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2003年06月18日(水) |
選んだ一本の道。 ●幸福な王子(ワイルド) |
●朝、仕事で使うスケールを入れる袋が欲しいと言うので、ミシンを出して縫製作業。その間に、A氏は朝食の支度。男三人所帯のすべての食事を面倒見ている男だから、料理が上手だ。台所を任せていたら、カルボナーラのオムレツ包みに、フランスパンとにんじんのグラッセを添えたものが出来ていた。朝からたっぷり食べる。朝からビールも飲む。お腹が空いていたわたしは、凄いスピードで平らげていく。「たくさん食べてくれるのが嬉しい」と、A氏は目を細めてわたしを見る。
料理の上手な父に、料理自慢のわたしが嫁ぐ。息子は幸せだとA氏は言う。
●小雨の降る中、亡くなった奥さんのお墓参りへ。季節柄、苔の生した墓石を二人で洗う。A氏が「この人が嫁にきてくれることになりました」と、言葉をちゃんと声にのせて報告する。わたしは黙っている。
しばし二人手をあわせた後、A氏は、「俺はどうでもいいから、とにかく君が幸せになるようにお願いしといたから」と笑った。わたしは少し泣いた。
●恋人の仕事が一段落ついていて、連絡のくる頃だった。A氏はそれを知っていて、「君が連絡するまで行かないから」と、仕事に出かけていった。わざわざ「俺を裏切っちゃいけないとか、ことさらに思うことないからね。まあ、俺は今世界一の果報者だけれど」と、ことばを添えて。
●午前3時。仕事仲間と飲んでいた恋人から「今から行く」と電話がかかってくる。彼にとって、わたしは、いつでも両手を広げて彼を待っている人なのだ。
恋人は、疲れきっていて、話をする余裕だの、わたしへの思いやりなどはいっさいない。それは決して悪いことではなく、彼がわたしと長い時間をともに経てきて、甘えてくれている証なのだ。わたしと彼は、そういう関係だった。彼も、彼のやり方で、わたしを確かに必要としているのだ。
心の余裕のない彼に、結婚の話をすることは出来なかった。今言うべきだとは、とても思えなかった。
疲れた体をマッサージしてあげて、眠りについた彼の寝顔を眺める。何時間眺めても飽きないと思ってきた、自らを癒す眠りの中の彼。彼は立派に仕事をしてきている。それを癒してあげられるわたしがいる。
この人とこのまま居続けても、幸せはある。寝顔を見ながらそう思った。物事はそう簡単に割り切れたりしない。
でも、わたしはもう選んだ。何が正しく、何が輝きに繋がるか見当もつかなくっても、選んだ道に歩を進めることしかできない。体を二つに分けて二つの道を行き、どっちが好ましい場所に行き着くか確かめるなんてことは、ありえないのだ。両方の道の景観を楽しむことなどできないのだ。わたしは、選んだ道を、歩き出さなければいけない。
人生を信じよう。何を選んでも、自分が美しい生き方を本当に望めば、行く道には花が咲くだろう。捨てた道に、別の美しい花が咲いているかもしれないことに、わたしは今、目を瞑ることが出来ると、自分を信じよう。
正直に言えば、ものすごく辛い。
●恋人とは一緒に眠らず、わたしは起きている。そして、A氏に「安心してください」とメールを送った。恋人が来ていることを正直に告げ、あなたを選んだことを正しいと思っていると伝えた。
これからどうなるかわからない。仕事のことでいっぱいの恋人の心に、少し隙間ができたら、話をしなければ。
恋や愛と呼ぶものだけに囚われていては、きっと今、行動できない。
人として、何に、誰に、どう、責任を取るかだ。そう、自分を戒める。
2003年06月17日(火) |
結婚することにした。 |
●困ったときの母頼み。昨日、母に電話をする。
母はこのわたしを産み、あらゆる意味で導いた人だ。わたしにとって鼻高々で語れる人である。ふだんは面倒なので、細々とした自らの現在を語ることはないが、岐路に立ったとき、躓いたときは、必ず母と話をしてきた。
このたびも、恋人とA氏の間で揺れていることを報告。
母は、結婚をしたままの恋人とつきあうわたしを今まで認めていた。ふつうの親なら信じられないところだが、母は、人を愛するということを、父一人を熱烈に愛し続けることで、よーく知っている人だ。
「あんたがその人のこと好きで、あんたがそれで幸せやったら、しゃあないやんか。でも悪いことしてるんやから、ええ死に方でけへんかもしれんで。それくらいわかっときや」と、そんな感想を述べていた。
昨日の電話では。
「迷うことないわ。Aさんの方にしとき。あんたが好きやいうからしゃあないなと思うてたけど、ほんまは自分の育てたええ娘が日陰の身やなんてイヤやったんや。だって世間的に言うたらそうやろ。迷うことないわ。Aさんのこともほんまに好きなんやったら、そっちにいき。」
と、明快な返答。
それでもやっぱり恋人のことを思い切る自信がないわたしは、A氏を家に呼び出し、現在の気持ちを伝えることにした。
●A氏は、わたしが恋人に寄せる気持ちをよく知っている。わたしが恋人との色々で傷ついたときに助けてくれることも、しばしばだった。
現在の混沌とした気持ちを整理しながら話すと、じっくりと言葉を選びながら、自分の気持ちを語り、わたしに改めて結婚を申し込んだ。
A氏は、恋人のことを愛しているわたしも含めて、わたしの全存在を守りたいと誓った。決して嘘をつかないタイプのA氏が。
「君みたいな人がそこまで好きで居続けた男なんだから、すぐに思い切れるわけもないだろうし、それは不自然だよ。だから、あいつのことも好きなままでいいから、俺のかみさんになっとけ。あとは、俺が面倒みるから。君を幸せにするのが、俺の役目だから」と。
わたしは、長らく考えて、
「じゃあ、そうさせてください」と答えた。「わたしと結婚して頂けますか?」と。
A氏は、この上なく幸せそうに見えた。長いこと抱きしめられた。心臓がどっくんどっくん鳴っていた。わたしの心はとっても凪いでいて、キッチンに出していた大粒の梅たちが熟れて放つ甘い香りが、風に流れていくのをずっと感じていた。この甘い香りのことは、一生忘れないだろうな、などと思っていた。
●恋人と別れるということは、恋人と過ごすことでわたしが享受してた人生の悦び、人生の美しさを、捨てるということだ。そのことへの不安も、A氏に話してある。信じているから、ゆっくりやれと言われている。わたしは未だに自信がないが、でも、すでにわたしは選んだのだ。進むべき方向は決まったのだ。
●今日は一緒に買い物に出た。わたしの行く先は、相変わらずの本屋である。次なる出会いと喜びを求めて、たっぷり居座るわたしに黙ってつきあって、懐と相談して決めた5冊を、結局プレゼントしてくれた。そして、軽く食事。A氏は、今日、「俺は世の中でいちばん幸せな男だ」という顔を、ずっとしていた。始終にこにこし通しで、もう見られたものじゃない。わたしといられるだけでこんなにも嬉しいのかと、ちょっと感動する。
A氏は、わたしが息子の母親になってくれることも最高だと、喜んでいる。何の不安も持っていない。わたしもその辺りには、おかしなことに不安がない。別に母親になろうなんてことさらに思っていない。とっても可愛い子なので、小さい友達が出来るのが嬉しい、そんなところか。向こうもわたしのことを新しいともだちと思ってくれれば、そのうち関係は育っていくだろう。まあ、人生、当たって砕けろだ。
A氏のもう一つの喜びは、わたしとつきあうようになって、奥さんを亡くして以来のインポテンツが治ったことだ。「俺は日ごとに若返る!」と46歳の男がウキウキしている様を見ていると、わたしはおかしくってたまらない。41歳と46歳の、世間から見れば立派な中年カップルだが、本人たちは子供のように純心だ。可愛い喜びに包まれている。
●明日は、A氏の病死した奥さんの命日だ。一緒にお墓参りに行き、報告することになっている。そして、仕事にひと区切りついた恋人から、電話がかかってくる頃だ。
また、心の揺れる1日になるに違いない。
2003年06月15日(日) |
結婚しても、いいかもしれない。●二列目の人生 隠れた異才たち(池内紀) |
●午前0時に眠りにつき、働き続ける恋人から午前3時に電話をもらい、目がさえて、そのまま起きてあれこれと書き始めたりしたらもう朝。そのまま1日が始まる。午前中からジムに出かけて、仕事お休みのサラリーマンが多い中、しばし汗をかく。帰宅して、あれこれしてから、A氏が企画演出したイベントへ。
●ライブハウスに到着したら、すごい行列。並んで待って、ようやく中に入ってみると、A氏がバタバタと走り回っている。忙しそうなので声をかけず、受付に差し入れのシャンパンを渡し、本番が始まる。
中身は、ライブなんだか、芝居なんだか、コントなんだか、まあ、ちょっと得体のしれない、言ってしまえば、デタラメインテリ中年世代達の大騒ぎって感じ。ちょっと可愛かったりするおじさんおばさん達を眺め、ちょいと古いタイプのブルースなんぞを聞いたりして、3時間。
中身はとにかく、わたしの目は、A氏とA氏息子にずっと注がれていた。 A氏息子は、かつてわたしがプレゼントした父子お揃いの赤いTシャツを着て、会場内ではしゃぎまわっている。途中でA氏に呼ばれて出ていったかと思うと、衣装をつけてかぶり物をつけて、父と一緒に登場。舞台上で父親に次の動きなど確認しながら、ちゃんと舞台に立っている。立派な子役ぶり。イベント終わりには、マイクを持ってショウの終わりをしきるA氏。頬が紅潮して、照明で目がきらきらしている。舞台っていうのは、人がだいたい美しく見える場所なんだ。職業的によく知ってはいるものの、いい男ぶりを、ちょっと見直す。
●突然、結婚してもいいかもしれない、と思った。恋人のこと。A氏には亡くなった奥さんとの子供がいるということ。様々な問題が一瞬頭の中から吹っ飛んで、この人と結婚してもいいかもしれない、と、思ってしまった。わたしは今までも、一瞬の閃きだけを頼りに男とつきあってきた。好きだと男の人に打ち明けたことは一度もなく、わたしがこの人だと閃いたら、向こうも好きだということが自然に伝わってきて、何気なくはじまる、いつもそんな具合だった。閃きがすべて。だから、結婚だって、いいじゃないか、閃きで。と。
この目で、写真でしか知らなかったA氏息子を見たからか?
デタラメイベントではりきるA氏の少年のような表情を見直してしまったのか? なんだかよくわからないのだけれど、心が動いた。
●搬出の車を手配しに出ていったA氏を、イベントアフターの賑やかなライブハウスで、独り、物思いにふけって待つこと1時間半。A氏のことを考える。恋人との長い長い時間を考える。
根っから思いの強い人間なので、4年間、始終恋してきた人の存在は大きい。結婚できなくても、ずっと待っているだけでも、時折彼のそばにいられらばいいとまで、わたしは思ってきた。それが……。
戻ってきたA氏の顔を見て、話して、何やら安心し、打ち上げに出る彼と分かれて帰ってきた。
午前3時から起き続けていたので、日付が変わる頃には、眠気がピークに達していて、倒れ込むように、眠る。朝方、恋人の夢を見て、目が覚めた。起きてみると、携帯にA氏と恋人から一件ずつ不在通知が入っていた。携帯の音など、聞こえぬ深い眠りだった。
●今夜は、恋人が全精力をつぎ込んでいる芝居のリハーサルを見にいく。久しぶりにその顔を見て、わたしの心は、また、どう動いてしまうのか。
池内先生の著作タイトルから言葉を借りれば、恋人は一列目の人。A氏は二列目の人だ。一流と二流ということばとはちょっと違う。何を一義に考えて生きるかという、生き方の問題だ。
恋人は自分の仕事に生きている。その隙間隙間をわたしと過ごすことに、喜びを感じてくれている。わたしは寂しいが、その姿はストイックで魅力的だ。
A氏は、恋愛至上主義と豪語しつつ、仕事が忙しかろうが何だろうが、わたしのこととなればすぐに動いてしまう。トップランナーになる人じゃないが、一生わたしに寂しい思いをさせないだろう。
選べないよ。本当に。だから、昨日の閃きを信じてみようかと思う。
わたし、結婚してもいいかもしれない。
●天気のよかったのは、陽が昇って2、3時間のこと。わたしはいつもの暮らしを繰り返す。
●早朝から深夜まで仕事に明け暮れる恋人から、久しぶりに電話がかかってくる。午前3時過ぎ。まだ現場で仕事中。
そんなことは自分が現場にいる時は当たり前のことなのに、何か不思議な感じがする。いや、枠の中に組み込まれているとあれだけ働くわたしが、どうして個人ではこんなに生産力がないかということへの、自己批判。
●恋人の声に張りがあるのでほっとする。わたしも嬉しくなる。さすがに追い込みなので、緊張感が体を支えているのだろう。
もう長らく会っていない。会えなかった。その間隙に、A氏がどんどん生活に入り込んでいた。
A氏はどこまでも忍耐強い。わたしが二人の男を心に住まわせることに疲れ離れようと試みても、絶対くじけない。どんな時間であれタクシーを飛ばしてやってくる準備があるし、触られたくないと言えば、我慢している。いくら我がままを言っても、それがわたしの本質でないと知っているのか、ちっとも気にしない。わたしが恋人から離れ、自らのもとに飛び込んでくるのを、ひたすらに待っているのだ。つかこうへいの「ストリッパー物語」や「蒲田行進曲」に出てくる、気の強い女とつくしまくる男の関係みたいなもので、何やら自分がどんどん調子に乗って変容していくのが怖い。
迷いはないはずなのだ。わたしは恋人のことを誰より大切に思っている。でも、安心とか、生活とか、庇護とか、そんなものどもが、A氏のいつも広げた腕の中にあって、わたしにいつも「おいでおいで」している。ギャラの派生する安定した仕事をしていない時期だけに、それは強烈な牽引力を持つ。
ともに暮らす男を選んだり、愛するべき男を選んだりすることが、現在の自分を見据えることになるという、どうも面倒な状況にはまりこんでしまった。恋人との間にも色んな問題を抱えているけれど、何があっても恋をしておればいい、という楽さがあったのに……。
これも今のわたしの不調の原因。自分で選び取って、自分を自ら支えてやるしかない。A氏はわたしを守ることに(息子を守ることと同様)全人生をかけると言うが、やはり、わたしはわたしでしか守れない。それを知ってもらって、もっとしっかりとつきあい直さなくては、わたし自身、選べないかもしれない。
2003年06月13日(金) |
引き続き、ダメなわたし。 |
●自分がだらしないと、どうも日誌というのは書きづらくなる。それでも、とりあえずこうして某か書き留めようとするのは、年頭、永井荷風の「断腸亭日乗」にぐっときた名残。
いくら自分にお膳立てしても、始まらない時は始まらない。こういう時は、ダメな自分を甘んじて引き受け、小さなコップに水を注いで注いで。でも、注ぎきれれのは、表面張力のところまで。あふれ出すときの一滴は、いつも外から、自分の意志とは関係なくやってくる。
●東京を離れてしまった、信頼するプロデューサーから電話がかかってくる。いつ遊びにくる? と。そうだな、出ないときは何も出ない。深い緑に囲まれに、行ってみようかなと、思ったりする。でも、どうもわたしは、時間に対して貧乏性で、「この時間を使って何か……」とすぐに思いがち。詰め込みすぎる。そのせいで、ギャラの派生する仕事は何もしていないというのに、心身共に疲れ気味。
●もう朝。今日は梅雨の晴れ間のよう。このまま寝ないで、海にでも足をのばそうかとも思う。さて、この何も為せない現実の中、貧乏性のわたしがそんなこと出来るかしら?
2003年06月12日(木) |
ダメなわたし。●日本が見えない(竹内浩三全作品集) |
●このところ、ちっとも自分の仕事が進んでいないので反省し、映画も自粛し、楽しいプールも自粛し、午前中からあれこれと、自らの仕事を考えて暮らす。いろいろと断片を書き付けてみるのだが、何も発展しない。
先日ここに書いた、秋元先生のことばを思い出す。
「あなたがこれだけはいいたい、ぜひいいたい、それをいわねば、あなたの精神の大切な部分が亡びてしまうと思うことが、一つはあるでしょう。それを分かりやすく、誰か一人の人に話しかける気持ちで書けばいいのです」
わたしの大切な部分は、何処へ行っちゃったんだろう?
仕事に追われている時は、大切なことがいくつもいくつも溢れてきて、時間ができたらこれを形に……と思って過ごすのだが、いざ時間が与えられると、さっぱり形になろうとしてくれない。
技術の問題? 集中力の欠如? それともわたしにとって、そんなに大切なことじゃなかったの?
●悶々とするうち、竹内浩三のことを思い出して、再読する。夢中になって読み直し、今日は自分の仕事を続けることを諦めた。
彼の溢れることばは、ダメなわたしを黙らせてしまった。それに励まされたっていいはずなのに、今日のダメなわたしは、その輝かしいことばたちを享受するだけで、満足してしまった。
これだけの才能が奪われてしまったのに、このわたしが安穏と生きながらえる不公平に、打ちのめされ、ちょっとした無力感を味わった。一晩眠れば、ダメなわたしにも、彼のことばが力となり弾みとなるのかもしれない。いや、そうしなきゃ、「言霊」に失礼というもの。
彼のことは、今日のBook Reviewに書いた。ずいぶん書くのに時間がかかった。
●おかしなもので、ダメな時ほど、生きてる暮らしてるって感じることがある。これも自分の一部なのだと、諦念というのではなく、そういう繰り返しなのだと妙に合点がいったりする。A氏からは「会いたい!」ということばが羅列するだけのメールが届いた。電話こそかかってこないが、父と母は、娘はどうしているかと、今日も必ず案じている。恋人は、とんでもなく大変な仕事の渦中でわたしのことなんか忘れ、あと一週間ほどもすれば、きっとやおら思い出す。このWeb上の文章だって、知らない誰かが、何か少しは感じて読んでくれているのかもしれない。
やっぱり、ダメなわたしもイケテルわたしも、わたしの一部で、今日というダメな1日もわたしの一部だ。
若いときはこういう時、もんどり打って苦しんで、ダメな自分を呪ったものだけれど、こんな風におおらかに考えられてしまうところがダメなのか? と、逆に思ったりもする。でも、まあ、そういう意味では、歳を取ることに逆らえない。毎日とりあえず一生懸命やってれば、そんな間違った方向には老いないだろう、そんな風に思っている。
2003年06月11日(水) |
大阪のおばさん、みな、かしまし娘。 |
●梅雨入りの声を聞いたら、いきなりの雨。わたしは傘をよっぽどのことがないと持たない人なんで、今日もしっかり濡れました。そう言えば、去年の10月から11月にかけてモスクワに行ったとき、もうしょっちゅう雨が降っていて。(時には、雪。)でも、街ゆく人はほとんどが傘を持っていなかった。わたしもくじけそうな大雨の中、鞄を頭の上にかかげて「仕方ないなあ……」って顔して歩いている。
あまりの雨量に負け、傘を買いにデパートに入って、その理由が分かった。……高い! 500円傘に慣れてる日本人の感覚では信じられないくらい高価。彼らの平均収入を考えれば、立派な贅沢品。しかも重くて粗悪な作り。
ペレストロイカ以降ずいぶん変わったとは言え、まだまだ生活は厳しい。
●一方、お気楽なわたしは、通ってるジムのプールへ。もう何年かぶりのプールにわくわく。息継ぎがめちゃくちゃ下手くそで泳げるうちに入らないわたしではありますが、やっぱり水に親しむのは楽しいですよ。思いこみの激しいタイプなので、水をくぐっていくと、もうすっかり魚の気持ち。
おまけに、ウォーターラッシュっていうクラスに参加して、水の中で飛んだり跳ねたり走ったり踊ったり。やおら子供心全快に。エアロビクスってやつはなんだか恥ずかしくって、いつも無表情でやってるんだけど、今日はにこにこにこにこして水と戯れてしまった。やっぱり羞恥心はあるので、途中からメガネをかけて隠したりしましたが。
ここのところフィットネスクラブに通っていて思い出すのは、大阪の同じような施設の、サウナ。
今のところのサウナなんて、みんな修行してるみたいに難しい顔して、じーっと黙り込み、汗をしぼっている。(ちなみにわたしは、サウナでも、バイクを漕いでるときも、ひたすらに読書)それが、大阪に場所を移すと……。
もう、おばさんパワー大全開。大阪の、お昼間にフィットネスクラブに通ってくるようなおばさんってのは、もう、一時も黙ってられない人がほとんどなわけで。いやあ、とにかく、芸能裏話から、ご近所話から、それぞれの家庭の旦那事情から、話は尽きることがない。わたしは余りの面白さに、サウナをなかなか出て行けない。もう、いーっぱいネタが拾えるって感じ。そして、しゃべり疲れて、汗まみれになって、「いやー、よう汗かいたわ。やあ、もうこんな時間やんか。晩ご飯間にあわへんわ」とかなんとか、これまた賑やかに、揃って退出なさる。嵐が去って、静寂の訪れたサウナ内で、一人、おばさんたちのおしゃべりを反芻して思い出し笑い。なかなか趣があります。平和だなーって感じ。
同じ日本人が住んでいるのに、やっぱり違うんだなあ、大阪と東京は。
●そろそろ仕事がしたくなってきた。人に囲まれて、仕事をしたくなってきた。いつもいつもこの繰り返し。何ヶ月も休みなしに働いて、こうして月単位で休みをとる。でも。
確かに、この期間に準備をすることでしか、自分発信の仕事は生まれない。そう自分に言い聞かせて、毎日アンテナを伸ばして暮らしている。
2003年06月10日(火) |
梅雨入り。風邪をひいて過ごす。●抜髪(車谷長吉) |
●朝方の冷たい風を心地よく感じながら書き物などしていたら、風邪をひいてしまった。「仕事もしていないのになんで風邪などひくんだよ」と、自分を叱責して気がついた。仕事している時は風邪をひかなかったっけ。心と体が休んでいるゆえの風邪なのだと思うと、まあ、つきあってやるかと、気分に余裕もできる。
●予定していた映画を諦めて、また1日読書と学習。
書評を書くために車谷長吉を何作か読み直す。風邪をひいて遅く起きた午後などに読み始めると、より車谷ワールドにどぶどろに浸かってしまう。車谷氏の在所である飾磨は、わたしが生まれた町の隣町だ。10分も歩けば、彼の在所にたどり着く。だから車谷氏の母が播州弁で息子にだらだらと語り続けるだけの「抜髪」など読んでいると、いつまでたっても何者でもないわたしが叱られているようで、救われない気持ちになる。また、そんな気分にはまりこむのを楽しんでいる自分もいる。
とは言え。いつまでもどぶどろの気分にはまりこんでいるわけにもいかないので、いつもの英語学習などする。新しい英英辞典を購入したのだが、それを読み始めたら面白く、しばし首っ引きになる。
●先日書いた池内氏の「二列目の人生」を、一人分ずつゆっくり読み進めているが、何人かの人生に触れるうちに、彼らがちっとも「時流」と呼ばれるものにこだわってないという共通点が浮かび上がってきた。
名誉や名声、金銭などに頓着がなかったと言うより、それらを意識的に避けていたというより、「ただ自分が生きているということ」を、そのまま受け止めて生きることが出来る人たちだったのではないかと思うのだ。そして、その自分が楽しめるそれぞれの「道」を彼らは見つけていたということ。その道が歩ければ、別にほかのものは大して必要ではなかったということ。
実際、彼らの人生がライブで展開している時には、そりゃあ某かの欲だの計算だのがなかったはずはない。そんな人間いるわけない。でも、池内氏の手にかかって彼らの人生が紹介されていくと、逆に、「結局は余計なものなど何もいらなかった」だろう、彼らの人生の美しさ、面白さが、浮かび上がってくるのだ。
●東京も梅雨入りした。一年で最も嫌いな季節ではあるが、休暇中という特権をフル活用して、雨の午前、雨の午後、雨の夜を、楽しんで暮らしたい。
2003年06月09日(月) |
フラメンコは楽し。●桜の森の満開の下(坂口安吾) |
●午前5時に寝たら、7時に目覚めてしまう。昨日だって3時間しか寝ていないというのに、わたしったらなんだか変だ。労働していないというのは、こういうことか。でもまあ、ワタクシ的に言えば、模索している今の方が仕事をしていることになるはずなんだよなあ。周りから見れば、ただ休んでいるだけかもしれないが。
●楽しみにしていたフラメンコのクラスだが、そりゃあやっぱりフィットネスクラブで提供するものに過ぎないから、初参加とは言え、フラメンコシューズを履いていたのは、センセイとわたしだけだった。みんななんと、ジョギングシューズでセビジャーナスを踊るのだ! でもまあ、そんなことはどうでもよし。なんとなく、あの12拍子を聞きながら体を動かすだけで、思いっきり地面を蹴るだけで、わたしはご機嫌。その程度でよいのだ。
スペイン1ヶ月滞在の振り分けは、3週間が公演の稽古と本番で、1週間がバカンス(!)だった。この1週間を利用して、セビリアに行き、日本を発つ前に紹介されていたフラメンコの踊り手のお家を訪ねた。ジプシーである彼らと一緒に、いくつかの通好みのタブラオを回り、堪能し、舞台のはねた後には、楽屋を訪ねた。それはもう、興奮の連続。見ているだけで血湧き肉躍るような体験。
で、単純なわたしは帰国後すぐに習い始めたのだが、もちろん見るとやるとは大違いで、そうそう楽しいことばかりではなく厳しいレッスンの連続。でも、やっぱりかき鳴らされるギターに乗って、「あからさまに女でいていい」踊りを踊り、地面を打つ足でリズムを刻むことは、たいそう楽しいことだった。続けていられれば、今頃はどれくらい踊れていたかなあ。
いや。
本当に続けていたいなら、どんなことがあったって続けることが出来る、ってのが人生であるからして、そんな仮定は成立しない。だから、わたしには、フィットネスクラブで真似事をするだけでも、十分楽しいってことになるわけだ。
●昨日から本の紹介を別のページに書き始めたのだが、これはけっこう大変なことだと思い知った。今読んでいる未読の本と同時に、ついつい、かつて読んだ本を読み直してしまう。今日も、ドストエフスキーのことを考えつつ、本棚からつい坂口安吾など取り出してしまい。……これでわたしはまた、読書に呆ける時間が増えてしまいそうだ。……まずいな。
(このページとIndexページの下部にリンクを設置しました。)
●こうしてまた、どうでもいいことを書いているわたしのために、夜中におそばを作ってくれているA氏がいる。人に料理を作ってあげることはよくあるが、こうして作ってもらうことなど滅多にない。何か、母が料理を作ってくれた時の、誰かの庇護下にあるという穏やかな安心感みたいなものを感じる。
A氏に料理を作ってあげると、そのたびに「極楽だ!」とこの上なく喜んでくれるが、その気持ちがちょっと分かった。
恋人は、同じくわたしといても、美味しく落ち着く店でちょっと贅沢な外食をし、お気に入りのバーで美味しい酒をわたしと囲むことを好む。その喜びを、確かにわたしは恋人と分け合ってきた。
色んな喜びがある。でも、色んな男を選ぶことは出来ないのだ。少なくとも、今のわたしには。
2003年06月08日(日) |
爽やかな日曜日の、あれこれ。 |
●昨日日誌に書いたことを、ひとつ実行しようかと思いつく。お薦めできる本をリストにして、ちょっとずつでも言葉を添えてみようかと。
午後の空いた時間を使って作業開始。部屋の両端の窓を開け放っておくと、風が心地よく抜けていく。レースカーテンがゆらゆら揺れて、家にいたって気持ちいい。
まずは、薦めたい本のリストを作ってとりあえずアップし、少しずつ文章を添えてリンクしていこうと方針決定し、自らの本棚7台(こんな狭い部屋に……!)を眺める。次から次へとリストアップしたい本が目に飛び込んできて、もうすっかり存在を忘れていた本まで「わたしは?」と背表紙をきらきらさせたりして、こりゃあ大変だと途方に暮れる。
それでも、心を鬼にして、古典から、現代文学から、ロシア文学から、世界文学から、児童文学から、とリストアップの作業を快調に進めていたところで、我がG4はフリーズ。作業に夢中になるあまり、途中保存をしていなかったわたしは、もう愕然。
わたしがHP作成に使っているのは、はじめて買ったコンピューターiMacに最初から入っていたPageMill。確かに、フリーズすることが多く、「もう古いしなあ、Windowsも買ったことだし、そろそろ別のソフトで作り替えだな」なんて思っていた矢先の事故。
まあ、気持ちのよい日曜日のことであるので、気分を変え、方針も変更。今、この日誌で借りているEnpituでもうひとつページを持つことにした。ここで、1日1タイトルずつ、書いていく。なるべく、今読んでいるホットなものはここで触れ、かつて読んだもの、この日誌に登場していないものを取り上げることにした。こうして1タイトルずつ書いていけば、しばらくすると、立派なリストができあがる(予定)。こんなに頑張って作ってしまうのも、自分の整理のために役立つからにほかなかったりして……。
HPの"Book Reviw"のリンクか、直リンクで訪ねてみてください。
http://www.enpitu.ne.jp/usr2/28481/
●ジムに通い出してから、どんどん体重が増えていく。これはどうしたことか? 脂肪は落ちず、筋肉だけが肥大しているということ?
なんだかいただけないなあ。
トレーナーのお兄さんの「運動してるんだから、三食しっかり食べてくださいね」という言葉を素直に守ったわたしが馬鹿だったのか。うーん、納得できない。
でもまあ、運動するのは悪くない。明日はフラメンコのクラスに行ってみよう。かつて、スペイン一ヶ月滞在の後、すっかりフラメンコ好きになってしまい、二ヶ月ほど習ったことがあった。セビジャーナスを一曲踊るところまでいったのに、結局忙しくって通えなくなりそのままフェイドアウトしてしまったのだが、今でもどこか心魅かれている。
手軽にそういうクラスを取れるのは、やっぱり嬉しい。
●恋人からは、ちっとも連絡がこない。余りに忙しく、余りに疲れているのだろう。わたしが送ったメールが、彼のOutLookの受信欄で、数多の仕事メールに挟まれて小さくなっているのが、見えるような気がする。
反対にA氏は、とことん積極的。仕事をしつつ息子とお父さんに毎日食事を作り(出かける前に、朝ご飯と晩ご飯両方用意して出かけるのだ!)、そんな暮らしの合間を縫って、会いたいと連絡してくる。「日頃の節約は愛した女に湯水のように金を使うためだ!」と豪語し、あれこれと気を遣ってくれる。……どうしたものか。……男三人所帯に嫁に行くなんてことが、本当にありうるんだろうか……?
何にしても、恋人がパリに発つまで、わたしの心は落ち着かない。
そんなこんなで、今月中にあげようと思っていた仕事の企画書は、さっぱり進んでいない。
これでいいのか? わたし?