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2003年05月18日(日) わたしは幸せになりたい。●プラネタリウムのふたご(いしいしんじ)●白鳥の湖

●今日、書き留めておいた方がいいことが、たくさんある。
 でも、指先がお酒でほんの少し麻痺していたりして、どれほど書き留められるかどうか。

●昨日、かねてからわたしを愛してくれていたA氏と食事をともにした。離れがたくなって、朝まで一緒に過ごした。心がゆるゆるとする、それは穏やかな時間を過ごした。
 奥さんを亡くしてから、父親として母親代わりとして、息子を一人で育ててきた彼が、一人の男として、真剣にわたしに向き合っている。その男の姿を、わたしは確かに愛おしいと思う。また、彼に抱かれていると、わたしは親鳥の懐にいる雛のように安らぎ、闘っている自分を忘れることさえ出来る。

 そして今夜、恋人からの電話を受け、わずかな持ち時間をともに過ごす。もう4年間、毎日恋しいと思い続けた人。
 常軌を逸したハードワークで、体力的には限界の状態で働き続けている彼を見ていると、何にかえても、彼を守りたいと思うし、守れないならそばにいたいと願う。そばにいることで、なにがしかの力になれる人間でありたいと思う。一緒にいることが叶わなくても、叶わなくても、願う。彼といると、わたしは闘い続ける人になる。
 酒を飲みながら、日々感じることを、それぞれにぽつりぽつりとしゃべりあう。ただそれだけで、わたしたちが如何に似通った人間であるかが分かるし、如何に違う人間であるかを、同時に認識する。そうしながら、お互いが懸命に暮らしていることを分け合って、今の癒し、明日の力にしようとする。

 別れ際、「明日7時に起こして」と頼まれた。早起きして2時間ほど仕事してから現場に赴くのだと言う。そしてまた。
「起こすときに、まずシャワーを浴びるように言ってくれる?」と彼は頼む。
 明日、わたしは、7時に起き、彼を起こすだろう。そして、「まずシャワーを浴びてね」と言うわたしがいる。

 家に帰り着くと、A氏からメールが届いている。今夜も会いたいのをこらえて家路についたと告げるメール。
 布団の中で寝汗をかいて眠っている息子に、「昨日は大好きな人と一緒に寝られてお父さんはとっても幸せだったのだよ」と報告したと彼は書く。

……なんだか、連載恋愛小説みたいな日記になってきたなあ。

 でも、自分は、実際その渦中にいて、もう、何を選べばいいのか、自分の中に湧き上がる様々な思いを、誰にどう伝えればいいのか、どう行動すればいいのか、何もわからない。
 気がつけば、やはりわたしは一人でいる。一人の時間を、これからどうすればいいのか思い悩むことに、費やしている。思い悩むことでつまづいて、この先もやっぱり一人なのではないかと怯えている。

●双子の話を読み終えた。読み終えて、これは「愛の妖精」「悪童日記」に続く3つ目の、わたしの双子物語になった。
 このことについては、そうね、明日書こう。今夜のうちに書いておくべきは、これがまったくもって、稀有の美しい物語であるということ。

●自分の、愛情にまつわることを書いていると、書いているうちにも様々な思いが去来して、時間がどんどん流れていく。何を基準に過ぎていくやら時々分からなくなる、夜の時間が。
 書きたいことのどれだけも書き留められないし、そんな自分のあれやこれやより、実はもっと書きたいトピックがあったはずなのだ。
 でも、今夜は手つかずで終える。

 自分以外の人を愛するということは、なんて大変なことなんだろう。そして、異性を愛する限り、一人に限定しなければいけないという社会通念の中で生きることの、この不自由さ。
 いや、社会通念の問題ではなく、一人の人のみをパートナーとして愛するということが相手に与える、安心感の問題なのだ。その約束事があってこそ生まれる種類の愛情が確かにある。そしてまた逆に言えば、そのことが当たり前であり自然である時に、二人の人間は様々な美しさを人生に見いだすことができるのだろう。
 とか、なんとか、理屈じゃなくって。でも、理で詰めていかないとはまりこむ罠が目の前に見えていて。

 わたしは幸せになりたい。すべての人間が、例外なくそう思うように。
 


2003年05月16日(金) そして読書三昧は続く。

●双子は運命に操られた末に分かれ、今や違う空の下に暮らしている。かたや夜空の見えない街で星を語り、かたや天才奇術師に……。あまりに面白いので、なかなか先を読む気になれない。一章読み切るごとに、本を閉じて、まったく違うタイプの随筆など読んだりしている。当然、物語の先が気になっているので、しばらくしたら、またおもむろに扉を開く。
 わたしは、もう3日間、双子に取り憑かれている。

●久しぶりに台所に立つ。
 このところの余りに忙しい暮らしの中で、最もわたしを感動させたのは、深夜2時を過ぎてから行きつけの飲み屋で食べた「ゴーヤーチャンプル」だった。ほどよい苦みの残ったゴーヤと、ふっくらした玉子。うっすらした醤油の香り。まともな食事をとらずに酒をくらっていたわたしと恋人は、おそるおそるお店の人にたずねた。「ごはんって、もらえたりします?」
 白いご飯にゴーヤの緑と玉子の黄色をのっけて、口に含んだ瞬間、お米の存在に感動した。だって、それだけで食べるより、ご飯と一緒に口に含んだ方が美味しかったのだもの。あったかくって、甘くって、みずみずしい。
 それが忘れられず、自分で作ってみた。やっぱり、記憶の中の味にはかなわない。料理自慢のわたしではあるが、「美味しい」って思うのは、食べて幸せだと思うのは、決して味だけによるものではないことは、知っている。
 しばらく自分で食事を作ることのできる生活が続く。

●そう。休暇に入った。骨休めがすんだと思える時がきたら、先々の準備にかからねば。
 明日は、コンサートでご一緒したプリンシパルが本拠地で踊るのを観にいく。

※HP Etceteraに「生きてることに身を任せる」をUP


2003年05月15日(木) 双子が分かれざるをえないように。

●双子の物語は、大きく括って二通りに分けることができる。
 双子が一緒に過ごす時間を描くもの。
 双子が別々に過ごすもの。
 ……そして、そのどちらに属していようと、離別の時というのが、大きなドラマとして描かれる。

 今読んでいる、いしい氏の物語。全体のボリュームの半分にいかないうちに、双子は別離の時を迎えている。わたしの心臓は、水にあげられた魚の心臓のように泡立ってしまう。
 双子の物語に弱い、それはすなわち、双子の別離に弱いということなのだ。
 自らのかたわれ、自らの一部、自らの写し、自らの鏡、自らの愛憎のすべて。
 それを、どうしようもなく失う時。敢えて捨てる時。分かれることを余儀なくされる時。
 そんなこんなの、双子につきまとうメタファーやレトリックに弱いということは、これまたすなわち、わたしはいつまでたっても「自分」と格闘し続ける、未成熟な人間であるということだろう。

●久しぶりに、午後までゆっくりと眠る。目覚めると雨が降っているので、あっさりと外出予定を取り下げ、家で乱読の時間を過ごす。夜には仕事で疲弊した恋人と会い食事とお酒。静かに語らい、少しだけ彼を鼓舞する。
 昨年、結婚の約束までしながら断ってしまったA氏からは、もうすぐパリに行ってしまう恋人を批判し、「おまえを幸せにできるのは俺だけだろう」と告げる、長い手紙が届いた。
 A氏の無償の愛情に心はもちろん揺れる。でも。欠落だらけの恋人を、わたしの鏡としての恋人を、慰撫しあわない伴走者としての恋人を、自分の人生から切り取ってしまうことはできない。どう考えてもできない。
 穏やかさと激しさの狭間で、わたしはまだ、激しさに寄っていく。

 双子のかたわれとしての恋人と、わたしはこれからどうなっていくのか?
 


2003年05月14日(水) コンサート最終日。

●最終日はとってもいい出来で、わたしはご満悦。
 バラシを終えて、はじめて一緒にやったスタッフたちと飲んで帰り、眠りが足りていなかったせいか、すぐに酔っぱらう。今だって、ミスタッチしないでキーボードを叩いているのが不思議なくらい、酔っぱらっているんだな、これが。
 寝る。今すぐ寝る。


2003年05月13日(火) 双子だの、無常感だの。

●最近、どうしたわけかやけに早起きのわたしは、今日もすでに眠い。明日も朝が早いので、迷わず寝るぞ。本当は、夜中にどうでもいいことを書いてる時間とか、ベッドでうだうだと読んでる時間が好きなのに、いやはや、どうしたわけか。健康的ってのも、なかなかつまんないもんである。

●読み始めたいしいしんじ氏の新作。まださわりだが、どうも双子の物語であるらしい。
 わたしは双子の話に滅法弱い。もう、そういう質(たち)だと言っていい。
 物語の中の、忘れ得ぬ双子が二組ある。ジョルジュ・サンド「愛の妖精」のランドリーとシルヴィーネ。アゴタ・クリストフ「悪童日記」のぼくら。(続編では名前があったが、なんといっても”ぼくら”と自称していた彼らが印象的だ。)
 双子の持つあらゆるメタファーに心が揺れやすいのは、自分を愛したり自分を憎んだりという精神のぶれを、幼い頃から激しく経験してきたせいだろうか?
 今や物語に双子が出てくるだけで、小鼻のあたりがひくひくとする。「こ、これは……」と、活字を追う目がちょっとすわってくる。
 さて、いしい氏の書く双子や如何に!?

●SARSの報道に接していると、他人の悲劇に胸が痛み、人間の無力さに慄然とし、対応の非人間性に苛立ち、我々の存在など遙かに超越した大いなる負の力の律動を感じる。ひとことで言ってしまえば、無常感ばかりがつのるのだ。
 
●コンサート、別のホールで明日たちあげ、それでおしまい。短い仕事だったが、はじめてつきあうスタッフが多く、どれも良い出会いであったので、ささやかに嬉しい。
 


2003年05月12日(月) 一気に開けた初日。●フリップ村のとてもしつこいガッパーども(レイン・スミス)

●コンサートの初日が開く。
 やっつけ仕事と呼ぶものの、少ない持ち時間で開くというのは、プロが集まっているからこそできること。わたしの仕事は、少ない持ち時間をどう活用するかを背負った、進行、いわば仕切りというやつ。やってほしいことをはっきり提示していけば動く現場なので、実に気持ちよく仕事ができた。

●昨日はタフなリハーサルのあと、「明日は朝早いんだけど……」と思いつつも、恋人と深夜の食事。流れて行きつけのバーへ。
 わたしは快調に飲んでいたが、疲れのたまった彼は、眠って1時間ほどした午前5時頃、わたしのベッドで突然の体調不良を訴える。体をさすってあげたりして、なんとかまた眠ったものの、気になって早起きして、出かけるぎりぎりまで彼の介抱。辛さや痛さを、全部わたしがもらってあげたいような気持ち。
 わたしも今日は眠りが足りていない。仕事をしている間は好調だったのだが、家に帰り着いたとたん、ぐったり。これをアップしたら、今夜は早く眠ってしまおう。

●昨日読み終えた絵本は、ガッパーという奇妙な生き物と、デキルという名の(原語はなんとcapable。すごいネーミングだ。青山南という翻訳者はそんなに好きではなかったのだが、この「デキル」という訳はいけている。)女の子の物語。
 物語はほかにも探せる内容だが、とにかくとにかくレイン・スミス氏の絵がすばらしい。痛みやら悲しみが、本を開けると、ふわーっと漂いあふれて、見るものをくるみこみ、切なくさせてしまうような絵。

 今夜は、最近お気に入りのいしいしんじの新作を持ってベッドへ。
 頭の中では、コンサートで歌われるナンバーがまだリプレイされ続けている。


2003年05月10日(土) 今、ここにいると……。

●ほぼ半日、写譜ソフトと格闘する。
 Finaleとか、いいソフトは出ているらしいが、如何せん高い。で、Melody Assistantというフランス製の安価なソフトを使ってきたが、何の問題もなく動作していた。大の採譜好きであるわたしは、仕事で「楽譜に起こしておいたら便利だろうな」と思えるものはすぐに採譜してしまう。このソフトと出会ってからは、ほぼゲーム感覚の趣味となってしまった。五線にさくさくと音符だの休符だの乗っけていくと、自動演奏してくれてチェックも簡単。大好きな作業のはずなのだが……。
 今日起こそうとしていたのは、朗詠。1小節が23拍とか31拍とか、毎小節ごとに違うんである。マニュアルを読んでも読んでも、そんな設定の仕方、出てきやしない。だいたい西洋にて起こった平均律では、そんな楽譜を書くことなどあるわけないのだ。それを無理矢理いじくり、様々なチャレンジをしていたら、もう20回はフリーズの憂き目にあってしまった。なんとも無駄な時間を過ごすことに。あーあ。
 誰が見てもそんなに手間がかかったとは思えないだろう楽譜を携えて、明日は最終稽古へ。14日まで、稽古、仕込み、舞台稽古、本番、本番、バラシ、仕込み、本番、バラシ、と、怒濤の時間が続く。2日は眠れないな。

●昨年の今頃、わたしに求婚してくれた心優しき男性は、奥さんを失ってから、ずっと一男児の立派なお母さんがわりをつとめている。どんなに仕事が朝早くても、きっちり朝ご飯を作り、お弁当を作り、夕御飯の下ごしらえをすませてくる。とにかく、すごい人。
 母の日に、プレゼントを贈ろうと、Amazonでルイス・サッカーの「穴」をお届けする。親子で読める、最高の一冊だ。
 ところが。間の抜けたわたしは、受取人が代引きで支払うように申し込んでしまったのだ。……そんなのプレゼントでもなんでもありゃしない。
 陳謝陳謝のメールを送ったら、ちっとも怒っておらず、仕事帰りの道道を「プレゼントきてるかな」と楽しみに帰るという返信。
「いい人だ。いい人過ぎる……」とつぶやきながら、昨年、一度は結婚しようと決めながら、やっぱり今の恋人の元に戻ってしまった自分を思い起こす。
 今、ここにいると、何が正しいかなんてわからない。今、ここにいると、何を選ぶべきかなんてわからない。せめて無様に生きないために、考えられる限りの問いかけを自分に浴びせてみるだけ。
 恋人は九月になると、パリに発ち、長らく離れていた奥さんと、また暮らしはじめる。


2003年05月09日(金) 今日もどきどきわくわく。●永遠の出口(森絵都)

●長いことこの仕事をしているが、バレエ団のスタジオに足を運んだのははじめて。しかも、そこに名だたる踊り手と振付家が介しているのだから、緊張するのは当たり前。
 土足でいいですよと言われたが、敬意をはらって、持参の稽古場靴に履き替えた。
 稽古は、振りが入ってしまった後のブラッシュアップの段階。何度も振りを繰り返しつつ、振付家の細かいチェックが入り、踊り手同士でお互いの息を確認していく。息の詰まる凝縮された稽古。
 5分の曲の間、3分は、女性と男性がほぼ体のどこかを触れあわせたまま。その間2分は、男性はリフトにまわっている。体中の筋肉は常に緊張と収縮を強いられているのに、わたしの目に見える体の線は常に柔らかい。瞬間的な力が入るときも、動きのしなやかさは止まらない。
 違う土俵で闘う人々を見るのは、なんと楽しくわくわくすることだろう。俳優やジャズ系の踊り手、ミュージカル系の歌い手とは、仕事の中でたくさん知り合ってきた。でも、あまり出会わないバレエダンサーやオペラ歌手たちとの出会いは、ちょっと素人感覚でどきどきしたりする。もちろんしばらく見ていると、同じクリエイターとして、その表現の根っこを探る目が活動を始めるのだけれど。
 なんにしても、刺激的な時間を過ごした。

●一気にやる気が立ち上がり、コンサートの楽曲整理にいそしむ。歌い手と踊り手がはじめて合流するあさってのリハーサルが円滑に進むように。

●森絵都氏の「永遠の出口」読了。
 小学生時代から高校卒業までの、少女の心の動きを活写する。まさに、活写。あらゆる感覚が懐かしい。あらゆる感覚に共感する。女の子なら誰でもこれを自分の物語だと思って読むのではないかと思うほど。
 大イベントであったお誕生日会も、はじめて理不尽の恐怖を知らしめるファシスト教師も、初恋も、反抗期も、家族旅行も、初デート初恋愛も、初アルバイトも、あらゆることが、飾りのない実感から描かれている。
 一人であること、家族の一員であること、学校の生徒であること、恋人同士のかたわれであること、時期々の仲間の一員であること。
 そしてまた、そのすべての立ち位置から、逃れようとすること。

 実に当たり前でありふれた存在の主人公が、ありふれた人生を、一喜一憂しながら、かけがえなく生きていく姿を追いかけるのは、実に実に爽やかなことだった。
 また、お友達みんなに奨めたい1冊に出会ってしまったなあ。

※久しぶりに、HP Etcetera更新。


2003年05月08日(木) 眠れば元気になる体。

●昨日は、日本酒、ジン、テキーラと飲みついで、すっかり酔っぱらってこの日記を書いて寝た。(書く時間を考えれば、2日に1日は酔っぱらって書いていることになるが)実に実に、ご機嫌に。
 それが翌朝起きてみると、なんだか調子の出ない体。二日酔いじゃなくって、この半年の疲れがようやく出てきたのだ、という感じ。予定としては11日のリハに備えて、コンサートの台本と楽譜をきっちり整理するはずだったが、急遽変更。「今日はうだうだ休んでやる」と心に決める。

●北上次郎氏が新聞で絶賛していた森絵都氏の新作を手に、ベッドへ。眠くなったら、何も気にせず目をつぶった。仕事の電話で2回起こされたが、なんと1日でほぼ18時間くらい眠った。「元気を取り返してやったぞ!」と、目覚めたときはいい気分。
 今日は、コンサートで踊る、有名プリマのリハーサルを見にいく。劇場ではなく、稽古場で、振り付け師と二人で探っている段階。これはちょっとどきどき。
 


2003年05月07日(水) いい1日だな、今日は。

●今日は、この夏から秋へとはじめてタッグを組む演出家と出会う日。11時に眠って、12時半に恋人の「食事しようよ」電話を断ってしまうくらい、ちょっとばかり緊張してた。
 この度は、やっつけ仕事でしかないコンサートの手伝いみたいなもの。9時に現場について、スコアと台本を受け取って、11時には、職業的にもう現場を仕切ってた。……そんなことはどうでもよくって。今日はちょっとした出会いがあった。

 歌い手の一人は、最近ミュージカル界で売り出し中の男の子。何度か、わたしたちの稽古場に見学にきていたりして、初めて会うわけじゃない。でも、ひとたび彼が歌い出したとたん、わたしの鼓動は早鐘状態に……。
 似ているのだ。わたしが10年前、心から愛した人に。

 歌は彼にとって「水」らしい。水を得た魚のように、歌い始めると、彼自身がほころんでいる。神様から与えられたのびのある高音で空気を震わせるときの、ちょっと誇らしげな表情。ぼくはほころんでいるよと、恐れもてらいもなく、世の中に自分を表明している。……その顔が、かつての恋人のもっとも美しい姿にそっくり。
 ふと目線を下げたときの、上まぶたのつくるまあるい丘の曲線。まつげの生え際の、三日月のようなライン。鼻筋の向いた方に視線をやるたびに、その曲線に心が動く。ふと上を向いたときの首のライン、歌い上げるほどに赤くなっていく耳たぶ……などなど、ちょっとしたところに様々な喚起の要素があって、わたしは密やかにドキドキする。
 こんなことって、あるんだなあ。似てる人が目の前にいて、似てる人が今をきらきら生きているから、かつての自分の愛情まで、きらきらと蘇ってしまう、そんなこと。
 職業人の仮面をかぶり、さくさくと現場を進行しながら、わたしがたかだかリハーサルの歌なのに目頭を熱くして感動していたことなど、誰も知るまい。

 いい1日だな、今日は。

●恋人から珍しく午後8時半という早い時間に電話があるも、わたしは打ち合わせ中。久しぶりに恋人と二人での食事、そして酒の時間が待っていると思うと、わたしはまたどきどきわくわく。2時間待たせて、ようやく邂逅。
 そんなこんなのあれやこれや、またほかのトピック、と、書きたいことは山ほどあれど、……今夜はどうしようもなく眠い。
 また、明日、書くとして、眠ってしまおう。


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