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2002年12月09日(月) |
明日のための眠りのための……。 |
●いよいよ明日から、本稽古。
興奮、いよいよ昂まる。
先の仕事の打ち合わせで来ていた恋人を誘い、美味しいワインとチーズをいただく。
すべて明日にむかってのクールダウンのため。恋人と一緒にいる時間はかけがえのないものだが、わたしはどこかで明日のことを考えている。
明日のための良い眠りのために一緒にいてほしいという願いを、ことば少なく理解してくれる恋人に感謝しながら、さて、一人で明日の眠りを貪ろう。
●プレ稽古が終わり、ようやく演出家が加わって本格的稽古を迎えようとしている。稽古場にセットが建ち、あさってから。明日は準備の最終段階。
興奮しているので、仕事終わりに舞台監督と技術監督を誘い、美味しいビール。パリとモスクワで飲み続けたベルギービールのレフ。これはフルーティーかつ深みがあって実にいける。ただ、日本で飲むととても高くって、その点はいただけない。モスクワだと1本300円くらいで飲めたのに……。(今日のバーでは1150円だった!)
●このところわたしの書く日記の文章、体言止めがやたらに多い。余裕がないのかな。
2002年12月07日(土) |
幸せだなあと思えることがうれしい。 |
●ロンドンへ短い出張に出ていた恋人から、帰国の連絡なく、仕事の合間にも、そわそわそわそわ。
元気にバリバリ働いていながら、パリで、自分自身が突如帰国不可能と思われるほど体調を崩したことを思いだし、不安つのる。
仕事が終わろうかという頃、帰ったよの電話あり、飛行機は遅れるわ、リムジンバスは遅れるわ、の報告。ほっと胸を撫で下ろし、待ち合わせて食事。
●わたしが今、ものすごーくいれこんでいる小説、これをどうしても舞台にしたいと思っている小説を、旅のお供にと、彼に渡してあった。
先日プロデューサーに、「難しいね」とまずは一掃されたもの。
読み終えた彼の「面白い、いけるよ、あれは」のことばに、ガガーン、ゴゴーンと、テンション高まる。
自分が面白いと思ったものを、たった一人でも、他人が面白いと思ってくれた瞬間に、仕事は始まる。あとは自分のエネルギーと、愛情や熱意を形に能力だ。むくむくとやる気が湧きあがってくる。
スタートラインに立ったという気持ち。
●わたしが恋人と呼ぶ人は、わたしがこれだけcleanにこれだけpureに愛しているにも関わらず、妻帯者だ。どうにもこうにも、限界がある。でも、こと仕事に対する判断力に関しては絶大なる信頼がおける。まるで交換条件のように、一緒に仕事をできる人だ。(世の中はうまくいかない)
戦友であり同士(同志)である恋人に後押しされて、前に進むエネルギーを惜しんではいけないなという気持ち。
生き続ける限り、仕事したい気持ち。
●と、理想と無垢なる喜びを並べる夜の時間を過ぎると、現実の仕事が待っている。
今日、稽古場にセットが立ち上がった。また新しい仕事の始まり。これはこれでやっぱり、どきどきわくわく。
新しい人が集まって、新しい人と知り合って、短い時間、密接に暮らす。人が集まる以上はめんどうなことがいっぱいあって、人が集まる以上は、喜びがいっぱい生まれる。
さあ、また始まる。
なんだか悪くないなあ。
ちょっと酒に酔っているのと、夢見る気持ちで、ささやかな幸せを思いきり享受する。
恵まれていると言えば恵まれているし、恵まれていないと言えば恵まれていない。まあ、当たり前の暮らし。それを幸せと思えることが、幸せ。
2002年12月06日(金) |
小さな乳歯の思い出。 |
●本日はお休み。色々と雑用をこなす。
これからしばらく、年末年始を含めて、いつ休めるか分からぬ身になるので、ちょっと部屋の整理などする。
●引っ越しして2年になろうというのに、まだ未開封のダンボールがある押入に、おそるおそる手をつける。山ほどの使いかけのノート、かつてお世話になっていたワープロまわりの物。見つからなかった仕事道具。そりゃあまあ思いもかけないものが思いもかけないところから出てくる。
いっちばんびっくりしたのは、20年前飼っていた猫の写真が出てきたこと。
古臭いアルバムの最後の頁に封筒が貼り付けてある。何なんだろう?と開封してみると、そこには小さな小さな白い歯がひとつ。「今日、乳歯が抜けました」と書いた便箋と一緒に。
●東京に出てきて、独り暮らしになかなか慣れなかった時分に、大学のともだちから子猫を貰い受けた。以来、どれだけかかわいがり、どれだけか救われた。長らく長らく、わたしの友だちだったが、医者も首をひねる突然の内臓障害で死んでしまった。1週間くらい大学を休んで看病したあげく、様態の変化に気づき抱き上げたわたしの腕の中で、ゆっくりゆっくり死に至った。柔らかかったものがだんだん固くなり、温かかったものが、だんだん冷たくなっていった。
●あんなに大事にして、あんなに泣いて別れたのに、乳歯のことなんて忘れていた。小さくな白い塊が、まだこの家の中で息をひそめていたなんて。
●人間が忘れていく生き物でよかった。切ないことがたくさん蘇るのを堰止めながら、そんなことを思った。
●今日は雨。昨日はあんなによいお天気だったのに。
同じような毎日なのだけれど、天気のように、わずかに違う。確かに昨日より1日生き延びているし、仕事も進んだ。たぶん目に見えないお肌の老化も1日分進んだことだろう。
劇的な変化とは言えないが、毎日ちょっとずつ進んでいる。
そんな感じ。
2002年12月03日(火) |
ここのところ。そして今日。 |
●30日は徹夜明けで1日仕事をするも、ぴんぴんしていた。妙な覚醒状態が午後6時を過ぎ食事をすると、もう使い物にならない人に。10時には寝て、翌日のマチネ観劇に備えた。
●1日。静岡芸術劇場までは、新幹線に乗れば二時間くらいで到着する。モスクワのフォメンコ工房の「戦争と平和」を見る。向こうにいたってなかなかチケットを入手できない劇団なので、見たい人間からすれば交通費も惜しくない。公演は、技術、心身、ともに成熟した俳優と演出家が時間をかけて丁寧に創りあげた素晴らしいもの。見てよかった。
ただ、客席が空いている。商業ベースで招んでいないからだろうが、他の都市への招聘を考えることもなく、宣伝もあまりなされない公演自体に、少し疑問を覚える。
同行したプロデューサーとたっぷり自分の仕事の話をするが、やはり何も具体的なことは見えず。わたし自身が、自分を企画する力が試されている。時間がほしい。もっともっと時間がほしい。勉強したい。
●現実的な仕事の上では、怒濤の冬から春が訪れた。時間の使い方を考えても、やる仕事の内容を考えても、想像するだけでハードな日々になりそう。ちっとも余裕のないわたしは、移動のタクシーの中で日記を書いたりしている。こうして何かを書き留めていると安心するものだから。
●今日はいいお天気。本当にいいお天気。でも資料だの、小道具に提供するギターだの、コンピュータだの、両手に余る荷物をこの体と共に運ばなければならない。で、金持ちでもないのにタクシー。健康的じゃないな。でも、この後荷物を稽古場に下ろしたら、大調べもの大会が待っているので、有栖川公園にある中央図書館まで行ってくる。少しはお陽さまの下をてくてく歩いたりしたい。
ああ、本当にいいお天気だ。渋谷の、こんなごみごみした街の中で渋滞につかまっていても、道を知らない運転手にちょっといらいらいしていても、いい天気というだけで、どこか気持ちが潤ってくる。ありがたい。
●そして、今や自宅でくつろぐ身。家に持って帰った仕事ももうなし終えた。今夜は少し本が読めそう。
久しぶりに歩く広尾。犬を連れたご婦人、やけに多く、昼間っから働き盛りとお見受けする男性が粋なスポーツウェアを着込んで散歩していたりする。……相変わらずそういう街なんだなあ。
マクドナルドでお腹をくちくしていたら、隣には上品な親子連れ。グラタンコロッケバーガーってやつを頬張った女の子は、フィリングのマカロニを見て一言。「あ!ストローパスタが入ってる!」……相変わらずそういう街なんだなあ。
●稽古場に戻ると。依頼していた、ちょっとした挿入曲があがってきた。注文したわたしが、まさに望んでいたような曲で、うれしくなる。こういうことがとってもうれしい。
2002年11月29日(金) |
かくかくしかじか、今は何者でもなし。 |
●ああ、またしても朝まで起きていてしまった。今日は午前中の仕事があるし、あさっては朝から遠出してマチネの芝居を観るというのに……。
作戦としては、今日はまた徹夜明けのまま頑張って1日過ごし、そして早く寝て観劇時間にベストコンディションを……なんて、いつもわたしはこんなことばっかりやってるな。
●ここのところ、仕事で外に出ていない時は、1日中机の前に坐っている。仕事であったり、勉強だったり、読書だったり。昨日なんて、次の芝居で使うダンス曲を楽譜に起こす作業に熱中してしまって、これはもう仕事の必要の範囲を超えていたな。何しろ、採譜作業というものが好きなものだから。
父も母もまったく音楽に関係のない人だというのに、わたしは物心つく前から、音感がいたってよろしい人だった。保育園に通う頃には、自分の歌える曲は楽譜に書けたし、小学校にあがるとあらゆる歌謡曲をハ長調になおして縦笛で吹き、あらゆる歌を3度と5度を交えたハモリで歌い、これはクラスの人気者になる一助となった。主メロを音にして歌い、ハモリのメロを頭の中で想像して歌い、独りでデュエットを楽しむという特技も早くから会得していた。
でもその能力も、ちーっとも開拓しないで生きてきたもんだから、わたしは今のところ、音楽的には普通に分かっている人ってなところ。
●久しぶりに語学学習なんてしてても思うけれど、まったくわたしは演劇にのめりこむことで、あらゆる可能性を潔く捨ててしまったのだなあ。なにせ中学の時から取り憑かれていたことであるし、いまだにそこに暮らしているのだから、仕方ないと言えば仕方ない。
ああ、いつか捨ててしまったものの分も、この道で結実するのか? などと問うても空しいので、「何者でもない、何者でもない」と呟きながら、この道を行くしかない。
2002年11月28日(木) |
なんにもない毎日でも、いろいろと思うことはあったりする。 |
●昨夜は20年来の芝居仲間と久しぶりに食事。今夜は恋人と食事。フランス料理に続き韓国料理。金もないのに、外食続き。なぜ、と問われれば、そこに人がいて、食べることを共にするときの空気と、具体的に言ってしまえば、そこで交わされる会話が好きだからと答えよう。金銭のことのみならず、後先考えないで行動する資質は、きっと一生変わらない。そこにわたしの時間を美味しくしてくれそうな匂いがある限り。
●ひたすらに本を読んでいる。かつてのように日記のタイトルに記していけば、よい記録になりそうものだが、記録を越える勢いで読み飛ばしている。
アンリ・トロワイヤのチェーホフ伝、これは実に面白かった。サハリンに行ってみる、編集者とつきあう、女に惚れられる、自己弁護をする、自己に懐疑心を持つ、そういったあらゆる人間的なことは、小説だけ読んでいただけでは味わえない。もちろん他者の手になるフィクションに過ぎないのだが、それを承知していても楽しめる。
久しぶりに読み返すグリム童話。幼かった頃、あまりに理不尽な話が多いので、つまりは心の曲がったものがハッピーエンドの物語の主人公になるとか、心の美しいものが幸福になれないとか、そういうことが解せなくて、えんえん泣いて母を心配させたことがある。
今読み返しても、基本は変わらない。なぜこんな物語が生まれたかと探る心の底には、人間の善悪に関して人生は公平であってほしいという、単純な理屈がある。
現実がままならないのなら、せめて物語は、などと思うのは、嘘。
実際わたしは、グリム兄弟の集めた物語たちの解せなさが好きだ。当たり前な勧善懲悪の童話集など大人になって誰が読むだろう。
じゃあどんな物語を求めてるんだ?
あらゆる物語。
と、わたしは答えるしかない。
英語で読む、愛するレイモンド・カーヴァー。村上春樹氏独自の翻訳文体でしか知らなかった物語が、違った顔を見せ始める。平易な平易なことばの中に、人と人の、人と社会の、間に存するおかしみ哀しみが埋もれている。翻訳された日本語より英語で読む方が平易だと言ってもおかしくないくらいのことばたちの中に、わたしの求めている物語が埋まっている。こういうのはもちろん、先ず日本語で熟読させてもらえた恩恵の上に成り立っているのだが、それにしても。
生きていくのがいかに簡単で、いかに難しいかということが、そこに現れている。ことばという、いちばん大切なツールの中に。
●来年の仕事のための英語学習は細々と続いているが、若い頃の学習に比べるとかなり楽しめる。ことばあっての人間、人間あってのことば、ってなことを分かってきたからだろうか。
●恋人がフランスに行ったとき仕入れてきた、日本語を学ぶフランス人にまつわる笑い話。
「どんより」ということばを使って文章を作りなさい。
→「うどんよりそば。」
いいなあ。これはおかしい。相当おかしい。「饂飩より蕎麦。」
「どんより」に呑み込まれてしまった「飩」に悲哀さえ感じる。
そう言えばテレビ番組で、海外で日本語を学ぶ学生が、日本語を使って寸劇を演じているという場面があって、オーストラリアの学生がプラスティックのかつらをかぶって時代劇を演じていた。
待ち娘に「よいではないか、よいではないか」とせまるお代官さま。待ち娘は懸命に助けを求め逃げまどう「そーれー!」
ほんとに、なんでそういう時、「あーれー!」って逃げまどう決まりになっているんだろうね。いやあ、おかしかった。
わたしも、英語学習ロシア語学習の中で同じような間違いを犯す自信は、たっぷりとある。けっこう楽しいんだ。知らないことば。よその国の人たちが、それによって暮らしている、ことばたち。
今夜、韓国料理の店にいて、どこぞのCS放送なのか、韓国のTVドラマが日本語の字幕つきで放送されていた。
家を飛び出してしまった女房を、自分でちゃんと探し出し連れ帰りなさいと、夫である息子に父親が説得している。夫である息子は答える。
「彼女は自分の足で出ていったんだから、ぼくには連れ戻せませんよ」
これって、きっと直訳なんだろうな。なんだかわたしは、このことば、ぐっときた。
時間と能力があれば、世界中の言語を学びたい、なんて思ったりもする。
●昨日は打ち合わせばっかりの1日で疲労することしきり。おまけに帰り道、空きっ腹で日本酒を飲んだものだから、帰宅と同時にベッドに入りたい気分。で、まだ日付が変わったばかりなのに珍しく早寝しようとベッドへ。
●ベッドの友に選んだのは、久しぶりに宮部みゆき。ずいぶん前に読んだ「火車」。もう発刊から10年もたっている。
読みはじめると止まらず、結局ベッドの中で朝まで読書。昼前に起きだしてすぐに続きを読み、終えたのが午後3時。まったく、仕事が休みだとわたしはすぐにこういうことを自分に許してしまう。休みだと言っても、家でやる仕事をたくさん抱えているというのに!
●それにしても、「火車」は心に響いた。10年前読んだときにはカードによる借金に翻弄される人々へのシンパシーと物語自体の牽引力で一気に読んだ記憶があるが、この度は違った。
人々を疲労させ、生きる意味を見失わせ、間違った道を選ばせる、この世に蔓延する「不公平」と呼ばれるもの。
生まれた場所、生まれる家庭。そんな自分で選び取れないものから、人生の様々な転機における選び間違い、出会いの不幸。または、生まれた国の政治や経済の仕組み自体。
●今年のはじめ、わたしは4ヶ月間仕事をせず、日々読んだり考えたり書いたりの暮らしをした。忙殺され本質を見失っていると感じていた劇場の仕事を休んでみた。
最後の1ヶ月、すっかり貧乏になったこともあって、1ヶ月デパートのジューススタンドでアルバイトをしてみた。現在の仕事では絶対出会えない出会いがあった。理不尽に間違っている雇用者。学歴がない職能がないというだけでただひたすらに働く被雇用者。親しくなってみると、そんな女の子たちが如何に一生懸命生きているかが痛いほど見えてきた。自分の人生を輝かせたいと強く強く願うのに、その方法が分からず、何か道を提示されても怖くて後込みしてしまう女の子たち。夢見る女の子たち。
まず彼女たちのことを思いだし。
さらにさらに、たくさんの人の顔を思い浮かべた。モスクワでわたしを威したくさんのドルを巻き上げた白タク兄ちゃん。
一度は「身ぐるみ剥がされる!」と心臓が止まりそうになるほどわたしをすくませた男も、結局はドルをなんとか手に入れたい、一生懸命生きる人にすぎない。
最悪の手段でドルを巻き上げた後はすっかりフレンドリーなお兄ちゃんに早変わりし、「今日は最初の出会いだからこんなことになったけど、次にモスクワに来るときは最高のドライバー、最高のツアーガイドになってあげるから、絶対電話してね」といったようなことをまくしたて、わたしの手帖に自分の住所と携帯ナンバーを残した。
襲われた劇場にいた人。襲った劇場で死んだテロリスト。
拉致という信じられない運命に巻き込まれた人。彼らを待つことが人生になった人。
新聞を広げると、そこは不公平の吹き溜まりだ。大事にしている海に油が突然流れてきたり。税金を払いすぎていたり逃れていたり。病気の人がいたり健康な人がいたり。愛する人が亡くなったり、人を殺したいという欲求を持つ人がそこここで生まれていたり。
なんだか書き始めるときりがない。
●宮部みゆきの小説は、カード地獄のことだけを書いていながら、わたしに世のあらゆる「不公平」を思い起こさせた。小説の力。
でも、こういう読書のあとは、もっともっと超越した目を持つ作家の本を読みたくなる。自分が生きている時代の刹那的な不幸を通り越して、「人として生きている」ことの根元的な喜びや哀しみを見る眼差しを持った作家たち。
さて、わたしは今日どんな作家の本を手にするのでしょう?
でもその前に、仕事をしなきゃなあ。
●演出家が別カンパニーの海外公演に行くため、しばらく稽古は自主的なことのみ。わたしもいくらかのんびり過ごせる。とは言え、打ち合わせ続きで、相変わらず家での仕事は続くけれど。
●久しぶりに家にいてゆっくり出来たので、読まずにたまっていた新聞を一気読み。大体読むのは、天声人語を含む1面と(朝日をとっているので)、国際面、文化面、社会面だけ。隅から隅まで読むのも思いがけない拾いものがあったりして好きなんだけど、いつもそんな時間はとれない、残念ながら。
●わたしがモスクワに行ったと思ったら、あのテロ事件が起こり。日本ではずいぶん色んな人があれこれと心配してくれていた。業界の人は「あいつはミュージカルは観に行かないだろう」というアバウトな理由でさほど心配しなかったらしいが、恋人はそうもいかなかった。
手に入る新聞をすべて買ってきて読んだのに、肝心の、一番知りたかった劇場の名前を、なかなか知ることができなかったらしい。結局、劇場の名前を正確に載せていたのは、日経だけだったそうだ。
情報は同等につかんでいるはずなのに、何を伝えるかは新聞社にかかっている。日本人が被害者にふくまれていないということで、詳しく伝える必要なしと判断されたのか?
彼はそれから新聞というものとのつきあい方が変わったと言う。
モスクワで事件の推移をテレビにかじりついて見ていた時。わたしの中にはどんどん疑問符がたまっていった。
解毒剤を用意しないままに毒ガスを使用した突入劇。そのせいで、被害者の多くが命を落とし、また多くが病院で生命の危機に瀕していた。そんな中、プーチン氏が病院を見舞う。誰も彼もが笑顔を作って彼に接する。「救ってくれてありがとう」と。誰も彼も。その映像が一日中繰り返し放送される。悲惨な死に様を晒しているテロリストの死体のアップ映像と共に。
作為を感じざるをえない。見る者を何処に導こうとしているかが分かりすぎるほどに分かる報道だった。
個として正しく判断する前に、正しく情報を受け取りたい、と、つくづく願う。他者に勝手に色づけされていない、無垢の情報を。
●朝方恋人から、ヨーロッパより無事戻るの電話がかかってくる。夜は一緒に食事を、という話だったのに、なかなか連絡がない。電話してみるとすっかり寝込んでしまったようで、うだうだと寝ぼけている。
でも、近い空の下にいるというだけで嬉しい。