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●この仕事は、客席通路を出ハケ口としてしょっちゅう使う。舞台が設営されていくのを後目に、わたしは、こちらのステージマネージャーと、客席使いの打ち合わせに、半日を費やす。
詳細な資料を送っていたものの、やはりちゃんと目を通してくれたのは今日がはじめてといった按配で、一から様々な許可を取っていく。まだるっこしく、面倒だが、これが外国で仕事をするということ。
●照明の仕事の遅れ激しく、全パートが手伝って徹夜作業。必要な作業を終了しないままに、午前8時、とりあえず休憩。9時には新しい1日の仕事に入っていた。
わたしは楽屋のベッドで15分仮眠。眠っているのか眠っていないのか分からないままに、体を横たえていた。
●対岸の火事は、庁舎でもなんでもなく、一般のアパートだったと判明。
新聞を読まないものだから、日本でどういう戦争報道をしているか分からない。「対岸の火事」に、やっぱり過ぎなかったりするんだろうか? 米国との関係からすると、対岸でもなんでもないはずだけれど、噂に聞けば、報道にさかれる時間や紙面は極端に少なくなっているとのこと。
自分自身が、今は日本の対岸にいる。
●午前9時、仕事開始。午前中いっぱい楽屋割りに費やす。たかだか楽屋を見せてもらうだけで、ロンドン側の様々なスタッフを通さなければならない。通訳を通さなければならない、時間のロス、また、ニュアンスのロス。まあ、英語だから、昨年パリに行った時と違って、ある程度の訳し間違いは分かるので楽だが。
●照明の仕事が根本的に遅れてきている。
●午前3時、川向こうに火柱が見える。あれは何かの庁舎じゃないかとか、信憑性のない噂がつらほら。戦争、どうなってるんだろう? と、何日かぶりに思う。
●ロンドンに到着。驚くほどの暖かさ。17時のヒースローは、半袖でも平気なくらい。
デモによる市内の交通マヒを予想していたのに、これもまたあっけなくホテルに到着。すでに劇場入りしている先発スタッフを激励した後、演出家とSOHOで食事会。
ホテルはキッチンのついたアパートメントタイプ。皆それぞれに食材やらビールを買いこんで帰宅。当分キッチンに立つ余裕などないことを知りつつも。
●東京でアクセスチェックをし、たぶん大丈夫だろうと踏んでいたローミングだったが、当地ではつながらず。どうもあてがわれた部屋の電話に問題があるらしい。なんたって、外線が繋がらないのだから。日本にいるわけじゃないから、部屋を変えてもらうだのなんだの言い出すと面倒なことになる。それに、どうも多くの部屋で外線が繋がらないらしい。まあ、ヨーロッパのホテルなどそんなもの。水とお湯がちゃんと出るだけでありがたい。
2003年03月22日(土) |
出発目前。さくさく荷詰め。 |
●只今午前5時。ためこんでいた仕事がようやく終わって、今から荷詰め。7時には家を出なきゃいけないから、あと2時間の勝負。
仕事の旅仕様の荷物リストが作ってあるので、いつものようにこれをプリントして、ひとつひとつ消しながら詰め込んでいくだけ。ロシアに行くことを思えば、楽な荷詰めだ。大丈夫。
それにしても、アレルギー症状が今夜は特にひどい。これさえなければ、もっとスムーズに全て運んでいたのに……。ロンドンも、花粉、飛んでるのかなあ。
●ここまで来たら、とにかく、行って、幕を開けるだけ。
●2週間もいるから、向こうでも日記を書き続けたいのだが、さて、ローミングがうまくいくかどうか。
●休みの間、確信犯的に仕事をせず、本ばっかり読み、うだうだとあれやこれや考え過ごした。しかしその猶予期間もタイムアップ、さすがに向こうでの仕事に備えて、台本の整理、旅の支度を始めた。出発は23日の朝。あと24時間後だ。目の前には、やることが山積み。マックのデスクトップにやることを書き出し、クリアしたものを消しながら時間を過ごす。
●まわりの多くの人から、「本当に行くの?」と聞かれる。確かに多くの問題を孕んではいるが、行くのだ。
ロンドン側のスタッフは、何の問題もないよ、と言ってきている。
プロローグエピローグで、「傷ついた、五体不満足な人間たちによって演じられる物語」という大枠を持ち、舞台装置は、たくさんの銃痕が開いた壁に囲まれた世界。そんな芝居を持っていくことを、なんと「タイムリーだよ」と言ってきている。
でも、そんな呑気な話なのか?
それとも、芸能者というのは、それくらいの思いで現実とつきあった方がいいのか? 現実と拮抗する虚構を生み出すために。
●しばらく寝て、起きたらまた仕事。次ぎに寝るのは、きっと飛行機の中だ。
●それにしても、戦争報道を見るのは苦しい。
民間の人間が、これほどまでに納得できず、違和感を感じているのだ。明々白々に。ブッシュの、フセインの、小泉の、口元を眺めながら、歪んでいく世界を思う。その口から出たことばが、これからどんな不幸を呼ぶのか。危惧しながらも、何もできない。世界各国で、多勢の集まるデモが起こっているけれど、たくさんの口は、一人の口にかなわない。
いったい、何が出来るというのか、わたしたちに。
さっき書いたことと矛盾してしまうが、結局わたしは、「だから芸能者として生きる」というところに、戻っていく。
2003年03月20日(木) |
開戦。この3日間を振り返る。 |
●第2次湾岸戦争、開戦。
1日中、報道番組をつけっぱなしにして過ごす。
新聞を読んでも、報道番組を見ても、どんな真意もくみ取ることができない。武力によって制圧されるべきものがはっきりと提示されているにも関わらず、その実体が、見えない。
どんなに「人道的」にと謳ってみても、避けえない悪の制圧だと謳ってみても、無差別殺人になって仕方のない、百花繚乱、進化した兵器の活用は、そこに当然、敵味方の線引きをし、人心を歪ませる。想像力のバランスは崩れ、崩れたもの同志は寄り合い引き合い、歪んだマスを形成する。歪んだマスは、次ぎに何を生み出すか分からない。人間とはそんなものだろう。また、一度生まれた憎悪、深い痛みは、遺伝子となって子孫に繁栄する。きっと、血となって受け継がれる。
自分もまた、歴史の中の一部なのだと、感じざるをえない。
不愉快で、つくづく、悲しい。
●3日間、いろんなことを考え考えしていたら、どうにも書く気にならなかった。どうせ書ききれないからと、書かなかった。
思い切って3日分を書こうとしてみたら、やっぱり何も書ききれず、自分につくづく愛想を尽かしたりする。
それでも、意味があるはずだと、やっぱり、書いてみる。
●明日から、ロンドン公演の準備を始める。打ち合わせに出向いたり、向こうでこなす仕事のシュミレーションをしたり。
単純に、仕事に忙殺されると、本質を見失いがちだ。こうして時間のある時に感じる、(あれこれとどうしようもなく彷徨ってはいるが)自分の立ち位置を、忘れないようにしなければ。
2003年03月19日(水) |
人間と、状況。●戦場のピアニスト(R・ポランスキー)●ザ・ピアニスト(W・シュピルマン) |
●ポランスキー監督の「戦場のピアニスト」を観る。
彼らしいと思える特別な手法は何もない。目に見えるシーンのすべては確かに衝撃的だが、かつてあったことを淡々と再現しているにすぎない。
そんなことに関わりなく、この映画が素晴らしいのは、表現者の目線が、現在が、とってもはっきりしているところにある。
●ポランスキーは、2時大戦下のワルシャワに幼少期を過ごし、ゲットーで暮らし、自らはゲットーを脱出したが、母親を収容所で失っている。
その記憶を、映画人である限りいつか撮るだろうと思い続けて暮らした中、ようやく巡り会ったのが、この原作であったらしい。
「シンドラーのリスト」の監督をオファーされて断った彼が、この原作に魅かれた理由は、「自分と近すぎず、距離感を持てる」ということだった、と、語っている。
そして、その通り、あったことはあったこととして描き、忠実で、しかも、自らの情感に偏りすぎず、その「状況」下での、人間の多様な物語を描くことに成功している。
あるのは、「人間」と「状況」だけ。
そこに、どんなことが起こりうるか。
●見終わってすぐに本屋に行き、原作を買い、一晩かけて読み終えた。
ピアニストのシュピルマンは、記憶の生々しいうちにこれを記し、もちろん発禁の憂き目に会い、戦後50年を過ぎてから、彼の息子が出版をした。
そこに読めるは、感情的に整理できない事実(もちろんそんな事実は一生涯整理できるものではないだろうが)ばかり。事実ばかりが、羅列されている。しかし、彼が秀でた芸術家であったこと、偶然にも敵の目をかいくぐって過ごせたこと、終戦間際に彼を救う「ドイツ人」に巡り会ったこと、その小説より奇なる現実の力ゆえに、人に読まれるべき作品となっている。
物語は、生きている人間に付随するものなのだ。彼と同時期にゲットーで過ごし、子供たちとともに収容所で亡くなったコルチャック先生だって、そこまでは生き長らえ、最期まで人間として選択をした末の死だったからこそ、わたしたちにその生き様が伝わっているのだ。そう考えれば、敬意を表すべきどれだけの「生」が、意味なく(当人の選択なく)失われていったことか。
シュピルマンの戦後の「生」の影には、ドイツ兵でありながら彼を救い、自らは戦犯としてシベリアで亡くなったヴィルム・ホーゼンフェルト大尉の「失われた物語」が隠されている。
●原作には、ホーゼンフェルト大尉の日記抄が併載されている。ドイツ人でありながら、その前線に立ちながら、平和を希求し、人間の尊厳を問う姿勢が、自らの現在に照らして、痛ましく書きつづられている。
彼の物語は、語られることなく、終わっていたのだ。
●シュピルマンを語り、ホーゼンフェルトを語り、戦争を語り、ナチを語るポランスキーの目に、曇りはない。一生晴れないであろう、彼の個人的な記憶の曇りは、そこに垣間見えない。少なくとも、それが映画の本質ではない。
あくまでもそこには、ありえる「人間」の姿があり、かつてあった戦争(ユダヤ人迫害)という「状況」があるだけだ。
いつかは死ぬ人間が、どう生き、どう死ぬかということ。極端な状況下で人間の尊厳がどう変形するかということ。極端ではなくとも、人はそれぞれの状況下で、生きたり死んだりするということ。
●悲しむべき事は多い。でも、悲しんでいるより先に、生きている限り物語は続くのだと知る。続いていく「生」が、喜ばしかろうが辛かろうが、それぞれの物語は綴られる。それこそが、生まれてきた意味であるかのように。
2003年03月18日(火) |
飽和状態。●白痴群(車谷長吉) |
●日がな一日読書にいそしんで休日を過ごす。読書の合間に、自らの現在だの未来だのを考える時間が、たびたび紛れ込む。読んでなければ紛れ込まない思索があり、読んでなくても紛れ込む思索があり。
●夜遅く、「飯を一緒に」の電話が恋人からかかる。終電に飛び乗って、待ち合わせの街へ。
彼は、9月にフランスに発つまで、あまりにたくさんの仕事を抱えている。そのすべてにおいて責任ある仕事をしているものだから、もう、飽和状態にある。仕事をこなしてもこなしても、まだ目の前に山積み状態。休む暇なく、本当に、ひたすら働いている。時間と成果の両方を競うゲームの主人公のように。
彼と話していて、わたしは全く別の意味あいの「飽和状態」を待っているのだと気づく。
この仕事をはじめてずいぶんと経ち、自分の作品を創るべき時期にきているわけだが、「じゃあ先ず何をやるんだ?」と企画を求められると、わたしはその「ひとつ」が提出できない。
いつぞやも書いたが、わたしの中に複数の視座があり、何をどう語るのが自分らしいのか、何をどう伝えることが今のわたしの必須なのかが、どうもはっきりしない。
たとえば、こんな風だ。
わたしの中に、受け皿としてのコップが、幾つもある。わたしの幾つかの問題意識と言い換えてもよい。
そのコップの中には、ほぼ均等に水がたまっていく。どれか一つが一気に溢れることはない。真面目に生きていると、どれも一杯になるのだが、私固有のバランス感覚で、どれも表面張力レベルで拮抗して止まってしまう。
どれかひとつに、たった1滴が落ちてくれれば、表面張力が崩れ、たらたらと零れ出す瞬間がくるのに、その1滴が落ちてこない。何かひとつに偏れない。
●喜劇でもいい。悲劇でもいい。楽観的でもいい。悲観的でもいい。主観的でもいい。客観的でもいい。具体的でもいい。抽象的でもいい。
切り口が定めることが始まりなのに、わたしは、世界を見る目がゆらゆらゆらゆら揺れていて、どこにも「とりあえず」と腰をおろすことができない。
●どうしたって語り始めなければしょうがない「飽和状態」が訪れ、そこに決定的な1滴がしたたる瞬間、その瞬間を待つための時間を、わたしは過ごしている。
●そんなことを話したり考えたりしながら、ぐいぐいと、盃を傾け続けた。酔っぱらってのち、現実的な飽和状態でくたくたになっている彼をマッサージする使命を帯びて、この夜はホテル泊まり。彼が眠りにつくまで、それが天職ででもあるかのように、マッサージし続けた。
●雨の中、自転車を繰って、税務署へ。通り道の公園は、白梅紅梅がほぼ満開。暖かい日には、さぞ芳しい香りをふりまいて人々の嗅覚を喜ばせているのだろう。
なんとなく、去年の日記を見ていたら、3月13日には、わたしはもう初桜を見、梅がすっかり散ってしまったと書いている。
去年の11月から毎日、朝から晩まで稽古場か劇場にいたものだから、わたしはこの冬をちっとも肌で感じていなかった。
ああ、今年の冬は寒かったのだな、と、ようやく思ったりする。
●税務署は、表向き確定申告の最終日なものだから、大混雑。まだ諸々の計算をすませていなかったわたしは、喫茶店へ。テーブルの上に領収書の山を積み上げて、端から整理していく。2時間の算数作業の末、税務署に舞い戻り。さらに混雑きわめた申告所で、さくさくと書き上げ。
隣に坐ったおばさんが、説明に駆り出された税理士から「違うでしょ、それ。ちゃんと計算した? ここからこれ引いて、なんでこれになるのよ。機械でやってもらいなよ。いつまでかかってんの?」などと言われている。
「こういう高飛車な言い方、ありがちだよな。」と、同情したが、まあこの1日彼がやる作業を思えば、仕方ないよな、と思う。それでお金をもらっているとは言え、そんなに我慢強く教えたり、相手の立場になってものを考えたりできる人は、そうそういない。サービス業でもないし、大体はそういう高飛車さをもって、「素人ばっかりでいやになるよな」とか「毎年のことなんだからもうちょっと自分でやれよ」とか思っているものだと想像する。
しかし、そのおばさんも負けてはいなかった。別の税理士をつかまえてきて、高飛車な人の名前を訊いている。
「名前教えてちょうだい。投書しますから。忙しいのはわかりますけどね。あんまりにも失礼ですよ。あんな人はいちゃだめですよ。訴えますよ、わたしは。」とキイキイした声で、小鼻をふくらませながら。
また、詰問された新しい人の方の答えもすごい。
「ああ、そうですか。色んなタイプの人がいますからね。あの人は○○さんですけど、わたしの名前は出さないでくださいね。わたしはちゃんとやってますから。」
なんだろうなあこの人たちは、と、悲しくなってくる。そのおばさんは、わたしの収入とか必要経費とかが、よほど気になるらしく、わたしの申告書をずっとのぞきこんでいた。「見ないでね」とわたしがチラと視線を向けるとあっちを向いてそらとぼけるのだが、またのぞきこんでいたりして。
……おばさん、あなただって失礼よ……と思いながら、記入し終えて、席をたった。
ああ、市民たちよ。(って、何度も呼びかけたのは『ジュリアス・シーザー』のブルータスだったか、アントニーだったか……?)
人々は、わたしを感動させたりがっかりさせたり。
世界は、美しかったり嘆かわしかったり。
●こうして一息ついて1日をのんびり過ごすと、忙しかった時の自分のことが思われる。やることが余りに多すぎると、仕事を優先順位で区切ってこなしていくので、とりこぼしていく人間的な仕事が、たくさんある。
ついぴりぴりして、まわりに声をかけさせない雰囲気をたたえていたこともあると思う。
忙しくっても時間がなくっても、ゆとりのある心を保つ道はきっとあると思うのだが、なかなかそれができない。
人間が小さいんだな。所詮。でも、小さいなりに、ちっとは大きくなろうとしてみてなんぼだぞ、と、自分に言い聞かせたりして。
●さて、明日もお休み。大掃除でもしてすっきりするか、お布団にくるまって物語の世界にどっぷりつかるか。
●年始から始まったこの仕事、ようやく一区切りを終えた。これからロンドンに出向き、帰国したら、地方二カ所で開けて。すべてが終わる頃にはゴールデンウィークを迎えている。なんとも長い仕事、ようやく折り返し地点というところ。
●少し気持ちが緩むと、アレルギー症状がひどくなる、というのがここのところの決まりで、今夜も、明日はお休みだと思った途端に……。明日はでも、何がなんでも確定申告に出向かなければ。
●3日くらい、好きに暮らせる。2日以上続けて休めるのは、今年初めてのこと。