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2002年12月20日(金) 新しい1日。強い心。

●目が覚めると、新しい1日が始まっていた。
 昨日の、大事な栓の抜けてしまったような、頼りないわたしが消えて、また「きりり」としたわたしが、いつの間にか戻っていた。
 
 心が揺さぶられることが起こると、確かに辛いけれど、こうして、何かまた新しく生まれ変わったような気分になる。別に、私自身、何が変わったわけじゃないけれど、いつもなら繰り返しに思われる毎日が、実はちゃんと新しく始まり、実はちゃんと新しい自分で立ち向かっているのだと感じられる。

●一緒に仕事をしている、とても素敵な女優Mさんが、
「誕生日のプレゼントに何がほしい?」って聞かれて、
「強い心。」って答えてた。
 みんなと一緒に笑いながら、心の中で、「わたしも!」と共感していた。
 これを声にすると、「お前はそれ以上強くなくていい」と一蹴されそうだから、言わないけど……。でも、もっともっとタフになりたい。感じる心はそのままに。


2002年12月19日(木) 大事な仲間の死。

●稽古場に着いて、朝一番で、かつての俳優仲間がバイク事故で死んだと知らされた。それをどう受け止めてよいやら、心のまったく落ち着かぬうちに、今日の稽古のための一息つく間も惜しいほどタイトな準備が始まり、そのまま稽古に突入。面倒なシーンを作っているので、緊張集中しっぱなしの7時間。終わって、緊張の糸が切れると、放心状態になってしまった。

●きりりとクールに存在し続けるべき稽古場の隅で、泣く。同じ現場にいた俳優仲間が肩を抱いてくれる。

●明日の準備を終えて稽古場を出る頃には、何か大事な栓が抜けてしまったようで、いつもの倍以上の時間をかけて、駅までの道を歩いた。納得できない、消化できない、どうしようもないものにぶちあたると、わたしはいつもそんな風になってしまう。歩きながら道に涙をこぼした。

●死んだ仲間は、集団の後輩だった。彼の奥さんはわたしの同期だった。
 二人は、金がなくても何がなくても、お互いがいれば生きていける、幸せでいられるといったタイプのカップルだった。その、欠くべからざる片割れを失うということ。

●仕事に追われる恋人に、頼み込んで、1時間だけ一緒にいてもらう。何が変わるわけでもないけれど、心がちょっとずつ凪いでいった。何が変わるわけではないけれど、こうして大事な他者に助けられつつ、また明日も生きていかなきゃならない。緊張の糸を張り直して。
 今は、まだ、ただ放心しているけれど、眠りを越えて、また扉を開けて出ていこう。なんとか、なんとか頑張って。


2002年12月18日(水) 酔っぱらいもすなる……。

●まあ、なんと言うか、大変な日々なのであって。それは少しでも、休めるときは休むべきであり、一息つくときは一息つくべきな日々なのであって。
 そんなことは分かりきっているのに、わたしは、こうして、休むことより、とことん酒を飲むことを選んでいたりする。

●今夜は、ビール、日本酒、ライウイスキーと重ねていき、最後はテキーラで飾った。困ったことに、飲めば飲むほど、酒は美味しい。飲めば飲むほど、人生時間を酒に費やした貴賤を問わぬ様々な他者の人生を想像するに至る。追体験するに至る。

●ってなこと思っていても、あと何時間かすれば、人一倍クールに人一倍クレバーに、わたしは仕事しているわけなのだな。

●まったく、この1日1日って、なんなのだろうな?

●演劇の面白いところは、この1日1日を重ねていくと、必ず初日が開くっていうことだ。また、必ず開ける自分がいるっていうところだ。"Show must go on."


2002年12月16日(月) 明日はお休み。

●いつものように、仕事をする。フル回転。表向きには穏やかに見せていても、内側でたくさんの歯車が重なりながら、くるくるくるくる回り続ける、フル回転。

●明日はお休み。久しぶりのお休み。お休みに何をするかって言うと、今までできなかった仕事をする。あまりに仕事が忙しいと、「これをやっておいた方がいいのに」「これを勉強しておきたい」ということがたまっていく。だから、お休みの日には、そんな「もう一品」の美味しい小皿のおかずみたいな、仕事をしたくなる。
 あさってからの仕事を、より気持ちよく進めるための仕事、というところか。
 初めて会った人に、よく「プロ」ということばを冠される。でも、好きだからできるってことが殆どだ。好きなことは人の何倍もやって苦にならないし、自分の想像力の届くことや、やるべきと思うことは能力を超えてもハードルを越えてやろうとする。
 でも。好きじゃないことはやらない。「それ違うでしょう」と思うことには、とことん反発してしまう。
 で、いまだに出世してない。ま、そんなことなのだが、その程度のわたしを、素敵だと誉めてくれる人がいるとホッとする。しかもわたしが素敵だと思っている人から素敵だと言われると。

 まあ、そんなこんなのささいな喜びに支えられて、仕事を続けているわけだ。そこが社会であり、商売の場である以上、自分の愛せることばかりでなくっても。


2002年12月15日(日) パワーハラスメントの記事から。

●この間、朝日の朝刊でパワーハラスメントの記事を読み、ちょっと考え込んだ。
 パワーハラスメントっていうのは、記事によると、「実際の職務とは関係ない、または適正な範囲を超えて、上司が部下に嫌がらせの物言いなどを繰り返し行う状態」のことらしい。
 で、その相談所にかかってくる電話には、出来の悪い、あるいは間違った上司に本当に苦しめられている人やら、上司の正当な職務上の要求を嫌がらせと思い込む人やら、そりゃあ様々なものがあるらしい。

 わたしに言わせれば、許容量の少ない上司か許容量の少ない部下がいれば(もっと簡単に言えば、バカな大人とバカな若者)、そんなことは何処にでも見受けられることだ。
 それに。生涯をひとつの会社に捧げるのが当たり前だった時代はもう終わった。世代の違いから職業に対する考え方の違いが顕れて当然だから、上司と部下の思いが食い違うのは、これまた当たり前。自分にとって当たり前のことが他人にとっても当たり前だと思い込んだ途端、人間関係の悲劇は生まれるものなのだ。

●ちなみに、わたしはそういうバカな大人ではない。それでも、この記事を読んで、考え込んでしまったのだ。
 わたしも職場でたくさんの若い子と一緒に仕事しているのだが、どうも、あれやこれやの指示を出したときの反応がビビッドじゃない時が多い。
 現場に入れば1ヶ月に2日休めればましな方という厳しい場所にいながらも、自宅での作業を余儀なくされるような、大変な仕事だ。敢えてそんな場所を選んでいる彼ら彼女らに、わたしは更にいろんな要求をする。いや、要求というより、現在をよりよく過ごすための、未来をより開いていくための、アドバイスだ。でも、これがなかなか、届いているのやらいないのやら、反応がはっきりしない。

 もしかして、ただでさえ辛い彼らは、わたしの言うことが無理難題の押しつけに思えているのかしら? と、ちょっと疑問を持ってしまったわけだ。

●そうは思いつつも、大変な仕事を抱えている今、常よりもっと若い子たちに仕事を理解してもらう、また教えていく必要に迫られているわたし。
 伝える、ということを、もう少し丁寧にやってみようと、直属の女の子二人を呼んで、じっくり時間をかけて、仕事をするということの基本、本質、現在の問題点を話してみた。その中には、もちろん、叱責も混じった。苛酷な要求もあった。
……実にビビッドな反応が返ってきた。そして、翌日の彼女たちは、それまでの彼女たちと確かに変わっていた。

 伝えるということの難しさ。要する愛情とエネルギー量。受け取る側に必要な、前向きさ。ひたむきさ。……そんなことを久々に実感した。
 伝えたり教えたりということが、職業的な日常になっているわたしにとって、忘れてはいけないことを色々と考えることになった。

 自分自身が常にひたむきであること。教えること伝えることを自分が軽やかに実践していること。
 何を伝えるにも、想像力と心を尽くすこと。


2002年12月14日(土) 苦手。

●仕事の本質とはまったく離れたところで、嫌な思いをすることがある。人がたくさん集まってる場所なんだから仕方ない、と思うが、わたしはそういうことにいつまでたっても慣れない。理不尽、不公平ってやつが、幾つになっても、苦手だ。


2002年12月13日(金) 幸せな子供。

●緊張している時間が長いので、家にたどり着く頃にはぐったり。やろうと思えば幾らでも予習復習があるのだが、今夜はやすもう。6時間、寝よう、ちゃんと。

●わたしは美人じゃないが、自分の容姿を疎ましく思ったことはほとんどない。ちゃんとある程度に産んでもらっているので、あとは自分の責任だと思ってきた。
 ところが。この間、お世話になっているプロデューサーと一緒に芝居を観にいった時。そのプロデューサーと旧知の演出家の話を同席して聞いていら。
 話の最後に演出家はこう言った。
「どうせ連れてくるんならもっときれいな女連れてこいよ」

 芝居を観にいくのに「きれいな」もくそもないだろう! と、ちょっと不愉快に思ったが、別に気にはしなかった。こういう仕事をしているのに、今時こんなこと言う奴もいるんだなあ、などと逆にあきれていた。

 ところが、それを母に電話で軽い気持ちで話したらば、さあ大変。

「あんた、もうええ歳なんやから! ちゃんと手入れしてるの?」
から始まって、女はいつもきれいにしてなきゃいけないんだという、お説教とも人生訓ともつかぬ、長い長いお話が続く。
 最後には、
「ちゃんと産んでやってるんやから……」とちょっと悲しげ。

 母は娘がそんな風に言われて、すごく傷ついたのだった。わたしは母の自慢の作品なのだ。

 それから母は、たっくさんの化粧品を、なんとわたしに買い集めていたらしい。女を美しくするのは化粧品だけじゃないけれど、母はそれくらいなら力になれると思ったのだ。
 いまだに現役で働き続ける母は、毎日入念に化粧をして出かける。マニキュアだってちゃんとして。そんな母のプレゼントが、もうすぐ届くらしい。

●あまりの仕事の忙しさに、毎日、化粧をしたとしても所要時間は3分以内。寝る前も化粧水をつけるだけ。でも、そのプレゼントが届いたら、もうちょっと気にしてみようかと思う。
 母に感謝。
 産まれてくる子供は、両親を選べない。不幸な子供がたくさんいる御時世だ。そんな中、わたしはとびっきり幸せな子供だ。40歳を過ぎても、父と母の、幸せな子供。

 


2002年12月12日(木) 酩酊とは言わないまでも。

●今日は書きたいことが山ほどあるのに、山ほどある分、酒飲みになって、語りまくってしまった。仕事仲間としての恋人相手に。
 こういう時、この時書いておかなきゃどうしようもないことがあるのに、今しか書けないことがあるのに、って悔しくまた残念に思うんだけど、仕方ないなあ、3時前に帰ってきて、明日早起きして仕事で、ってことになると。

●今しか書けないこと、今しか言えないことが、新しい仕事に反映されることを願って、とりあえず眠る。眠って、また明日考える。

●ちゃんと学習して生きてれば、なべて問題なし。人生は思うままにならないけれど、ちゃんと、その日その日が自分のわずかな血肉に変わってさえいれば。たぶん……問題なし。


2002年12月11日(水) くたくた。

●1日中集中しっぱなしなので、もうくたくた。さすがに真っ直ぐ帰宅し、独りでクールダウンの時間を過ごす。

●多くの人が集まり、それぞれがそれぞれに頑張りを見せながら、同じところを目指しているので、ちっとばかり大変でも苦にならない。この商売の良きところ。


2002年12月10日(火) 酒とのつきあい方。

●稽古初日。たくさんの人が集まり、たくさんの人のそれぞれの緊張が、狭い空間を支配する時間。わたしは自分の緊張の上に、たくさんの人の緊張を吸い取って、常ならぬ時間を過ごす。
 明日は少し楽になり、あさってはまた少し楽になる、そのことは分かっているが、必ず最初にこの緊張がやってくる。
 きっと、出会うっていうことは、そういうことなんだろう。

●またまたつい飲んで帰ってしまう。酒を飲まないと帰る気になれない最近の自分を振り返り、何かが足らないから酒を飲むのだろうかと、訝しく思う。
 単にお酒が好きで、何かを捨てても美味しい酒は飲んでやるぞという気概みたいなものは確かにあるのだが、なんだかこのところの飲み方には混じりっけがあるような気がしてしまい。
 相変わらず、飲んで愚痴をこぼしたりするのは大嫌い。そういう飲み方からは依然として距離をおいているのだが……。

●いい仕事をしたいと思うのと同じくらい、一生かっこよく酒を飲み続けたと思ったりする。……なんだかわたしって、逆に不自由かな?
 いやいや、かっこいいってことは、いつもある種の不自由さを伴うものなんだ。……って思うんだけど……さて……?


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