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2002年02月09日(土) |
孤独の幸福へ。 ●パードレ・ノーストロ(佐藤信演出) |
孤独だとか、不幸だとか、そういうのは、少なくとも自分を愛することを知っている人の観念。その、自分を愛することさえも、生まれた時から否定されていた魂が(一人はたとえば誰もが知っているJ・F・ケネディの姉)、この世から消えてしまった後に、祝福を受け直す、といったような芝居を観る。
劇場の可能性について考える。劇場に戻る日に備えて、また明日から。
いっつもいっつも仕事ばーっかりしてたから、わたしは長らく、冬晴れっていうのがこんなに美しいということを、知らなかった。いや、かつてはきっと知っていたのだろうけれど、すっかり忘れていた。
透明な青と、きりりとした空気。誰しも形容するようなことばで、わたしは満足。だって、その通りだもの。おまけに、なんだか春の匂いさえ。贅沢な季節だ。
今日はずっとベランダで過ごした。我が部屋の家賃をぐんと高値につり上げている8畳ほどのベランダの恩恵、久しぶりに。
無為なのに幸福感がある日というのは、わたしみたいにしゃかりきにやってきた人間には、何にも代え難いな。
2002年02月07日(木) |
美しくない生活 ●善人はなかなかいない(F・オコナー) |
昨日は、制作会社の女性二人と、インティマシーを観る。あること、あったこと、なってしまったこと。すべてを感傷なしに描き出して、観客に委ねてくる。
25歳と32歳と40歳のおかしな取り合わせで食事。久しぶりにワインを飲む。歳の離れた妹のような、かわいい25歳を我が家に連れ込み飲んでいたら、上司のプロデューサーと美人女優がやってくる。
朝五時まで。ほぼ、くだらない話をし続ける。
ひどい二日酔い。自堕落に本を読みながら、頭痛と闘う。
友人からメールが届いており、この休暇のことを「一進一退のようですね」と書いてあったが、一進したら五退ぐらいしているような気がする。
気にいってた朝型生活が、一晩で崩れてしまった。まったく、この美しくない生活。
歳の離れた妹に、昭和32年刊の米川正夫訳「罪と罰」を進呈した。この二日内で美しい事柄は、それだけだな。
2002年02月05日(火) |
あれこれ ●善良な田舎者(F・オコナー) |
●必要に迫られて大嫌いな歯医者に行く。治療中、「痛いですか?」と訊かれ、我慢できないほどでもないのに「ええ」と答えてしまう自分が情けない。幼い頃、母に連れられて行った頃は、我慢強い自分を主張したくって、どんなに痛くっても「痛くない」と強がった記憶があるのだが。
医者に「腫れてますか?」と訊かれ、「ええ、左奥の口蓋が」と答えると、「なんで口蓋なんてことば知ってるんですか? 歯医者に勤めたことがあるの?」と逆に質問される。うーん、別に歯医者に勤めなくたって、口蓋ってことばくらい知ってるし、漢字だって書ける。なんだかわたしは無駄なことばっかり知ってるような気がしてきた。そうだよな。わたしって無駄なことばかり知ってて、生きるに必要なこと、あまり知らないよな。
●筑摩書房から出ている「文学の森」とか「哲学の森」とかのシリーズは、図書館に行くと必ず1冊は借りてしまう。で、だいたい2、3篇読んで返し、また借りて2、3篇読む、そんな繰り返しの愛情を注いでいるのだが。今日読んだ「悪の哲学」篇にあるフラナリー・オコナー「善良な田舎者」には驚いた。
最近の悪の特徴はそこに文法の存在しないこと、とは思っていたが、オコナーは、1955年、すでにそのことを書いている。
本ばっかり読んでることがわたしの「逃避」なのだと、自分に読書禁止令をしこうとしていた矢先に、こんな驚くべき短篇を読んでしまった。やっぱりやめられないな。
●雨が降ると、このところ必ずKeith JarrettのThe Melody At Night With Youを聴いている。彼のI Love You Porgyは、得も言えぬ美しさ。こんな息づかい、こんな間を知っている俳優がいたら一緒に仕事したい、と、思ったりする。
2002年02月04日(月) |
無題 ●演技でいいから友達でいて(松尾スズキ) |
●やるべきことがちっともうまくいかないので、自分が今日どんなに落ち込んでるかってことを、まあ、自分を鼓舞するために、長々と面白げに書いていたのに、何を思ったか全選択してdelateキーを押していた。
●うまく行ってなくっても、こんな風に自分を笑い飛ばすだけの元気はあるんだぞ、と、そんなこんなで書いていたのに、消えちゃった。ま、そんなもんだよな。あんなことども、二度は書けないっつうの。
●つまらんこと書き殴って慰撫するより、たまにはちゃんと落ち込めば?ってことか?
●うーん、ビールでも飲んで勢いをつけよう! って、それがいけないんだってば!
●そんな馬鹿なことを言ってられることに、静かな夜の騒がしい我が心中に、ほんのり幸せを感じたりもして。・・・・だから、そういうところが! そのチープなセンティメンタリズムがわたしを・・・・!
2002年02月03日(日) |
奇跡の泉 ●アレクセイと泉(本橋成一監督) |
友達に誘われて、「アレクセイと泉」という映画を観てきた。
舞台はチェルノブイリ原発事故で汚染されたベラルーシ共和国のブジチェ村。
かつて600人が暮らしていた村も、今は55人の老人と一人の若者アレクセイ(映画撮影中に35歳になった)が暮らすのみ。
カメラは淡々と、一人の若者と老人たちの暮らしを追う。ドキュメンタリーのナレーションも、アレクセイのたどたどしい語りだ。
朝が来れば、泉から水をくむ。昼は労働する。食事をして、家族の時間を過ごして、眠る。
暖かい季節は短く、一年分の作物を急ぎ足で育て、収穫する。
長い冬は厳しく、寒いときは寒さをこらえて過ごす。
自然にも、時間にも、老いにも、何にも逆らわない、地に足のついた人間の暮らし。
この村はひとつの不思議に支えられている。
学校跡からも、畑からも、森からも、採取されるキノコからも、放射能が検出されるのに、この村の「泉」の水からは検出されないのだ。
こんこんと湧き出る泉から毎日の飲み水を得、家畜を育て、食物や衣料を洗って、大事な泉と共存する老人たちは、自慢げに言う。
「この泉の水は、百年前の水だからね」
そして村を出て行かなかった理由を問われると、
「ここにはきれいな泉があるから。ほかにどこでこんなきれいな水が飲めるか」と答える。
(でも何故? たとえ汚染以前の水であっても、泉には雨も雪も混じるのに!)
そしてただ一人村に残った若者アレクセイは、老人でまかなえない村の仕事を一手に引き受けて暮らし、先々も出ていくつもりはないと言い、その理由をこんな風に語る。
「もしかしたら、泉が僕を村にとどまらせたのかもしれない。泉が僕のなかに流れ、僕を支えている」
泉の水は、地表に下り大地に浸透してからどれだけの時間を経て湧き出ているのだろう? 老人たちが言うように、100年だろうか? それとも、老人たちの言う100年は、自分たちの人生も追いつかない長い長い時間、という意味なのだろうか?
長きに渡って大地の深みにとどまり、静止にも見えるゆるやかな旅をする内、濾過され、純化され、(敢えて言ってしまうなら)聖化された水。とめどなく「今」に溢れ続ける「いつかずっと以前」の水。
そして、汚染された大地に再び湧き出ても、自浄して生き続ける奇跡。
人間の体の60%が水分だと言う。
わたしは泉の水を愛して暮らす彼らの体の中を流れる水のことを思った。生まれてからずっと同じ泉の水を飲んで育った人たちの体の中の水のことを。
人間は、こんなにもきれいだ、と感じる。
そして、(陳腐な言い方ではあるが)現代の誤った人間たちをも再生させる、強さや優しさ。
そんなに大袈裟に言わずとも、わたしは力をもらった、確かに。
急ぎ足に暮らすしかないこの国でも、自分のからだに流れるものなど気づく必要もないこの暮らしの中でも、その水のことを感じて暮らすことはできる。
一昨日は、竹内浩三とわたしを分けた40年という時間を考えて暮らした。
今日は、あの泉にわき出る水の時間を考えて暮らす。
2002年02月02日(土) |
生かされている ●俳優たち(桐朋学園卒公) |
昨日は引き続き、竹内浩三を読んだ。
筑波の兵舎で綴られた日記。あるいは死に至る行軍に出る前の、手紙。
竹内浩三は、1921年に生まれた。
わたしは1961年。
この40年。たかだか40年の違い。
あまりに残酷な40年。
あまりに世界が変貌した40年。
40年という時間が、
期せずしてひょんと死ぬる人と、わたしとを分けている。
それほどまでに人の運命を分ける時間なのだ、40年というのは。
そして、わたしは、もう、その40年を生きた。
なんということだろう。
なんということだろう。
この40年という時間差を思ったとき、しばし涙が止まらなかった。
あまりに複雑に想いが交錯し、収拾がつかず泣いていた。
でも、泣きやんだ頃には、やっぱり、生きているのがありがたかった。
竹内浩三の23年間のことばは、きらきら光っている。
血反吐のようなことばもあるが、それは彼が血反吐のような暮らしの中にあったからだ。血反吐のようなことばの向こうに、きらきらした魂が透けて見えている。
人のことばに接してここまで感じることは、めったにあることじゃない。
***
今日は、若い人たちの芝居を1本観たあと、友人としばし、軽くお酒を飲みながら、「このところ」について話す。隠遁生活の今の身では、人と会って話すことから得ることが多い。人と話して、自分を知る。仕事をしていると、いつも一人になりたくてウズウズしているところがあるものだから、そういう機会を逃していたのかもしれないな。
2002年01月31日(木) |
竹内浩三のことば ●日本が見えない(竹内浩三)・紙屋町さくらホテル(井上ひさし) |
このところ新聞などで話題になっている竹内浩三作品集を入手。
八千八百円という値段にいったんは二の足を踏んだが、結論、思い切って買ってよかった。
彼は23歳の時、フィリピンで戦死。
こんなにもことばに溢れた青春を、わたしは知らない。
ノートに手帖に、原稿用紙に、本の余白に、饅頭の包み紙に、ほとばしるように書き付けられたことばの全てが鮮烈。
綴られた文字に書き直しはほとんどない。推敲の跡が見えない。彼の中にことばが生まれると同時に、文字となっている。文字は彼の心の写しになっている。
教室で、青空の下で、汚れた下宿で、兵舎の寝床で、書き続けられたことばは、美しかったり、痛ましかったり、青春のすべてが映っている。
わたしは愕然として読み進めながら、このようなことばの泉を枯らしてしまったものを改めて恨んだ。自分の家族を失ったみたいに悔しかった。
詩、創作、日記、漫画、それは膨大な量なので、まだ3分の1しか読んでいないが、魂を抜かれたみたいに1日呆けてしまった。
***
下に、天声人語にその一部が紹介された詩を写そう。色んなところでこの詩は紹介されているから、全文写したっていいだろう。
「骨のうたう」
戦死やあわれ
兵隊の死ぬるや あわれ
遠い他国で ひょんと死ぬるや
だまって だれもいないところで
ひょんと死ぬるや
ふるさとの風や
こいびとの眼や
ひょんと消ゆるや
国のため
大君のため
死んでしまうや
その心や
白い箱にて 故国をながめる
音もなく なんにもなく
帰っては きましたけれど
故国の人のよそよそしさや
自分の事務や女のみだしなみが大切で
骨は骨 骨を愛する人もなし
骨は骨として 勲章をもらい
高く崇められ ほまれは高し
なれど 骨は聞きたかった
絶大な愛情のひびきをききたかった
がらがらどんどんと事務と常識が流れ
故国は発展にいそがしかった
女は 化粧にいそがしかった
ああ 戦死やあわれ
兵隊の死ぬるや あわれ
こらえきれないさびしさや
国のため
大君のため
死んでしまうや
その心や
***
ひとつ残念なのは、やはり、この本の値段。
若い人にこそ是非読んで欲しいのに、八千八百円は普通一冊の本に支払わない。若い時は、我々中年と違う意味で物入りなのだ。
紙質を落としてでも、もう少し廉価にならなかったのかしら。
願わくは、日本中の図書館すべてに置かれんことを。
2002年01月30日(水) |
切実さ ●彦馬がゆく(三谷幸喜) |
政界、大荒れね。その割には切実さが伝わらない。
三谷幸喜氏の「彦馬がゆく」を観る。基本的にわたしは氏のファンなので、たっぷり大笑いし、楽しむ。でも、笑いで筋を運ぶことと、役の人生を生きることの間で俳優が行きつ戻りつ、少し苦しそう。(少なくも、わたしは観ていて苦しい。)無理をしない小日向さんと筒井くん、伊原さんがいい。役得。
新聞を読んだり、本を読んだり、芝居を観たり、映画を観たり、自分の中に入ってくる情報がバラバラで、バラバラに過ぎて、どれも消化不良のまま栄養にできないまま過ごしている感じがする。
どこから得るのもひどく切実なことばかりなのに、自分が切実に受け取れないのは、何に因るものか? そういうことを分析できていないと、いつまでもこの先の1歩を踏み出せないよなあ。
活字中毒のような暮らしで、目が痛む。昨日は自分に読み書きを禁じて、なかなか先に進まないチェロの練習と、料理に精を出す。
赤ワインをほぼ1本使って、日がな一日かけてのビーフシチュー作り。きっと、我が人生の中で、あんなに真剣にシチューを作ることは、これ以降ないんじゃないか。
今日はひたすら、自分の仕事の資料を読む。