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2002年03月10日(日) |
友人と会う ●パイロットの妻(アニータ・シュリーブ) |
二日続けて珍しく友人に会う。
昨日は33歳の女性と国立近代美術館へ。コーヒー一杯で、長々と、表現することにまつわる話をする。
今日は同年齢の友人が家を訪ねてくれる。Macを買ったばかりの彼女に、色々と伝授。お茶を飲みながら、会わない間の時間を、わずかながら埋める。トマトソースのスパゲティを作って一緒に食べ、美味しい美味しいと喜んでくれる様に、わたしは感動。自分の部屋で人と食事をすることのないわたしは、その喜びを再確認する。こういうことを日常的に享受できない淋しさも、また。
明日から、実家のある兵庫県でしばらく暮らす。
情けないことに長いこと風邪を引き続けている。治ったかと思うとまた油断して無理してぶり返して、その繰り返し。まあ、そんな中で、書いていた物語をとりあえず最後まで書き上げる。昨日、一部目のコピーを恋人に渡す。恋人は、仕事の上でも表現の上でもいちばん信頼のおける人だ。
今日は確定申告に半日費やす。必要な書類を忘れていたりして税務署に二往復。疲れたけど、すっきり。あとは還付金、お待ちしてますって感じ。
それにしても、ひどい風邪だ。鼻で息ができない。明日、美術館で知り合いと会う約束。わたし彼女の電話番号知らないから、行くしかないな。大丈夫かしらん。ま、寝れば治るか。
2002年03月05日(火) |
内言語で見る夢 ●不穏の書、断章(フェルナンド・ペソア) |
ポルトガルの詩人、フェルナンド・ペソアは孤独な環境で育ち、幼い頃から自分の分身たちに囲まれていたと言う。それが、ある日突然創作中に忘我の状態に襲われ、まったく別の人格が憑依したようにして、30篇の詩ができあがった。その架空の詩人はアルベルト・カイエロと名付けられ、詩作上の彼の生涯の師となった。以来彼は、たくさんの架空の詩人たちを産み、なんとその分身たちは勝手に動き出してお互いに交流をもったりする。それぞれが固有な身体的特徴、人格、経歴、思想、作風をもって独立した詩人となり、それぞれに作品を発表し始める。
思考するというのは、発音しない言語活動だ。心の中で自分と対話し考えを進める「内言語」は、多少の違いがあるが、どんな人の中にもある。ペソアの場合、その言語の発し手が人格を持ち、固有の夢を見、現実に対処していったのかしら? 終生たくさんの人格と共に暮らしたペソアを思い、わたしは想像する。
この特異なる詩人ペソアに取り憑かれた芸術家は多く、タブッキの小説「フェルナンド・ペソア最後の三日間」では、死を目前にしたペソアを異名の分身詩人たちが訪れる様子を描きだしている。
一年半ほど前、「不穏の書、断章」を読みペソアを知ってから、時折読み返し、彼の生涯の精神生活を思ったりする。個の世界に埋没することの、深い深い喜びと哀しみを感じたりする。
*HP/Etceteraに「フェルナンド・ペソアのことばから」をUP
うわあー、たかだか3日くらいさぼっただけなのに、わたしの内ではもう10日ほども過ぎたような感じ。
目を患っていた。PCに向かって根を詰めすぎたのがいけなかったらしい。もう、画面を見ると目の奥が痛くなってくる。痛いなあと思って目をつぶると、涙を煮詰めたようなものが滲んでくる。目薬をさす。どんどんさす。すると、痛みにかゆみが加わってくる。
わたし、PCの画面恐怖症になってしまいました。この痛みを覚える前には、とりあえず書いていた物語が「了」に達し、小さな喜びを覚えていたのでした。で、書けない部分を抜かして突き進んできたから、足りない部分をしっくり書いていこうと思っていた矢先のこと。
考える時は紙を前にして、まとまってからキーボードに向かう。とりあえず、画面に向かって考える時間をなくしたのですが、もう痛みはますばかり。今どうしても必要なこと以外、画面なんて1秒でも見ていたくない状態。
さて、病院に行って色んな検査をしてもらった。わたしは以前から飛蚊症がけっこうひどく(点とか糸みたいな黒いものが視界にいつもあるのですね)、これは一般的な40歳より老化が進んでおるらしい。まあ、目を酷使する仕事をしてきたから仕方ない。そして、眼圧問題なし。じゃあ、問題は?
下まぶたにリトマス試験紙みたいなものを貼られて待つこと、10分。先生が言った。
「ああ、涙がないねえ」
わたしはひどいドライアイになっていたのです。それにしても、涙のない女とは。これで貧血にでもなったらえらいことになってしまう。血も涙もある女で、そりゃあいたいもの。
わたし、昔から視力がよいのです。久しぶりに検査したら、今も1.5と1.2ある。この出来のよい目で、裸の目で、見てきたものに支えられて今の自分がいると、実感。
歳をとってくると、当たり前のように思ってきたひとつひとつの自分の器官を、意識して、ありがたく思って、自覚的に大事に暮らしていかなきゃいけないんだろうな、と思う。
女でも、ひとりもので頑張ってくしかない身。この体ひとつ、大事にしなきゃ。これからが働き盛りだもの。
夜中の12時に起床。午前3時、物語の続きを書き始める。午前10時に、「了」に届いた。途中、書けないところは飛ばして進んでしまったため、20%は書き足し、30%は書き直すことになるだろう。それでも、ようやく、自分が何を書きたいのかがわかった。
売れなくても、面白いと言われなくても、それでも書く人がたくさんいることが、少しわかったような気がする。自分も知らない物語が、勝手に動き出す瞬間のその喜び。力。物語は読むだけだったわたしが、ほんの少し、書くことの魅力を知った。
急に劇場に行きたくなった。自分の場所に早く帰りたいと急く心を押さえて、この原稿をしあげよう。いつも自信のなさから詰めの甘くなる自分の尻をたたいて。
財布紛失。
風邪ひいてぼうっとしてた。確かに。寝ても覚めても、原稿のこと考えてた、確かに。悪い意味で人間離れした生活してた、確かに。
買い物にいって、自転車の籠に財布をいれっぱなしにしてしまった。そんなの、持ってってくださいって言ってるようなもの。
折しも有り金ほとんどおろしたばっかり。どうしろっていうの?
おまけに風邪はぶり返して、家のティッシュの消費量ははんぱじゃない。
銀行のカードは簡単に暗証番号がわかるものではないから大丈夫だろうが、ああ、伊勢丹のカード、使われてませんように。残額は10万円。昨日1日で「がっちり買いましょう!」なんてやられてたら、わたし、どうなっちゃうの?
こういう時は町田康の小説の登場人物みたいな心持ちになって「へらへら」してないとやってられない。
気分を入れ替えて、夜通し書いた。たった6枚しか書けなかったけど、ちょっと救われた。
母から風邪薬が宅急便で届き、涙する。風邪の症状はおさまったような気もするのだが、薬を含む。
頭痛を抱えたまま、作業を続ける。眼の奥も痛い。眼をつぶるたびに、涙がにじみ出る。どうやらわたしはひどく疲れているらしい。
不器用なので、書き始めると、ほかのことにまったく手がつかない。いつまで続くやらわからないが、あと1週間はこのまま頑張ってみる。
*HP/Etceteraに「ワイエスの窓から」UP
5時に目覚めたとき少しよくなったような気はいていたものの、頭痛がひどい。とてもものを考えたり感じたりというような気分になれない。書けなければ起きていても意味はない、と、暴力的な気持ちになり、またベッドへ。体調が悪いときというのはいくらでも眠れるもので、次ぎに目が覚めたのは午前0時過ぎ。
わたしは2月24日を丸々寝て過ごしたことになる。
調子、戻ってる。元気と大声で言えないまでも。
残り野菜残り肉をいれた具たくさんのおみそ汁を作って、今いただいたところ。すっかり温まって、さあ、今から作業にかかろうか。
2002年02月23日(土) |
前触れなしに風邪をひく。 |
物語の主人公と同い年の友達と会って、昭和40代の話に花が咲く。やる気満々になって帰ったら、なんの前触れもなしに風邪の症状が。気にせず作業を続けていたら、どんでもない加速度で風邪が悪化。頭はぼーっとし、寒気がして熱が出て、鼻水は際限なく出てくる。それでも無理してやっていたら、もう自分の体がわたし相手に反乱を起こしているかのような暴れよう。いよいよこりゃもう鎮まっていただくほかないと、午前5時頃、衣服を着れるだけ着込んでベッドへ。汗をかいて起きるたびに着替えて、ようやく起きようという目覚めを向かえたら、なんと12時間後の午後5時。
鼻水はなんとか止まっている。果たして暴動は鎮まったのか? でもなあ、頭はまだぼーっとしてるし・・・・それは寝過ぎたからかな? うーん、でもひどい涙目だ。どうなるんだ、わたしの体。
なんにしても、心細いことである。やっぱり、一人暮らしは辛いんである。
様子を見ながら、今日もこれから作業をする。
2002年02月22日(金) |
痛み ●沈黙(村上春樹) |
ひどい腹痛と、腰痛。机に向かおうとするも、椅子に座れない。痛みと闘っていたら日付が変わってしまう。
ようやく椅子に腰を下ろせるようになって、書き始めようとしたら、物語破綻。1時間くらい意気消沈したあと、登場人物の年表をつくる。つくっているうちに、横軸と縦軸が見えてきて、また、物語が動き始めるような気がしてくる。
7時ころ、ベッドにはいり、わたしは弱いなあ、と実感。
いつも懸命に働くばかりの毎日だったけれど、結局人をサポートする仕事しかしなかったのだと、30代を振り返る。