Journal
INDEX|back|next
2003年02月23日(日) |
ゆるゆるした心持ち。 |
●明日はお休み。今夜だけは仕事を忘れよう。
●恋人は、今夜も仕事。一緒に電車に乗り、帰ってきて、別れ際、その背中を見ながら、二人、ゆうるりと抱き合って過ごせたりしたら……と切なく思ったのだけれど、叶わないことを知っていたので、ひとり、本屋へ。
1時間ばかりかけて、5冊の本を選んだ。本を選び出すうちに、どんどんどんどん気持ちが柔らかくなってきて、また、置いてきたばっかりの切なさを思い出したりした。
いくばくかの写真を見たり、本の帯を読んだりしているだけで、たくさんんの他者の人生が自分に染み込んでいくような、妙な感じ。
お休みなんだな、本当に、久しぶりに。だから気持ちが、こんな風なんだ。
●今夜は5冊から1冊を抜き取って、ベッドに入ろう。思いっきり、ゆるゆるしよう。物語に取り込まれて。
●昼夜公演、早起き必至の中、恋人と飲んで話して、自分の現在を確かめる。
●「夢見る力」がすべてだ。こんなこと、ただ単純に書いたってなんの力も持たないけれど、この数日間、ひどく底まで行ってきたわたしが、ようやく認識できたこと、「夢見る力」がすべて。それさえあれば、なんとかやっていける。
そのことは、いつか、ちゃんと書かなければ、言わなければ。
と、いうくらい、大事なこと。
●明日は3時半入り! 2時まで家にいられるということだ。ああ、なんて素敵。待ち侘びたこの時間。
●とりあえず、読みかけの本とビールを持ってベッドに入るでしょ。そして時間を気にせず、最後まで読み切る。もちろん、途中で眠りに落ちるもよし。目が覚めたら、1月1日以来掃除してなかった部屋を、思いきり掃除する! ああ、なんて素敵! 当たり前の人の暮らしに、ようやく戻れるんだな、しばらくのうちは。ああ……。
●終電に駆け込みつつ、次の仕事の電話を受ける。新しい演出家との仕事。まあ、働かなきゃ生きていけないから嬉しいんだけれど、一体わたしはいつ、自分の仕事を始めるんだろう? とうなだれつつも、せっかくわずかに自分の時間を持てたのだから、落ち込まずに、ゆったりしよう。
5月までは走り続けて、6月7月は完全休養、勉強期の予定。
結婚もせず、子供も持たず、働き続ける女の幸せなど、幼い頃は想像もできなかった(当たり前か……)。今や、そのまっただ中。
よし、今夜はとことん本を読むぞ。
●初日を開けた! 一体何本の初日を開けてきたのか、もう覚えてもいないけれど、この度は喜びひとしおだった。本当に、責任重大で、大変きわまりない仕事で、心身ともに疲れきった。このところの精神の不安定は、疲弊しきった心と体、そして責任の重さがなせるものだったのかもしれないと、振り返って思う。
●それにしても、とにかく、とっても幸せに開いた。ほっとすると同時に、明日はロンドン公演に向けての打ち合わせが、朝から。5月まで緩めちゃいけないんだ。
●韓国の地下鉄事故、痛ましい。痛ましいことばっかり起こる現実にふと目をやると、自分の居場所の感触が変わってくる。あらゆる幸福はあらゆる不幸を実感させ、あらゆる幸福はあらゆる不幸を実感させる。この不均衡を納得するには、とことん自分は自分と生きていかなければならないということを、認識しなきゃならないんだろう。そうでしかありえないということを。1度しかありえない人生をこの体とつきあうしかないのだということを。
●今回の公演は、7時開演で3時間半の上演時間。しかも埼玉県でやってるものだから、観客も我々も、終わるとすぐに終電状態。みな、ばたばたと劇場を出る。
今夜の観客は、何を持ち帰ってくれたのか。ひとりひとりに会って、話を聞いてみたい気持ちだ。
●初日前の最後の通し稽古で、ようやく見えてきたものあり。
明日、1万円也のチケット代を払ってやってきてくれる観客に、さて、この仕事が、どう映るのか。
●わたしの精神は安定への一途をたどり、何か悪い夢を見ていたかのよう。これからも、幾つになっても、きっとこんな悪い夢を、度々見なければ生きていけないと思うと、何やら心細くなってくる。
勝負は体力だな。心が駄目になると、体が助けてくれる。体が駄目になると、心が支えてくれる。そんな繰り返しで、これからやっぱり一人で暮らしていかなければならないんだな。
●ゆっくりと回復している。
自分を取り戻し始めると、いい歳をして、なぜ青春期のように突然ぶれてしまったのか、分析がはじまる。
分析の結果を自分で納得できるのは、きっともっと時間が経ってから。
●あさって初日を迎える舞台の、初めての通し稽古。ロンドン公演のプロデューサーもやってくる。
いよいよなのだが、仕上がりにどうも乗り切れない。細かな調整作業がまだまだ続く。
2003年02月16日(日) |
縮んでしまった心を抱えて。 |
●最悪の精神状況で、大事な仕事の最も大事な3日間を過ごした。人からさほど変わりないように見えても、自分としては、最悪の仕事ぶり。
消え入りたいような気持ち。
●かつて1度だけ、自殺したいと思ったことがある。仕事場で。人であることに絶望して。人に絶望して。
その引き金となった人から、また圧力を受けている。
●恋人とお酒を飲んで帰る。仕事上のアドバイスを受ける。すべて理解できるが、現状のズタボロなわたしには、素直に聞く能力もない。
そんなわたしに、彼が言う。「この3日間で、あなたの印象がプラスになりもマイナスになりもしない。いいなと思うところは、本屋で潔く大量の本を買う姿と、シャンパンを一晩に何本も空ける姿だから。」
わずかに救われる。
●それでも、また明日、仕事場に行く。
昨秋、ロシアにて、劇場でのチチェン人テロ事件に居合わせたとき、こう思った。「どんなことがあっても、わたしは一生、劇場にいよう。」
その時の思いが、不思議にわたしを支えている。
どんなに駄目でも、どんなに恥じ入りたくても、やっぱり劇場という仕事場に出向こうとするわたしがいる。
●わたしのこの不調に気づく人は、きっと少ない。一緒に仕事をしてきた人々は、わたしを頼って声をかけてくる。そりゃあ、愛情を注いで一緒に頑張ってきたのだもの。
皆、それぞれに懸命に生きている。だから、人の不調になど、そうそう気づかない。気づかないままに、いつも通りわたしを頼ってきてくれる人々が、やはりまた、わたしを救ってくれている。
●生きていると、本当にいろんなことがある。
3日間、泣きすぎて、目がかゆい。
●仕事中、ちょっとしたことで精神ずたぼろになり、1日中負け戦。帰りの電車の中で、涙が出てくるので、ティッシュで押さえてごまかした。
心ない人のことばの強さに、負けた1日。
●泣くと、っていうより、涙が止まらなくなると、小さな女の子に戻ったような気持ちになるのは、何故か。誰かの庇護の下にいるということへの、遠い憧れか。あるいは、整理できない感情を持て余しているという、体の記憶か。
●仕事をしていて、明日からもう行かない! と、これまでも何度思ってきただろう。その度に、ちゃんと目覚ましを合わせながら、「新しい1日」を切望して眠りに入るわたしがいる。眠りが昨日と明日を区切り、少し新しい世界と少し新しい自分を呼んできてくれると、わたしはどこかでやっぱり信じているんだ。信じないとやってけないくらい、理不尽なことで溢れているから。
●今、我が家は、読み切れないままに積み上げられた新聞で埋もれている。出かける時に鞄に入れて、車中で読むのだが、座れた時はすぐに眠ってしまうので、半分も読めない。で、もったいなくて、古新聞の紙袋ではなく、テーブルの上に積まれていく。
これをいつかまとめて読む日が来るのかしら? と思いつつも、積み上げる。なんだか、自分だけ情報から取り残されていくみたいで、悲しい気もする。時間があって、詳読している時には「つまんないから取るのをやめようか」と思うのに、こういう時ほど、やめる気になれない。おかしなものだ。
●忘れてしまうのが怖いんだろう、きっと。
今、自分がいるところがすべてではない、ということを。
本を読む時間もないこの暮らしの中で、すべての人生の同時進行の中、毛ほどの一筋を自分がたどっているに過ぎないことを、簡単に、毎朝定期的に、思い出させてくれるのが、わたしにとって一番の、新聞の効用なんだろう。
●今夜は、靴下がきれて、深夜の洗濯。ベランダで、午前1時からまわり始めた、わたしの洗濯機。これを始末するまでベッドに入れない。
洗ったり、汚したり、毎日は、やっぱり大変なんである。
2003年02月12日(水) |
生きてるだけで、苛酷。 |
●たくさんの人間の中に取り込まれて仕事していると、そりゃああらゆる誤解を受け、あらゆる賞賛を受け、あらゆる感謝の念をもたれ、あらゆる恨みをかうわけで。
今日は、ちょっとしたことで、誤解を受けてしまい、まったくの誤解であるに関わらず、わたしはひたすらにあやまった。あやまるべき人はほかにいても、誤解が生じた後ではどうしようもない。
その事件だけで、このところのわたしの努力や頑張りや愛情が、露と消えてしまうような気がした。
●毎日毎日、どんなに前向きに頑張ってても、そういうことってあるもんだ。幾つになっても、「強くなろう、強くなりたい」と願う。毎日ただ生きていくだけでも、そこが社会である限り、苛酷なことがいっぱいある。いつ地雷を踏むかわからない。
かなり落ち込んだので、また恋人と酒を飲みに寄り道するも、お互いにあまりに疲れているので、ビール1本で散会。
昨日ベッドで読みはじめた小説の手触りが良かったので、今夜はしばし物語の世界に行ってから、眠ろう。たとえ眠りが少し削られようとも。そういうことが、必要な夜だ。