破損してしまったので、修理に出している間使えなくなってしまった。久しぶりに街に出る。新しい万年筆を求めて。
散財して帰る。気分よく。家に帰り着き、新しい紫色のモンブランで書き始めると、わたしの本日の気分の良さはピークに達し。
金井美恵子の噂の娘を購入。彼女の新作にドキドキするのも久しぶりのこと。
散歩(時としてジョギング)の、公園行のための、新しいウェアも購入する。
休みを過ごすリズムが、強引な朝型移行のおかげで、少しつかめそうな予感がしている。さて。気分のよいところで、風呂につかり、ビールでも飲み、次の朝を楽しみにして眠ろうか? 現在午後9時15分。
2002年01月21日(月) |
体内時計調整すべし ●サイドカーに犬(長嶋有)・幸福な遊戯(角田光代) |
夜中に読み出したり書き出したら、翌日の予定がないものだからいつまででもやってしまい、寝るのは朝、起きるのは昼過ぎという生活になってしまった。体内時計が完全に狂っている。
運動不足と脳の興奮が冷めないせいで、おとといは午後2時まで眠れず、これではいかんと反省。
夕刻目覚めてそのまま眠りを翌々日の昼から我慢し続け、午後10時に倒れるように就寝。昨日1日わたしは頭脳労働の何もできない人であったが、おかげで朝起きるリズムを取り戻せそう。このまま無茶をしなければ。
2002年01月19日(土) |
木に咲く花 ●武蔵丸(車谷長吉)・杜子春(唐宋伝奇集) |
いつもの散歩コースより、少し先まで足を伸ばしてみると、日当たりがよいせいか、木々のほころびが目に飛び込んでくる。
林の中に、陽のあたる方だけ咲いている白梅を見つける。木蓮、こぶし、はなみずきのつぼみを、カメラのレンズのように、目を寄せて眺める。どれも大好きな、木に咲く花。
昨年4月、わたしは今の部屋に越してきた。仕事は忙しいし、物件は時節柄出払った後で、条件がよい部屋はほとんどなく、それでも、「ここなら」と決めた理由のひとつに、かねてから好きな公園の側だということがあった。
川に沿ったこの公園には、お気に入りの白木蓮の木がある。そう猛々しく大きくはないのだが、林から離れてぽつんと生えている。
木蓮を楽しむにはあの白い花を青空バックに見るのがいちばん、と、常々わたしは思っているのだが、孤立しているからこそ、この白木蓮は、どこから見ても、青空を威して和していた。
今年は、見ようと思えば毎日でも、そのほころんでいく様を見届けることができる。
読んでみると、芥川が書き換えたものとはまったく様相を異にする、唐宋伝奇の「杜子春」。なぜ、芥川はあの「杜子春」を書こうとしたのか、しばし考える。
「カラマゾフの兄弟」の中の小さなエピソードを「蜘蛛の糸」として書き換え知らしめたことは大きいが、「杜子春」はどうか。云ってしまえば、芥川のは話が単純で、唐宋伝奇の方がずっと面白いのだ。
面白くてもそうでなくても、自分好みでもそうでなくても、このところ、本を読むと、作家がそれを書き始めた端緒のようなことをよく考える。こうして、同じ人の形に同じ内臓を持って生まれてきて、まあ、生まれた限りいつか死んでいくらしいと云う、大筋では変わらない生活をする中で、彼らの中にどんな塊が生まれて、作品に形を変えていったのか。そういうことを考えていると、時間はあっという間に過ぎていく。いいのかしらん? こんな毎日で。
2002年01月18日(金) |
食べたり飲んだりすることで。 |
豚肉と長ネギがほどよく煮えただし汁に味噌をといていたら、恋人から電話。どうも仕事でくさることがあったらしく、日本酒いっぱいどう? のお誘い。
みそ汁の火を消し、炊きあがった御飯をとりあえず混ぜっかえして、10分後には家を出ていた。
よく行く美味しい焼き鳥屋で、お気に入りの酒肴と燗酒をかこむ。
「どうも気持ちが晴れなくて」という彼に、「大丈夫、わたしと美味しい日本酒飲んでればすっかり忘れるよ」と飲みだしたら、やっぱりわたしの云った通りになった。こちらはこちらで、顔を見ることができて嬉しさいっぱい。もちつもたれつ。
お互い、それぞれ夜の時間にやるべきことのために、終電前に帰宅。
帰宅後。
ちょっとした偶然で、10年以上前わたしが演出した芝居に出演してくれ、以来連絡の途絶えていた(これもやはり、連絡をもらっても返事をしなかったわたしのせいではあるが)俳優のHPを見つけた。
今や焼き肉屋をはじめとする飲食業の会社の社長である。
それでも、不思議なもので、その当時、彼が俳優として持っていた魅力は、そのHPに書かれた彼の文章から読みとれる生き様にも見えていて、なにやらわたしは、驚きながらも、懐かしい気持ちに。
先日も書いたが、こういう時に手紙を書くゆとりが今はある。
書き始めたら止まらなくなってしまい、彼のことのみならず、狂牛病で頭打ちの全国の焼き肉屋さんのことや、かつて仕事をして会わないままの人たちのことや、深夜に色んなことを思いながらキーボードをたたき、送信してふと時計を見ると、2時間半もたっていた。馬鹿だなあ、と思いつつも、そういう時間が今はうれしい。
俳優時代、(わたしも含めて)観客を和ませ楽しませてくれた彼が、人々に食を提供する場所で働いているのは、これもまた嬉しい話。
ふだん、仕事をしている時は缶詰状態だから、コンビニのおにぎりとサンドイッチで生きている。これが劇場に入ったらお弁当になる。だから、「美味しいもの食べたいね」が仕事の合間の口癖になる。もちろん、ただ美味しいだけじゃ足りない。あの店に行けば・・・と思わせてくれる、時間と場所を求めているのだな。
お気に入りのお店に、ずいぶん心と体が救われてきたと思う。
そして、現場から離れている今は、もう7年ぶりくらいの自炊生活。かつては食べてくれる人がいなければ作る気がしなかったものだが、今はそうでもない。歳をとるということがもたらす、微妙な変化が、こんなところにもある。このことを書き出すと、また長くなってしまいそうだから、いつか日を変えて。
2002年01月17日(木) |
2本の映画 ●Dancer in the dark・Shakespeare in love |
仕事の前に映画でも、と、未見だったDancer in the darkをヴィデオで見る。
確かに、監督やキャメラのやりたかったことは非常によく分かるし、また、ハリウッドの対極にある新しいミュージカルの形としては、面白いところも一杯あるし・・・でも、あの脚本は・・・。
いくらビョークの歌が素晴らしくっても、わたしの大好きなデヴィッド・モースが憎まれ役をいくら好演しても、脚本が偏りすぎていて、見ていてどうしてもノッキングを起こしてしまう。よって、ビョークのナルシズムばかりが目立って、セルマというドラマの中の人間を殺してしまう。
もちろん、ブレヒトのように、歌とドラマをはっきり線引きしてしまっているのなら、それはそれでいいのだけれど、そうでもない。
ラストシーン、セルマの絞首刑の直後、途切れた彼女の歌を文字で示すなどという、メッセージ性の強いことを平気でやれるのなら、もっと脚本を見直してほしかった。
意図が読めない。
1日に2本見るつもりはさらさらなかったのに、どうも後味が悪く、やはり未見だったShakespeare in loveを。(仕事が忙しいと、悲しいくらい映画を見逃す)
もう、「恐れ入りました」って感じ。うまく出来ている。
シェイクスピア好きにはたまらない、小さなくすぐりみたいなエピソードが山ほど、そして、シェイクスピアの手法を引き継いだたくさんの人物の書き分け。人生を鼓舞するおおらかな大枠。
3時間弱、エリザベス朝に生きた英国市民の気分になって、演劇人と劇場と、恋の行方を見守った。
久しぶりにジュディ・デンチを見たのも喜びのひとつ。「ムッソリーニとお茶を」以来。
知的で強固で、それゆえのユーモアと人間味。一人の演劇人として、憧れの女性。
映画って、見る人によって、それぞれでいい。もちろん。
前者が大好きで、後者が健康的過ぎてつまらないという人もいるだろう。
わたしにとって大事なことは、他者の創った作品に触れて、自分が(今)何が好きなのかを知ること。そして、身を委ね、楽しむこと。
2002年01月16日(水) |
ぼくは二十歳だった ●残響(保坂和志) |
「ぼくは二十歳だった。
それがひとの一生でいちばん美しい年齢だなどと、 だれにも言わせない。」
成人の日になると、いつもこの、ポール・ニザンの言葉を思い出す。
次ぎに引用するのは、ポール・ニザンにあてた、サルトルの言葉。
「彼はコミュニストになり、コミュニストであることを止め、
孤独に死んだ、或る窓の傍で、 階段の上で。
この生涯は、この毅然たる妥協の拒否によって説明される。
彼は反抗によって革命家になった。
そして革命家が戦争に譲歩せねばならなくなったとき、
彼は過激な自己の青春を 再び見出し、反抗者として終ったのだ。
彼の言葉は、若く、きびしい言葉だった。
これを老いさせてしまったのは、われわれなのだ。」
反抗の形は様々。
このところ我が国では、20歳たちの幼稚で無自覚な自己主張ばっかりが取り沙汰されるけれど。
いやいや、一事が万事ではないはず。
これからを変えてくれる、20歳の美しき無軌道が、ポジティブな反抗の心が、わたしの知らないところで、ふつふつとたぎっていることを想像する方が楽しい。
2002年01月15日(火) |
酔いにより、筆記できず●なんとなくな日々(川上弘美)・ゴドーを待ちながら(串田和美) |
本を読み、芝居を見、恋人と会う。
恋人とは、おつな酒肴とともに、日本酒を飲み、帰り道で危険な選択ながらもシャンパンを買い、我が家で飲む。
どうしてそんなに話すことがあるのかと思うほど、話す。時々黙るが、それもまたよし。
もうすっかり酔っているんだから、と、選んだのは、冒険と称した安物買い、タスマニアのシャンパン。(厳密に云えば、シャンパーニュ地方でないから、単なる発泡酒なのだろうが)
したたかに酔う。