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2003年06月07日(土) |
奨めたくなる本を読む。 |
●池内紀さんの、「二列目の人生 隠された異才たち」という本を読んでいる。世評にこだわらず、世に隠れて終わった異才たちを池内さんが訪ね歩く。まかりまちがえば、歴史に名を残すはずだったのに、一列目には出てこなかった人たち。
池内さんはかつて仕事をご一緒してからというもの、いつもわたしの心の片隅に人生の師としていてくださる人だ。わたしが必要とすれば、いつでもデートに誘っていいという許可も得ている貴重な先生。そんなこと言うと、池内さんは、「わたしなんかを師匠にしたら大変ですよ」と、やわらかーな関西弁で笑うだろう。偶然にも、同じ姫路市出身、同郷なので、言葉さえ懐かしい。はじめてお会いした時は、名産の素麺、揖保の糸の話で盛り上がったっけ。
池内さんは、仕事に追われるわたしが必ずや忘れていく視線を持っている方だ。広い視界で大きくとらえ、細やかな愛情で細部に興味を持つ。いつものびやかでおおらか。少年のように自分の興味に素直。そして最も大事なのは、池内さん自身が、すべての特権的な視線から離れて、当たり前な、在野のこころで、世の中を見つめていること。
そんな池内さんが探しだした、二列目の人たちの人生は、実に面白い。その人生も、池内さんの視線も。
進路に行き悩んでいる若い人がいたら、一読を奨めたくなる本だ。
●思えば、たくさんの本を人に奨めてきた。わたしが本読みだということはよく知られたことなので、久しぶりに会った友達は、必ずわたしに聞く。「なんか面白い本ある?」。
何かプレゼントとなると、まずいなと思いつつも(好き嫌いがありますから……)本をついつい買ってしまうし、悩みをもちかけられると、お話するついでに必ず一、二冊の本をみつくろって薦める。まだあんまり売れていない、知られていない本を読んで「面白い!」と思うと、棚から引っ張りだして、目立つところに平積みされた本の上に置き、個人的促販活動をしてしまう。こうなると、もう、変な人だ。
それでも、奨めてきた本たちは、どうやら奨められた人たちの心の中で生き続けることが多いらしい。教えてくれてありがとうという言葉が、よく返ってくる。
自分で書いたり、創ったりが、この歳になってまだ出来ないでいるわたしの、せめてもの恩返し、といったところか?
休みのうちに、そんな本のリストを作ってみてもよいな、と思っている。しかしまあ、その暇があれば次の本を読みたくなるわたしであるから、実現するかどうか。
●象のはな子さんのことを、HPのEtceteraにアップした。
2003年06月06日(金) |
象のはな子さんに会いにいく。 |
●昨夜22時半から起き続けていて、現在21時半。そろそろ限界が近づいている。昼夜逆転生活調整計画遂行のためには、もう少し起きていないと……。
●朝からジムに行き汗を流そうと思っていたのだが、A氏にもうちょっと一緒にいようと説得され、それならいい天気なので散歩でもしましょうかと、なんとなく、井の頭公園へ。
本当になんとなくだったのに、吉祥寺に着いたら、行くべきところに思いあたった。象のはな子さんのところだ。20代の、いつだったか、やっぱりなんとなくの散歩の途中ではじめてはな子さんに出会った。やっぱり素晴らしく美しい日差しの中、花子さんは寂しげに、やるせなさそうに、体を揺すってずっとずっとダンスを踊り続けているように見えた。わたしは釘付けになってはな子さんを見続けた。そして、彼女の、華やかな、そして悲しい、どうしようもない、哀切な、来し方を、知った。それなのに、それっきりだっった。どうして急に思い出したんだろう? わたしの心がお休みモードに入っているからか。もちろん、「象の消滅」という短編を思い出していたことも関係あるだろう。そして、あの日と同じ、美しく晴れた空。
わたしはカメラマニアの父のおかげで、いい写真機をいっぱいもっており、写るんですとか、あの類を使ったことがほとんどない。でも、今日は特別。駅前のDPE屋でマクロ機能ありなんてのを購入して(半信半疑ながら)、井の頭動物園へ急ぐ。A氏はこういう時、わたしの赴くままの行動に自然につきあってくれる。実によいお散歩パートナーだ。
象舎はすぐそこ、というところまでくると、何やら胸がざわめいてくる。「よし、先に腹ごしらえしよう!」と、途中の茶屋で、そばとうどんの朝食。1本のビールを午前中から分け合う。
美しい1日の始まり。
●はな子さんは、いた。何時間見守ったろう? 何時間も見守った。そして、また、今のわたしが彼女に出会った。ここからが今日書き留めておきたいことなのに……もう起きていられない。
続きはまた明日。はな子さんのことを考えよう。また明日。
●なんだか長らく打った文章が、どのキーを押してしまったやら、あっという間に消えてしまった。
●あまりに昼夜逆転しているので、今日は頑張って眠らず、当たり前に人が寝る時間まで起き続けて帳尻あわせをすることに。徹夜ならぬ、徹昼、ですね。
●それにしても、書いた文章が瞬時に消えるのは、余りにさみしい。同じことをもう一度書く気にもならないし。もう、外出の時間もせまってきた。今日も美しいお天気だ。出ていくのが嬉しい。
2003年06月04日(水) |
読んだり観たり。 ●重力ピエロ(伊坂幸太郎)●Elephant Vanish |
●「重力ピエロ」は、「なんだ、小説まだまだいけるじゃん」という、ストレートなんだか作為的なんだかよく分からない帯の惹句につられて購入。
確かに面白くはある。確かに一気に読んだ。しかし、なんなんだ、この手触りの良さは。……どうやらわたしは、「いい人」のたくさん出てくる小説、悪い人が類型的な小説、そういうのを、あまり好まないようだ。でも、この作品のよいところは、普段小説を読まない人にでも薦めやすいというところ。わたしは飽くまでわたしの快楽の為に読んでいるので、勝手に好きだの嫌いだの言ってみるが、私好みでなくっても、たくさんの人に愛されるだろう物語はたくさんある。最近読んだ中では、池永陽の「コンビニ・ララバイ」とかもそのカテゴリかな。
でもまあ、私自身は物足りないわけで。わたしの中のホールデン的なるものが、「まあ、いい話なんだけどさあ……」とか言い出すわけで。
若い時から、フランス文学とかよりロシア文学を愛したりしたのも、ざらざらしたもの、混沌としたもの、割り切れないもの、泡立つもの、そういうのに惹かれるタイプだからだったのかもしれないな。
●サイモン・マクバーニーの「エレファント・バニッシュ」を観る。
村上春樹の同名短編集(英国版)をコラージュした内容。整理され、研ぎすまされた空間は悪くはないが、内容をほぼナレーションという形で処理されてしまっては、演劇的満足感は皆無。そしてこれもまた、異様に手触りが良いのだ。うーん、それが現代的ってことなのか? いやいや、そうじゃないだろう。
フライングや映像の使い方で面白いところはあって楽しみはしたが、それより何より。ナレーションを担当する(というか出演する)俳優が粒ぞろいなので、小説の内容が耳から入ってきて、久々にかつて読んだたくさんの短編の印象をいちどきに思い出すことができた。どの記憶も、読んだ自分のその時々の感覚を引き連れて戻ってくる。大学の生協で「風の歌を聴け」に出会ってからというもの、全作品、ほぼ発売と同時に入手して読んだきた。そんな作家、そういえば、ほかにはいないな。
休みのうちに、村上氏の短編を一気に再読してみようか。
●昼夜逆転の生活は続き、しかも昼が気持ちよいものだからついつい起き続けて、このところ、3時間ずつくらいしか寝ていない。それでも元気でいる。いつか手痛いしっぺ返しを食らいそうでこわい。
●気持ちのいい日が続く。相変わらず、本を読み、ジムに行って体を動かし、芝居など観たりして、思いつくことを気ままに書き留めたりして、過ごしている。
整理をして掃除をしてみると、仕事でとっちらかっていた時の我が家とは別の部屋のよう。そうなると、さらなる心地よさ、気持ちよさを求めて、毎日、マイナーチェンジを繰り返している。今日は時間があったので、隣駅のホームセンターまで自転車で行き、あれこれと生活快適化グッズを見繕う。こういうことが、思うほか楽しい。レジのお兄さんに、「え? これ全部自転車で持って帰るんですか?」と驚かれるほどのあれこれを入手して、片手ハンドルで大きな荷物を抱えつつ、帰宅。わたしは自転車にとっても上手に乗れるのだ。
●わたしは小学校2年生まで自転車に乗れなかった。小学校にあがっても補助輪をつけているわたしを見かね、家の前の歩道で母による大特訓が始まった。なにせ辺鄙な街だったし、たまにしか人が通らない。(保育園の頃は、確かまだ農耕牛が歩いてたっけ)格好の練習場だった。でも、わたしは小さい頃から見栄っ張りだったのか、わずかな人通りでも、自転車に乗れない自分が恥ずかしくてたまらない。人が通るたびに練習を中断しようとする。でも、母はそのたびに、わたしを叱った。今の自分を認めないと先にいけないってことを、きっと教えてくれてたんだな。
あの時の母の教授のおかげで、それ以来、自転車はわたしの唯一無二の乗り物になった。 自動車免許を持っていないから、何処へだって自転車で行く。何だって自転車で運ぶ。
こんなに自転車を愛しているのに、東京に出てきてからというもの、とにかく自転車を盗まれた。これでもかって言うほど、盗まれた。だからこそ、仕事が終わって最寄り駅までたどり着いて、自転車があるべき場所にあると、「おお、待っていてくれたんだね」と、ささやかに喜びを覚える。時には、深夜の自転車投げおじさんに川の中に放り込まれ、神田川八墓村状態ではまりこんでいることもあった。(これはショックだったからいつか日記に書いたと思う。)ぼこぼこにハンドルを曲げられていることもあった。防犯登録を剥がされて、わたしの自転車なのに、因縁つけられておまわりさんに連行されたこともあった。そんなこんなの不幸を免れて、当たり前にそこにある、という喜び。
大阪に長期の旅仕事に出ることがよくあるが、そんな時は中古の自転車を買う。何軒か安い店を知っていて、運がよければ、4000円で買える。一ヶ月の足だと思えば、決して高くない。それさえあれば、何処へだって行けちゃうんだもの。難波から梅田なんてあっという間。大阪城公園の中を乗り回すのも楽しいし、大阪の川沿いってのはなかなか気持ちよく整備されていて自転車乗りを喜ばせてくれる。また、調子に乗って適当に走っていたら、浮浪者ばっかのバラック街みたいなところに出てしまったりして、これがまた楽しい。宮本輝の名作「五千回の生死」をはじめて読んだ時は、だから、興奮したな。大阪の街を見知らぬおっさんと二人乗りして、「死んでも死んでも生まれてくるんや」と、この世のことじゃないような時間を過ごす主人公の気持ちに完全に同化しちゃって、物語の内容をまるで自分の過去の体験のように覚えていたりする。
大阪を離れる時は、いつも、難波のどこかに乗り捨ててくる。きっと何処かの誰かが「鍵ついてへんのあらへんかいな」と物色してくれて、一夜の、あるいは長きにわたる、足になってくれるんじゃないかと思って。これを周りの人に話すと、「そんなのただの放置自転車じゃないか」って言われるんだけれど、わたしはこれが本当の「リサイクル」だって思ってる。ま、最近は折りたたみ自転車を購入したので、荷出しの時にみんなにぶつぶつ言われながら、道具と一緒にトラックで運んでもらう。とにかく自転車があれば、街は数倍楽しくなる。
体力だけはあるので、幾つになっても、自転車にわたしは乗り続けるんだろうな。それもびゅんびゅん飛ばしながら。幾つになっても、片手離して、両手離して、風をきっちゃうんだろうな。苦しんで坂を上れば、いつか坂を下る快感が待っているのだというときめきを、幾つになっても楽しむんだろうな。車を持つ人生とか、バイクに乗る人生に憧れがないといえば嘘になるけれど、自転車だってずいぶん楽しい。実に楽しい。
恋人と二人乗りして、おまわりさんに追っかけまわされたり、二人乗りのままウィリー走行して、あまりのわたしの重さに後ろにずっこけて恋人が大けがしたり、友人に大事な荷物を運ぶため、「走れメロス」の心境でバイク並みのスピードで自転車を飛ばしたり、貧乏で電車賃もなくって、無茶な距離を自転車で通ったり、帰らない恋人を、一晩中自転車の荷台に座って待っていたり、まあ、自転車にまつわる思い出は数知れない。
乗り物とか、あらゆる身の回り道具、物たち。命のないものが、命のあるもの並に、自分の人生に深く関わってくれて、愛おしいと思うことがよくある。なんだか面白いな。
●恋人が訪れている。深夜の食事は、ゴーヤーチャンプルに、マカロニサラダ、みそ汁仕立てのにゅうめん。食べ終えたら、彼はわたしのデスクですぐに仕事再開。わたしは台所で、こうしてどうでもいいことを書き留めることを楽しんでいる。もう外は明るい。カラスがしきりに呼びあっている。また朝がきた。
2003年06月02日(月) |
ホールデン君のこと。 ●The Catcher in the Rye(村上春樹訳)●巨匠とマルガリータ(ユーゴザパート) |
●野崎訳の「ライ麦畑でつかまえて」を読んだのは、中学生だったか高校生だったか。とにかくまあ、若かりし頃だ。
両親の扶養下にあって、6年制のミッションスクールに通っていて、誰とでも友達になるが、いつも一緒にくっついているような親友はいなくって、それは自分に問題があるのではなく、自分と友達になるにふさわしい人物が周りにいないだけだと思っていた。無駄な友情ごっこに時間を費やすよりは、もっと有効な時間の使い方をした方がいいと思っていた。ものすごく気が小さいのを隠す余り、いつでも皆より率先して動いていた。1学期に必ずクラス委員長になるタイプ。高校2年まではクラブ活動に熱中し、コンペで成果をあげ、表彰された。勉強の出来はそこそこだったが、3年になって受験勉強を始めると、学年1番に躍り出た。それでも、がむしゃらに勉強するタイプに見られるのが嫌で、へらへらを演じていた。世間、世界を見る視界は実に狭かったが、美しいものを探そう愛そうという意識が強かった。そのくせシニカルだった。人並みに恋をしたが、恋をする自分に酔っていたという方が正しい。これまた臆病なくせに行動的だった。その頃から破滅型を匂わせていたと言ってもいい。
●あの頃ライ麦畑を読んで、ちっとも面白いと感じず、うざったい読み物として投げてしまったのには、ちゃんとした理由があった。
わたしはホールデンと似た者同士だったのだ。同じような痛みや憤りを感じていたし、同じように、鼻持ちならない面倒な奴だったのだ。
●40歳を過ぎて読む村上訳「キャッチャー・イン・ザ・ライ」は、甘酸っぱい思いに囚われ、かつ、あの頃の感情の在処の曖昧な記憶が、こみあげるように追想される、実に実に愛おしい物語だった。
読んでる間中、わたしはずっとホールデン君に話しかけていた。
「ほら、そんなこと今言わなくったっていいでしょうよ」
「どうしてそうなっちゃうわけ?」
「またそんなわざとらしいことを……」
「わかる、わかるけどさあ、ほっときゃいいじゃない」
「あーあ、だから言わんこっちゃない……」
ってな感じで。まるで当時の自分に話しかけるみたいにして。
そしてまた。
鼻持ちならないところが似ているだけではなく、芸術に対する勝手な早熟ぶりってところでも、わたしとホールデン君は酷似している。歌い手や、ピアノ奏者、俳優の演技術に対する批判なんて、かなりイカシテいて、「なんだ、君、子供のくせして、わかってるじゃない」と話しかける。オリヴィエのことを論ずるところなんて、声を出して笑ってしまった。
ホールデン君の行動言動ひとつひとつに、強烈な懐かしさと、「ばっかだなあ……」とため息の混じった愛情を感じる。
●物語の最後には、不思議な感じを味わった。
わたしはもう、ミスタ・アントリーニの世代だ。彼は実にまっとうな教師でまっとうな人間で、ホールデンへの対し方にも、年齢にふさわしい責任感と愛情が感じられる。わたしはまさしく今、そちら側にいるし、社会に対して、そちら側に立っての責任を担っている。でも、ずっとホールデンの行動につきあった流れでミスタ・アントリーニに出会うと、なんだかホールデンの側に立って、「そんな分かり切ったようなこと聞くのはうざいんだよな」って気持ちにも、なっていたりするのだ。世の中の、正しいとされることへの、嫌悪感不信感っていうのかな。そういう、ちょっと正しいこと当たり前なことに、斜に構えていたいって感じ。
わたしの中で、かつてのわたしと今のわたしが、対峙する。不思議な感覚。
●そして、なんと言っても、フィービーの存在だ。彼女に関して、意味を語り出すと、くだらない小説論になってしまうのでやめておこう。
大事なことは、ホールデンにはフィービーがいたってことだ。
フィービーのためにレコードを買う時間、持ち続けた時間があって、バラバラに割ってしまう瞬間があって、その先に、「そのかけらをちょうだい、しまっておくから」と手を差し出すフィービーがいたってこと。そしてまた、フィービーがスーツケースを抱えてきた時間のちょっと先に、回転木馬の時間があったってことだ。
わたしは、ホールデン君と一緒になって、フィービーが回転木馬に乗る姿を眺めた。わたしも、あやうく大声をあげて泣き出してしまいそうだったし、ぐるぐる回り続けるフィービーの姿が、やけに心に浸みた。ホールデン君が「いや、まったく君にも見せたかったよ」と言うように、わたしもわたしの周りの人に、そのフィービーの姿を見せたかった。
●この物語は、全編、ホールデンが誰かに語りかける体裁を取っている。彼が誰に向かって語りかけているのかは明示されない。彼は相変わらず当たり前な人生の波に乗り切れていないような感じだし、もしかしたら、精神病院につっこまれてしまっているのかもしれない。とすると、彼の語りは、ちょっと空しいものになる。でも。読後、わたしの心は明るい。「平気、平気。そんなもんでしょ」と彼に伝えたくなる。「ちゃんと生きてれば生きてるほど、わかんないこと多いよ。おかしいと思わないやつらの方がおかしいんだよ」と。ま、16歳を生きるホールデン君にそんなことストレートに言ったって聞いてくれないのは分かってるから、心の中で。「待ってるよ」と告げる。
●村上氏の翻訳は、とっても優しい。村上作品を追い続けてきたわたしには、この仕事は、「この物語は、みんな人生に2度読んでみた方がいいと思うんだけど」と薦めてくれるメッセージのようにも感じられた。そんな風に思ってしまうのは、何より、村上さんがこの物語を愛していることの証だろう。
敬愛するレイモンド・カーヴァーを紹介してくれたことと言い、わたしは大学生の頃から、ずいぶん色んなことで村上さんにお世話になっている。
何処か知らないところで、今日も走ったり、今日も書いたり、今日もビールを飲んだりしている(あくまでそういうイメージの)村上さんに、わたしはぺこりと頭を下げて、お礼を言う。「またお世話になりました。ありがとうございます」
2003年06月01日(日) |
偏頭痛なんて何処へやら。 |
●最近妙な時間に気まぐれに睡眠を取るためか、起きたとたん嫌ぁな感じの偏頭痛。時間がたってもおさまらないまま劇場へ。
●コクーン歌舞伎の最終通し稽古。見始めると、さっきまで気になって仕方なかった頭痛がどこへやら。楽しい。文句なしに楽しい。芝居好きの心がびんびんプロセニアムを超えてくる。見せるところはたっぷり見せて。チャイルディッシュな遊び心と、大人の真情と。
終幕なんて、お尻が椅子から浮いちゃうくらいに楽しんでいた。
それにしても、勘九朗さんって俳優は本当にすごい。芝居への愛情と、遊び心、深い情感。そこまでかってくらい、自分の体をはってくる。お客さんが楽しんでくれるなら、やりますよ、どこまでもやりますよって気概が伝わってくる。
舞台稽古だっていうのに、カーテンコールは大盛り上がり。いやあ、行ってよかった。見てよかった。
●東京を四月に離れてしまったプロデューサーがやってきていて、四人の女性プロデューサーと二人の女性現場制作とわたしで宴席を囲む。
芝居の話ばっかりで、あっという間に四時間がたつ。このところ飲んでなかったわたしは、たまにはね、と、飲むは食べるはおしゃべりするは、大忙し。機嫌良く帰ってきて体重計に乗ったら、昨日より三キロも増えてきた。……そ、そんなぁ……。
長野で新しい劇場立ち上げの仕事を始めた彼を、この休みの間に訪ねてみよう。何しろ、今まで、恋人と並んで、本の話芸術の話が分け合える大事な人だったのだ。近くにいなくなったことが実に寂しかった。姿形はどこから見てもちょいと禿げあがった「ニッポンのおじさん」なんだけど、ま、男は見た目じゃありませんからね。
●ホールデンはなかなか面白いやつだ。ちびちび読みながら、彼の痛くて辛い青春を共有している。
2003年05月31日(土) |
愛すること。愛されること。 |
●午前4時。恋人が仕事を終えて家にやってきた。
働き過ぎ。責任の重い仕事が途切れることなく続いて、緊張の溶ける暇もなく。……台風風の音だけが聞こえる夜にドアチャイムが響き、扉を開けたら呆然と彼は立っていた。
青春期から、相当な時間とお金と愛情をお酒に注いできた彼が、お酒の飲めない体になっている。シャワーを浴びる彼を待ちながらジンリッキーを作って飲んでいたわたしを、バスタオルで体をくるみながら羨ましげに眺める。そして「お腹が空いた」と言う。
その時間で胃に負担がかからないものと言ったら……と、お茶漬けを作る。冷蔵庫にあった塩鮭を焼き、冷凍してあった玄米を解凍し、焼きあがるのを待っている間に、ゆうるりと彼の体をマッサージしてあげる。触り慣れた体、自分の体とおんなじくらいよく知っている体の、凝りに触れ、さすり、あたためてあげる。
午前5時、彼は鮭茶漬けを食べる。肩を落として、でも、「美味しい」と言いながら。ちゃんと食欲があるのでわたしは安心する。
おかわりをして、食べ終えて、「もう眠ったら?」と促すと、「もうちょっとだけマッサージして欲しい」と彼は言う。わたしは「足をさすって欲しいんでしょ?」と答える。「君はエスパー?」と彼が言う。
アスリートレベルに達している腕の筋肉を存分に使って、彼の足の裏からふくらはぎをマッサージしてあげる。そして彼は、眠りにつく。うちのベッドは小さくて二人だとゆっくりできないので、これを書き終えたら、わたしはソファーでやすみ、10時になったら、彼を起こそう。
●今日1日あったことなんて、恋人が訪れたことで、何もかもふっとんでしまった。ライ麦畑を読み進んで、女子高生だったわたしにはさっぱり分からなかったホールデンの心持ちが手に取るように分かり面白いと思ったりして、今日の日誌はそのことだけでも埋まったはずなのに、今や、ホールデンなんてどうでもよくなってしまった。
A氏は、わたしが恋人の体調を気遣って「しばらくこないでほしい」と伝えたことばを真っ向から受け止めつつ、「それでも僕の方があいつより愛しているし、君が寂しいと感じるならいつでも駆けつける、それがあいつに会えないから寂しいという感情であっても」というようなメールを送ってきた。そんなA氏の気持ちを知りながら、わたしはシーツだの布団のカバーだのを全部新品に取り替えて、恋人を待っていたのだ。なんなんだ、わたしって女は。
……A氏は、今日、息子の運動会だ。もう早起きして、きっとお弁当を作り始めているに違いない。出来得れば、わたしと共に息子を眺めたいと願いつつ。
この間、早朝わたしにメールを書いていたら、知らぬうちに息子が後ろにいて、「あんなに美味しい朝ご飯は久しぶりでした……」と、小学校3年生の息子が声に出して読み出したらしい。慌ててノートパソコンを閉じるA氏の姿が目に浮かぶ。微笑ましい。
現実は。一度に二人の男を愛することはあっても、一度に二人の愛情に答える女であることは、ありえない。絶対に、ありえない。
●恋人の寝姿を、そっとのぞいてみる。わたしの視線を知ってか知らずか、彼は窓の方に寝返りをうつ。
他者を愛するというのは、なんて幸福で、なんて重労働なんだろう。
20代なんて、二人三人かけもちしたって、わたし、平気だった。それが今は。でも、逆に、思う。歳をとるのは、存外素敵なことかもしれない、と。苦しみもだえつつも、そう思う。人を愛することがなくって、人生にどれほどの意味がある? 自分を思い、A氏を思い、恋人を思い、そう思う。
2003年05月30日(金) |
眠れる筋肉。そして迷い。 |
●そして、昨日書いたとおり、わたしは診断を受けてきた。開けてびっくり玉手箱。またしても、10年前わたしに胡座をかかせたのと同じ状況が……。
診断してくれた人は「素晴らしい」の連発。10年前と同じく、「何か運動されてるでしょ?」と聞かれる。答えはもちろん「NO」だ。
曰く。
「あなたの体格判定は〈理想的〉です。体重、体脂肪率ともに標準です。摂取カロリー(飲食)と消費カロリー(運動量)のバランスがとれている状態と思われますので、今後とも現在の生活パターンを維持していきましょう」
維持っていったって、大酒は飲む、食生活は気まぐれ、運動する暇なんてない、朝でも昼でも気が向いたら寝る究極の不規則生活。それを改善しようと立ち上がったのに、「素晴らしい」を連発されてしまうと、もう、何がなんだか。
でも、つまびらかに結果を見ていくと、体重はかなりオーバーしているし、体脂肪だって標準より多い。間違いじゃないのかと聞いてみると、答えはわたしの筋肉にあった。……多いのだ、筋肉が。多すぎる脂肪も多すぎる体重も、筋肉量が人よりかなり多いことが、すべてをカバーして標準体型とみなしてくれているらしいのだ。と言われて、筋肉の項を見てみると、確かに、全身がフィットネス目標と言われるラインの最高レベルに達している。両腕はすでにアスリートレベルの筋肉量だ。
こういうのって、やはり母に感謝すべきなんだろうか? 確かに、スポーツは何もやってこなかったけれど、歩くのは好きだし、頑張りもきく。なんにも育てようとしていなかったのに、見えないところで、そんなに筋肉なるものが育っていたんだなあ。……ずっと誉められていると、なんだかわたしは長年にわたって宝の持ち腐れをしてきたような気になってくる。座り仕事書き仕事ばっかりして、時間があればソファーに寝っ転がって本を読み。
結局、この素晴らしい(!)筋肉量を維持しつつ、さらなる体力アップに向けて体脂肪を減らしていきましょう、と、目標設定。うーん、でも、今のわたし、去年の今ごろより8キロも太っているし、何処から見ても丸々していて、みっともないことこの上ない。納得いかないけれど、ま、元気であればあるほど、そりゃあ毎日は楽しくなる。それに歳をとると、不良であることも、健康でなければ出来ないことなのだ。よし。わたしは幾つになっても不良でいるために、体を鍛えるぞ。
●そんな結果のあと、気持ちよく運動して帰ってくると、恋人から電話。ずっと体調が悪いとは聞いていたが、昨日、仕事を休み、一日家で休養したと言う。わたしたちの仕事で、それもわたしや恋人のようなタイプが仕事を休むというのは、よっぽどのことなのだ。そのよっぽどのことが起こっていることをわたしは知らなかった。連絡もしてくれなかった。気をつかったのだろうが、どうしてわたしに助けを求めてくれないのか。
会いたいと突然訪れたA氏に、ひどいことと知りつつ、帰ってもらう。助けてあげられない自分と、助けを求められない自分が悲しい。
いつまでこんなことをしているのだろうと、自分を責める。A氏の求婚に心を揺さぶられていた時期だけに、よけい、恋人への思いが募る。でも恋人は、9月になればパリに発ち、奥さんとの暮らしを再開する。でも、それも1年のことだ。その後は、またわたしの恋人に戻るだろう。彼はよく言う。「ずっと一緒にいられればいいね」と。そんな中途半端な誘いで、わたしを引き留める。でも、わたしは、これだけ好きなのだから、それでいいと思ってきた。A氏が現れるまでは。
わたしは一体いつになったら答えを出せるのか。
※HP Etceteraに、「等しく降り注ぐ眼差し」をUP。
●素晴らしいお天気なので、10時半頃ようやく眠りについたものの、もったいなくて1時に起きてしまう。それでもなんだか元気で、床の拭き掃除などはじめる(何ヶ月ぶりだろう……?)。五月らしいお天気を長らく与えられていなかったので、気持ちが弾む。
予定していた芝居は、チケットが意外やとれず、先送り。仕方ないので、次の予定であった、スポーツジムの申し込みに出かける。
1ヶ月まるまる、あと1ヶ月も自由時間たっぷりという2ヶ月のお休みを前に、どうしてもやりたいことの一つが、体の鍛え直しだった。40歳を過ぎて、どうも疲れやすく、(当たり前と言っちゃ当たり前なんだけれど)徹夜翌日の集中力がイマイチだったりする。花粉症に苦しめられるのも、偏った食生活とか、体の軟弱化からきてるのではないかと思うし(実際は体力は関係ないみたいだけれど、何か、こう、気分的にね)、何より困るのは、疲れてくると、歩きたくなくなったり、すぐ座りたくなったりするということ。これはわたしの信条に実に反する。いかん。いかん。こんなことでは。
30歳を過ぎたときも、20代からの変化と、座り仕事が増えたことからくる不安で、体力測定に行ってみたりした。この時の結果っていうのがなかなか凄くって、心臓年齢18歳、運動能力年齢20歳と診断されたのだ。
これにわたしは胡座をかいてしまった。定期的に運動するわけでもなく、煙草はバカバカ吸うわ、酒は飲めるだけ飲むわ、生活は不規則で慢性睡眠不足、おまけに食生活はずたぼろ。それでも、自分は大丈夫って、どこか過信してしまっていたんだな。
で、2ヶ月でどこまで戻るかわからないけれど、運動しよう、筋力を戻そう、引き締めよう、と、考えたわけだ(わたしは、いつもこうして短絡的に行動する)。
明日、別料金を払って(!)カウンセリングとテストを受けてくる。惨憺たる結果が予想されて恐ろしいが、ま、何事も現実を知るところから始めなければなるまい。
●帰宅途中、ふと立ち寄ったユザワヤで、いろいろな布を衝動買いしてしまい、帰宅後、物置からおもむろにミシンなど取りいだし、カーペットがわりにするファブリックに滑り止めを縫いつけたり、様々な袋縫いをしたり、突然の縫い物熱。
18歳で劇団に入ったとき、かなり強制的に先輩の衣装を縫わされたおかげで、まったくの独学だが、ある程度の服なら自分で縫えるし、型紙も作れる。20代は時間はあってもお金がなかったから、ずっとお手製の服を着ていた時代もあった。でも、今はお金で時間を買いたいくらいだから、ミシンを触るなんてこと、ほとんどなくなってしまった。
ずっと物置で眠っていた20年前購入の旧型ミシンは、ガタガタと音をたててうるさいったらないのだが、それでもきっちり布送りし、下糸と上糸のコンビネーションもまずまずだ。きっちり布と布がくっついていく。わたしのミシンさばきも、さほど衰えていない。……楽しいのだ。実に実に、久しぶりのミシンは楽しかった。
そうやってお休みを楽しんだあとは必ず、「もっとほかにやるべきことがあるでしょ!」と反省するのだが、まあ、楽しいものは楽しいのだ、と、自分にエクスキューズする。
●ついに村上春樹の訳したライ麦畑を読み始める。高校生のとき野崎訳を読んでいたし(意外にもたいして好きではなかった)、そしてあまりに売れているものだから、「今読まなくてもいいか」と思ってきたのだが、昨日のラブリー・ボーンの翻訳にちょっとうんざりして、何かいいものに出会いたくなってしまった。
読み始めると、まあ、忘れてしまっているせいもあるが、初読みの感じ。
明日からは、観劇だのなんだの、予定がしばらく詰まっている。自分を忙しく動かして、しばらくは、恋人とA氏の狭間で苦しむところから逃避したい。