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2003年04月04日(金) ひっそり、確かに、感じて暮らす。

●わたしたちの公演は、大変な評判を呼んでいる。劇場で観客と空間を共にしていると、そのことを肌で感じることができる。芝居が上演されている時間がいちばん幸せだ。終演後の賞賛の喧騒は、もうすでに淋しかったりする。

●開演前、ストレッチをする主演女優と雑談中、いきなり、「××ちゃんは今、幸せ? 何%くらいの幸せ?」と訊ねられ、とっさに出た答えは「40%」だった。言ったあとで何かしらの気まずさを感じ、「それじゃ少ないですよね」と言い直そうとしたら、「いいのよ、そんなもんなんだから。わたしだってそんなもんだよ」と、止められた。
 確かにわたしたちは、今、ロンドンでいい仕事をしている。でも、それが人生のすべてじゃない。それぞれがそれぞれの現在を抱えて生きている。そんな、どうしたってすべてを共有できない人間が集まって、ひとつのものを作り、多くの人を感動させているって、そのことが、まずすごいことなんだな、と、ふと感じる。

●忙しすぎたり。繊細なものを作るわりには時間がなくて全体の神経が尖ったり。ちょっと調子を崩していたが、崩しているなりに、見えてくることがある。調子がよくってばりばり戦闘状態にある時には、なかなか見えにくいもの。
 何処にいたって同じ。今感じること、感じたことを糧にして、明日を生きていくしかない。

●明日はロンドン千穐楽。


2003年04月03日(木) マグダラのマリア、二景。

●初日を開けると、わたしの仕事場は客席になる。トランシーバーをつけ、ヘッドセットをつけ、ストップウオッチなど持ったわたしは、如何にもスタッフなので、休憩は何分後だとか、終演は何時だとか、よく観客に話しかけられる。これは日本でも、いつもあること。でも、この国でしかないことは、休憩中に、「素晴らしいよ」とか「衣裳がいいね」とか、感想をダイレクトに個人的に話しかけられるということ。わたしは「ありがとう」とことばを返し、休憩後の1時間半も楽しんでもらえるようにと願うことになる。なんとも反応がストレートで、いい意味で個人的なのだ。自分が面白いと思うから、面白いと伝えたい気持ちが、そこに見える。それはそれは素晴らしいコミュニケーション。

●夜1回公演なので、昼間はなんの計画もなくお散歩に。
 ナショナルギャラリーの特別展示で、TITIANという垂れ幕がたくさん。それって誰?とポスターの絵をのぞくと、それはティチィアーノ。もう迷わず入ってみる。昨年、エルミタージュを駆け足で見てまわった時、ティチィアーノの「マグダラのマリア」を見て、大感動をした覚えがある。あの涙。あの、実人生を越えた虚構の涙の美しさ。いや、我々の知り得ぬかつての深々とした人生が生み出した虚構の涙の表現。またあの絵に出会えるのかしら?と期待しつつ。
 展示作品の中に「マグダラのマリア」はなかったものの、また幾つかの出会いをし、外に出る。ふと、カラッヴァッジオの「マグダラのマリア」を思いだし、本屋へ向かう。
 本屋へ向かう途中にあった、セントジェームス教会。教会を見つけると必ず中へ入る習性のあるわたしは、しばらく聖堂にたたずむ。あっけらかんとした礼拝堂。十字架の前にひれ伏して祈る男性が一人。そんなのおかまいなしに、ブオンブオンと掃除機をかける女性が二人。ただそれだけの教会。
 本屋で、ティチィアーノとカラッヴァッジオの本を買い求める。カラッヴァッジオの「マグダラノマリア」は、世俗の痛みに満ちたもの。ティチィアーノのそれとはまた違った訴求力がある。わたしはそれらの画集を胸に抱くようにして、劇場入りする。

●ロンドンに来てから、辛いことがいろいろあった。肉体の疲弊は単純に眠りの時間が癒してくれるけれど、なかなか自分ひとりでは癒しきれない精神の疲弊が、わたしにはあった。
 それを、救ってくれるものが、やっぱりあるのだ。

 やはり懸命に自分の生を生きている仲間たちであり、深々とした人生を送ったかつての人たちの作品であり……。

●二人の画家の、2種類の「マグダラのマリア」は、今日のわたしの、救い、だった。こういうことは、誰に伝えても分からないこと。わたしは一人で、その絵を思い浮かべ、柔らかな力を取り戻しつつ、夜の時を過ごす。


2003年04月02日(水) 親の死に目に会えないはずが。

●突然、あさっての公演で、ロンドンクルーが一人休みをとるとのお知らせ。またまた稽古をしなくてはならない。全公演、クルーの交替はないという話だったのに……。受け入れ側は皆いい人なのだが、こういうことはしょっちゅう。そしてまた、その休む理由がふるっている。「結婚記念日だから」っていうのだ。
 日本では、こういう仕事をしていると、本番をまわしている限り親の死に目にも会えない覚悟って意識が今でもある。それが、なんてったって、結婚記念日で休んじゃうわけだから。
 一緒に仕事をしていても、いろんなギャップがあって戸惑っても当たり前ってとこかしら。

●本日のショーは、想像だにしなかった、いっろんなアクシデントがあり。
 生きものだな、まったく芝居は。でも、老若男女とり混ぜた観客が、最高のアプローズ。癒されるな、幸せだな、この仕事は。

●ところで、ホテルの部屋の外線9に加えて、アクセスナンバーなるものが存在することを、今日はじめて知らされ、滞在11日目にして、ようやくローミングに成功する。
 疲れの中で寝ぼけながら書きためた23日からの記録を、一挙にアップ。調子に乗って、Etceteraもアップ。


2003年04月01日(火) 親不孝娘の親孝行。

●夜一回の公演。
 昼間は買い物に出かける。

 ユーズドカメラのかなりディープなマニアである父のために、カメラ探し。3時間歩いてようやく求めていた類の店に出会い、5万円分、実にマニア泣かせっぽい買い物をする。
 飛行機嫌いで、一生海外旅行をしないで終わるだろう父のために、わたしは海外へ出るたびにカメラを買い求める。出来の悪い娘にできる、唯一の親孝行かもしれない。

●ようやく、自分の仕事のポジションが見えてくる。
 こんなに長いこと働いてきていても、こういうスランプがあるものなのか……。
 


2003年03月31日(月) ロンドンに早一週間。

●休演日明け、キャストもスタッフも、元気を取り戻している。それなのに、芝居はどこか物足りないものに。
 わたしは不調から立ち上がれず、まだどこか仕事の仕方をさぐっている。どうしたんだろう? わたし。

●断片的な情報しか得られない戦争。何か、現実から遠く離れたところで仕事をしているような気がする。この芝居自体が、この現実の中でこそ手触りを深めるものと受け止められているというのに。


2003年03月30日(日) 眠りの休演日。

●休演日! 素晴らしいお天気!
 目ざめて、仲間と昼食をとり、ビールを飲んだら眠くなり、絶好の散歩日和だというのに、また寝てしまう。起きたらもう夕刻。しかもひどい頭痛。
 持ってきていた宮部みゆきをベッドで広げ、そのまま朝まで就寝。

 わたし、よっぽど疲れてたんだな。


2003年03月29日(土) そしてショウは続く。

●2日目。観客席から賞賛の拍手が鳴りやまず、癒される。日本の観客よりヴィヴィッドな反応。スタッフワークはまだまだ落ち着かないが、それでも、大変な仕事を開けたのだという満足感は、みんなの間に広がっている。
 自分自身の仕事ぶりが、どうも納得できず、わたしの精神はどこか陰っている。
 明日は休演日。疲れをとって、出直さなければ。
 そう思いつつ飲みにいったら、どうもどろどろに酔ってしまったらしく、帰途についた時間の記憶がない。うーん。


2003年03月28日(金) 初日、開く。

●一度は「開かないかもしれない」と思われた初日が、無事開いた。客席はブラボーの嵐。スタンディングオベイション。しかしながら、スタッフワークの仕上がりはまだまだで、明日から、また新しい闘いの始まり。


2003年03月27日(木) こんな時に何故不調?

●舞台稽古の続きを乗り切り、なんとか通し稽古まで持ち込む。クルーの半分がロンドンスタッフであるため、たくさんのミス。それでもなんとか無事故で乗り切る。

 わたし自身は疲れが早くも出てしまったのか、どうも動きが悪く、仕事を幾つか取りこぼす。久しぶりにひどく自己嫌悪に陥る。


2003年03月26日(水) 徹夜明け。

●照明の終わりの見えない仕事が続く中、わたしはキャストを迎え、舞台稽古の準備。眠っていないのに、大事な1日ということで、至極元気。テンションがあがって、集中力もある。

●舞台稽古終了後、午前3時半まで照明の作業の続きを手伝う。

●ホテルに帰らなかったため、煙草がきれる。劇場の販売機で買ったら、一箱900円もする。おまけに16本しか入っていない。さらには、吸ったらガンになるよ、吸った肌が老化するよ、のメッセージ付き。なんだかな。


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