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稽古場にて、嫌な事件あり。家に真っ直ぐ帰る気がしなかったので、事情のわかるプロデューサーW氏を呼びだして、蕎麦と日本酒を前にしゃべるまくる。
午前1時過ぎ。本日は家にいない同居者Mを訪ねて深夜の町を歩く。ひたすらに飲んだ後のわたしと、今夜は仕事で一滴も飲んでいない彼。
慰撫されるために行ったのに、簡単に思いを共有してくれることもなく、好きあってようやく一緒になれたと思っていたのに、わたしたちは相変わらず勝手にそれぞれ生きていて。
逆に分かってもらうことよりも、それが慰撫ならぬ鼓舞になる結果。
最後はタクシーに押し込まれて帰る。それもまた愛情や否や。
どんなに愛していても、どんなに大切に思われていても、他人は他人。だから面白い。そしてまた、先に何が待っているか分からない。
自分が自分として生きていくしかないだろう。きっと。
2002年08月07日(水) |
軽やかならざる休日。 |
休日なり。
昨夜は同居者Mと渋谷で深酒。ビールと日本酒のあと、ワイン、最後はテキーラ。
これがたたって、起きるともう正午過ぎ。
昨日Book1st.で買った本を読み始め(ピューリッツァ賞をとったミルハウザー)、気になっていた広いベランダの大掃除を2時間もかけてやったものの、どうも調子が出ず、見に行こうと思っていた青劇でのイスラエルのダンス公演はパス。これがかなりいけるものだったと噂に聞き、ちょっと落ち込む。最近、どうも休日の行動力に欠ける。
あげく、余った時間であれこれといらぬことを考え続ける。(今不安に思ってみても仕方のないこととか、今さらあせってみても仕方のないこととか)
新聞で、島尾マヤさんが亡くなったと知る。喪主は島尾ミホさん。島尾敏雄の「死の棘」を読んだ人なら、なんらかの感慨があるだろう。しばし、自分の想像を遥かに越えたたくさんの人生が同時進行していることに、思いを馳せる。
Mは仕事から帰宅して、何やら調子悪そう。夜もためこんだ仕事をこなすのだと言うので、夜食に好物のカツ丼を作る。夜中にカツをあげるというのもなかなか珍しいことだ。
それでも調子が出ないらしく、早起きしてやるのだと言い残して、あっという間に寝てしまった。
他者と暮らすということがどういうことだったか、ようやく思いだしてきた。
お互いの、良いとき。悪いとき。その様々な度合いの組み合わせ。そして、お互いの間に存するものの温度感の移り変わり。
形のない不安の澱が、自分の底に沈殿しているのを感じる、なんだか軽やかならざる休日だった。
昨夜のベッドの友は蓮見圭一の「水曜の朝、午前3時」。
午前4時に読み終え、8時半には電車に乗って仕事場に向かっていた。車中熟睡。
午前中衣裳あわせがあったため、バタバタして一息つく間もなく稽古に突入。午後8時に稽古場を出て、いつもより早い帰宅。
十分に働いたような気もするし、まだまだ1日の業を為し終えていない気もする。
いつもそうだ。
そしてまた新たな本の扉を開いたり、あれやこれやと書き付けたり、時には掃除魔になって深夜バタバタと働き、汗をかいたり。
OFFの時間の過ごし方が下手だといつも思う。
最近恋人といたため紛れていた、わたしの欠落点だなあ、などと思いつつ、2日ぶりに帰ってくる彼を待っている。
2002年08月04日(日) |
まだ土を押し上げきっていない、夜明けの霜柱であるような。 |
毎日書いている頃は、タイトルのところにその日読んだ書名だの映画や芝居のタイトルだの付しており、これは先々自分の過去を読む目安になるだろうと思っていた。
こうしてなかなか書かない日々が続くと、読んだ本すらすぐ忘却の彼方に。
で、書棚に入りきらず溢れ出た書籍を整理しながら、このところ自分の読んだ物語のことを思いだしていた。
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仕事先の新潟のホテルにて。朝食を待ちながら、食べながら、コーヒーを飲みながら、川上弘美の短篇をひとつ読んだ。
93歳の老人と、民間ヘルパーとして彼の家に通う53歳の女が、一緒に時間を過ごすうち、ずっと一緒にいたいと思うようになり、ずっと一緒にいるようになる話。
その物語の中に漂う空気が、わたしがその頃よく包まれてしまう空気に、なんだか似ていた。
幸福でいて不安な。希望が深い絶望に支えられているような。隣にいる人を、呼び続けていないと心許ないないような。満たされているのに、心細くてたまらないような。
川上さんは53歳の女性に、こう語らせる。
「私はときどき、自分がまだ土を押し上げきっていない、夜明け前の霜柱であるような気分になる。」
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体が火照ったまま先に寝息を立て始める恋人の横顔を眺めながら、運良く共に暮らし続けて、共に歳をとった時のことを想像したりする。
わたしは想う。
セックスできなくなる時が来るのは、きっと切ないことだろうな。その時は、どんな風に愛しあうんだろう。うん、でも、それはきっと大丈夫。汗のまとわりついた肌どうしでも、洗ってサラサラした肌どうしでも、いつも触れ合っているだけで気持ちいい。それにキスはずっとずっと出来る。人生に起こりうることとして、唇と舌を喪ってしまうというのは非常に確率が低い。でも、そういう想像をすること自体が、ひどく切ない。
どちらかが先に死んでしまうというのも、実にわかりきったことでありながら、怖い。怖いことには出会いたくない。それでも出会うことが確約されているものだから、今から考えても仕方ないのに、どきどきする。
たくさんおしゃべりをしたあと、ふっと訪れる沈黙の中に、彼の本体を探す。
本人でも管理しきれない、生きてきた分だけの膨大な個人的記憶と、現在の自分にまとわりついているあらゆる現実的なこと。
本人でも気づかないくらい、人はいつもあらゆる記憶と思いを同時に抱え抱えして暮らしているので、わたしが例え沈黙の中に彼を探そうとしても、見つけられるはずもない。そして、つい、「なに考えてるの?」とか、馬鹿なことを訊いてみたりする。そういうときの応えはほぼ決まっていて、彼は「なんにも」と言う。
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二人でいるようになる前には、そういう空気に包まれることが少なかった。ないとは言わないが、少なかった。仕事のことや、自分の将来の仕事のこととかを考えるのに忙しくって。(そして、その種のあらゆる感傷は、自分の心と体から、実は意外と遠かったのかもしれない。)
もちろん今だって、現実的な目先のことをいつもいつも考え暮らしているのは変わらないのだけれど、その折々に、突然そんな空気に包まれ、自分がすごく心許ない朧気なものであるような気がする時が紛れ込む。
私もときどき、自分がまだ土を押し上げきっていない、夜明け前の霜柱であるような気分になる。
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いつも一緒に体を隣り合わせて眠りたいと願うのは、もしかしたら、そうすることで、彼との隙間を埋めようとしているのではないかと思ったりする。
眠りという、自分の意識の外の時間を共にする時間を増やしたいのではないかと思う。体をくっつけていれば、触れ合ったところが通り道になって、意識の外の何かが、わたしと彼の間を行ったり来たりして。
共に眠ると心地よいとか、安心感があるとか、そんな大きな喜びのうねりの中に、そんな想像が忍び込んで、わたしは一人、微笑んでしまったりする。
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思い出すとそのようなこと。そのようなことを、あの朝思った。
本を読むたび、なにがしか感じて、そして忘れていく。日常なんてそんなもの。
高すぎる税金に憤ったり、あんなに貧乏に喘いだ樋口一葉がお札になることを冥界で彼女自身どう思うのか気に病んだり、いまだに戸籍上では他の女性の夫である恋人のことを思ったり、かつての恋人からの手紙に返事を書かなきゃと思ったり、仕事はそりゃあ毎日大変だったり、日々起こる悲惨な事件のあまりの理不尽さに涙したり、来年の仕事を探さねばと焦ったり、まあ、きりがないほどあれこれ考えて暮らしていかねばならないわけで。
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そして、そんなこんなで暮らしていると、毎日毎日、わたしはちょっとずつ、いい人だったり嫌な人だったりする。自分の在り方の微差につきあいきれなくて、落ち込んだりする。
こういう時、恋人と一緒にいるといっぺんに癒されてしまうのだが、今夜はいない。で、こうして書きながら、眠りを待っている。
明日も朝は早い。
2002年08月01日(木) |
シャンパンのある夜。 |
幸運にも、東京が激しい雷雨に見舞われる前に家にたどり着き、郵便受けを開け、分厚い封書を見つけた。
4月。3年間思い続ける恋人のいるわたしの前に、突然猛烈な愛情を注いでくれる人が現れ、一度はその人と本当に結婚しようかとまで思った。でも、そのことが、3年越しの恋人が自らの生活を変えて再びわたしと出会い直してくれることに繋がり、今に至っている。
その人からの、長い長い恋文。わたしのこれからの幸せを望んでくれていると同時に、何かあったらいつでも僕の嫁になりに来いという、再びのプロポーズ。
切ない気持ちで、食事の支度。特大ハンバーグとアボガドとスモークサーモンのサラダ。
恋人は、特になんでもないこの夕べに、シャンパンを買って帰ってくれた。
幸福な食卓が今日もまた。
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相変わらず仕事は楽しい。そして相変わらず物足りない。
シャンパンの後、お互いに仕事をし、もうすぐ眠りにつく時間。
もう少し酔いの中にいたくて、わたしはさっき深夜の酒屋に赴き、シャンパンをもう1本買ってきた。
果実酒の中の泡あわに、自分といろんな人の幸せを見て、そして眠ろう。
2002年07月31日(水) |
日々。振り返り、仰ぎ見。 |
ひたすらに仕事をしていると、思いがけない早さで暦が進んでいて、何やらがっかりしてしまう。もう8月だ。
わたしも恋人も、毎日仕事仕事。わたしは稽古場へ。彼は事務所でデスクワーク。夜中に顔を合わせてからの食事、そしてお酒で、わたしは2キロほども太ってしまった。でも、おかげでストレスはない。
毎日外で食べたり飲んだりすると破産してしまうので、仕事の後でも食事を作る。美味しいジンリッキーを作るのも上手になった。ライムは6分の1カット。美味しい氷に、WILKINSONのソーダ。時には渇きを癒す爽やかな飲料として。時には眠りを誘うディープなお酒として。
私たちは10日に1本のペースでビフィーターを空けている。
書かなかった間いろんなことがあった。
主演俳優が倒れたり、出ずっぱりのキャストが肉離れを起こして入れ替えがあったり。そうこうしながらも幸福な千秋楽を終え、今は新しい芝居の稽古場に入っている。
毎日毎日、それは色んなことがあるというのに、過ぎていったことを振り返ると、自分に何が残ったのかと不安になる。結果、未来に向かって喘ぎ続けている自分を見いだす。
人生って、そんなものなの?
またしても長らく書かなかったのは、旅先のホテルでうまく回線がつながらなかったため。
新潟と大阪での地方公演の間に、幾冊かの本を読み、相当量の酒を飲み、ネットで誰かと繋がるためではない文章を細々と書いていた。
ただ、そんなことより、やっぱり仕事が楽しかった。そこに開けるべき芝居があって、開演を待ち受ける観客がいて。うれしい事件もうれしくない事件も、そこに人が集まっている限り起こって……。
千秋楽のマチネを終えてすぐに新幹線に乗り、夜には次の仕事の勉強。翌朝には、新しい現場の稽古場にいた。この仕事は10月半ばまで続く。
2002年07月11日(木) |
美味しいお酒を今宵も |
新潟公演第1弾の初日を開ける。演劇に良い意味ですれていないお客さんが満杯で、幸福な公演だった。
地方公演に出た時のわたしの行動パターンには二通りあって、飲んで楽しい仲間がいる時は夜毎飲み歩き、飲んで楽しい仲間がいない時は、ただひたすらホテルで本を読み過ごす。
このたびは前者の方。
ただ、大勢でわいわいがやがやは苦手なので、ほとんどない。2人か3人で、ちゃんと美味しい酒を飲む。
先日この日記にも書いた池内紀さんと飲んだ時に、「ああ、これは美しいな」と思ったこと。
蕎麦屋にて。「食べるもの、なんでも好きなのを頼んでください」と言われ、お品書きの中からわたしはわたしの趣味で酒肴を選ぶ。
「じゃあ、わたしは蕎麦味噌と、生湯葉と、酒盗を頂きます」
当然、池内先生はご自分で好きなものを選ぶのだと思っていたら、
「じゃあ、それをふたつずつ」
とおっしゃったのだ。
なんとも美しい注文の仕方。
わたしたちは日本酒を傾けながら、同じ酒肴をほぼ同じペースで美味しく頂き、皿の空いたところで、お蕎麦。先生は2枚。わたしは1枚。
美味しいお酒があって、美しい飲み方を知っていて、美味しい人間関係があれば、そりゃあわたしは毎日お酒を飲む。
恋人と囲む酒が最も美味しいと思える現在は、やっぱりどうやら、幸せなのであるな、わたしは。
2002年07月08日(月) |
ただ仕事をしているだけなのに。 |
新潟の劇場に入って2日目。セットを建てこんだりしている間は、わたしはバイト君がわりのお手伝いをしたり、その時々のお願いやら注文をスタッフに伝えるくらいの仕事で、かなりのんびりしている。(もちろん、そういう時に未然にふせげる過ちを見つけるというのは、大きな仕事なので気を抜いて過ごせるわけではないが。)
自然、わたしは働く人たちを眺めて暮らすことになる。
これが、また、楽しい。
朝一番にやる気満々の人やら、低血圧ゆえか不機嫌な人。皆それぞれなのだが、ひとたび仕事が始まると、皆それぞれに、自分の信念やら「仕事ってのはこういうもんだ」という方式にのっとって動き出す。物事がうまくいかなかったり、ちょっとした読み違いをしたり、思った以上に事がうまく運んだり、意志の疎通がうまくいったり……生まれる状況は様々で、その時々のスタッフの動きやら選択を見ているのは、なんだかひいて見ているようで申し訳ないとは思うのだが、実に楽しい。一人一人の資質が、とっても露わになってくるのだ。
これはもちろん、俳優達が劇場入りをして、わたしが忙しくたち働き出した時に、彼らがわたしを観察しているという事実にも通じる。
人が複数集まれば、どんなことだって起こりうる。限られた時間で何かを作り上げようとすれば、それなりに緩衝は生じる。そこでどう動くかが、現在の自分の存在証明になる。
なんだか、やっぱり、仕事している以上、一瞬も気を抜けないってことかな。
***
久しぶりに、日々の記録を再開すると、それなりの反応がある。今みたいに、書きたいことはたくさんあっても時間のない時、そんな時でも、ちょっとでも書き付けておくことの魅力を実感する。
仕事場にいて、現場にいて、今日もまた、何がなくても幸せだった。
この幸福感、いったいいつまで続くのやら?
2002年07月06日(土) |
センセイと蕎麦屋で。 ●ルネ・マグリット展 |
明日から東京を離れてしまうので、初日のルネ・マグリット展へ。予想通りの大変な人出。絵を見る環境ではなかったが、辛抱強く眺めて歩く。
複製に慣れ親しんだ絵の現物に出会う時の感動は、それでもいつもの如くある。キャンバス自体の凹凸が生み出すささやかな影やら、筆の走りの跡。べったりとした色が、たくさんの微妙な色の重ね合わせであることを知ることもできるし、何より画家の息づかいを感じることができる。20日後帰京したら、時間を見つけてまだ出向きたいが、はて。
昨年の今頃仕事をご一緒し、わたしの日記に登場した愛すべき翻訳家。実はドイツ文学者にして翻訳家、エッセイストでもある池内紀氏である。
劇場で久しぶりにお会いし、思いがかなって、池内先生とデートをすることになった。
先生は、ゆったりと、おおらかに、茶目っ気たっぷりに、あれこれよそ見したり寄り道を楽しんだりしながら、人生を散歩しているような人。いつだって忙しさにかまけてしまうわたしの、憧れの人なのである。
場所は先生のエッセイにも登場する頑固な亭主のお蕎麦屋さん。そこで日本酒を頂きましょう、という約束。これはちょっと「センセイの鞄」にさも似たりの設定ではないか。
さて、実際は。
蕎麦屋に入るなり、やはり池内先生を慕う地元の落語家、柳家はん治さんを発見。はん治さんも先生と一緒に酒を飲みたいのは、わたしと同じ。で、ずっと3人で飲むことに。
湯葉だの蕎麦味噌だの酒盗だの、日本酒ならではの肴を囲んでの、ちょっとした芸術論、落語論。つい熱くなりがちなわたしとはん治さんを、真ん中に坐った池内先生が、おおいなるユーモアで包み込む。
はん治さんは、如何にも懐かしい噺家の風貌で、すごく気持ちの熱い人。気持ちのまっすぐな人。
年齢もそれぞれの3人のいい加減な大人が、与太を飛ばしあっているような、そんな2時間半。実に楽しかった。
池内先生とわたしは、偶然にも同じく姫路を故郷としている。
帰りがけ、懐かしい穏やかな播州弁で、「しんどかったらまたいつでも電話してきてください」とおっしゃってくださった。
ああ、なんてもう幸せな時間たち。
明日はざくざくと荷物をまとめ、新潟の劇場を目指す。