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| 2004年01月15日(木) |
これじゃ駄目なのはわかっているが。 |
●流れの中でも責任重大な2日間を無事終え、ほっとする。少し早くあがって、帰宅は10時前。「シンセミア」の下巻が届いていたので、風呂につかって疲れをとりながら、早速読書。と、恋人から遠距離電話がかかってきて、さらに疲れがとれる。
●仕事ばっかりしていると、どうも世情に疎くなる。新聞も読んだか読まずかの状態で積まれていく。自衛隊派遣をはじめ、首相がらみの話題が気になり続けているが、気になるに留まり、事実関係を追求する時間も、考察する心の余裕もない。逆に、こんなことで仕事が続けていけるのかと社会人として恥ずかしくなるが、それが仕事の忙しさからきているのだから、どうもこうも。
| 2004年01月14日(水) |
まあ、生きてる、かな。●阿部和重「シンセミア」上巻 |
●過酷な毎日、闘う日々也。
今年に入って、アルコールの一滴も口にしてないし、恋人は遠きに在りて、女心の動く暇もなし。いやはや、こんなことでいいのか。まあ、とりあえず、仕事は少しずつ進んでいるぞ。わたしは自分を試す場に日々挑んでいるし、それは疲れるが、やはり生きている感じがする。
●阿部和重の「シンセミア」が面白い。下巻を買わないうちに上巻を読み終わってしまい、本屋の開いている時間は仕事をしているため、急ぎネットの書店で申し込み。ああ、早く続きが読みたい。……それにしても、ようやくあ本を読む余裕だけはでてきたなあ。
●年明け早々、過酷な日々。やっておくべきことが目の前に山積みで、身体も気も休まる暇がない。それでも、元気だった。少なくとも仕事場ではエネルギー満タンで。わたしの元気が現場を支えるのだと思っているから。
それなのに。
朝、電車の中で突然、目の前に幕がさーっと降り、猛烈な吐き気が。たまらず途中下車したら、ふらふらと足がふらついて歩けず、ひどい貧血状態。30分くらいベンチに埋もれてじーっとしていた。寒かったけれど、満員電車からしばらく逃れて、ようやくもう一度立ち上がれた。
自分がこんなに疲れていたなんて。確かに寝ない食べない時間を過ごしてはいたが……。
それでも、仕事中は、元気だった。家に帰り着いてから、朝方認識した疲労が体中にまわってきた感じ。
誰にも不調は告げないから、誰も心配はしない。一人で闘っているという緊張感、ひしひし。
| 2004年01月05日(月) |
今、享受できること。 |
●新年早々、くたくたになっている。たった2日で。次の休みは7日後。慣れない早起きに神経を尖らせ、起きるときはボヨボヨしているのに、1時間半の通勤ラッシュを耐えて仕事場にたどり着くと、「ああ、ここがわたしを待っていた」と、驚くほどしゃっきりとしてしまう。そして家に帰り着くと、またまた使い古しの雑巾みたいにぐったり。
でも。1日12時間ずつ働いたって、それでなお休みがなくたって、過労死するようなタイプじゃない、ありがたいことに。しんどくっても、今は仕事をしているとき、最も生きてる感じがするから。
●日誌に、なんとなく気分でお天気マークをつけるようになったが、実のところ、朝の通勤時と帰宅の夜の空しか、わたしは知らない。そこら辺は、ちょっと淋しいところ。だから、休みのときに感動するのは、天頂に太陽があるのを感じられたりとか、でっかく黄色い満月が低い空で輝いているのを見たりするとか。
若い、仕事のない頃は、いつも朝まで書いていたり、読んでいたりして、満月が沈み太陽が昇る瞬間を見に散歩に出かけたり、月の昇る時間にきまぐれに海に行って、水平線から昇りくるのを楽しんだりしたものだ。今ではそんな自由な時間、夢のような話。
一度にたくさんの楽しみは、なかなか享受できないものだ。だから、まあ、今できることは、今楽しんでおかなきゃなあ。……それが今は仕事ってことか。
●いつも空きを探しまわらなければならない自転車置き場は、スッカスカで、電車はもうどこかのローカル線に乗っているような気分になるほど空いていて、とっても変な感じ。
冬の早い朝、太陽は低く、車内で座席に座っていると、窓越しの太陽が矢を射るようなストレートさでわたしに光を投げかけてくる。仕事はじめとしては、とても気分のいい朝。
●現場はもう、いきなり戦場。何せ100人の人間が会していたのだ。それを一人仕切るとなると……緊張などしている暇なく、朝から大声だしまくって張り切っていた。瞬時瞬時の判断力で勝負する、疲れるけど楽しい仕事が、また始まってしまった。
●この部屋に引っ越してきて3年がたつが、なんだか最も整理され片づけられた状態になっている。仕事が始まってしまうと、崩れていくのを待つのみといった気もするが、整った部屋というのは、思考を誘う。そして、精神の整理さえ環境が求め始めるような気がする。……部屋は簡単に整理できるけど、現在の自分を整理整頓するってのは至難の業だなあ。
| 2004年01月03日(土) |
この1年の仕事が……。 |
●仕事に備えて、頑張って早起き。恋人からメールが届いていた。末尾に、「この一年の仕事が、このあとの20年につながるものであるよう、祈っています」と書いてあり、強く励まされる。
彼のことばのおかげでか、仕事始めを明日に控えて尻に火がついたか、今日は仕事に集中する。一日、てきぱきと色んなことをこなした。それなのに、愛用のメビウスがどうも調子悪く、久しぶりにPowerBookG4で仕事。これがまた、マックらしいところで、長らく使ってやってなかったものだから、実にご機嫌悪く、フリーズを繰り返す。でも、いくらフリーズしても、ちょっとHDを整理してやると機嫌をなおしてくれる。こういう時は、マックの方がわかりやすい。そして、久しぶりに使うと、キーボードの感じが実にしっくりくる。久しぶりにキーボードの上で踊る自分の指を愛おしく感じた。長らく寂しい思いをさせて悪かったなあ、という気持ち。一度ウィンドウズに慣れると不便なことも多々あるのだけれど、旧友の魅力は捨てがたい。
そして、いよいよ仕事始め。問題は、明日から毎日の7時起きに耐えられるかだ。なんたって、徹夜仕事で鍛えられているから、夜に強く、どんなに寝が足りていなくても起きていられるタイプなものだから、どうしてもしわ寄せは朝に……。ああ、今日なんて「いよいよだ!」なんて興奮してるから、いつもの「遠足の前症候群」で、眠れないのではないかしら?
●わたしは、業界で突っ走る同世代に、すっかり遅れをとっている。いい仕事をしたと思っても、それは自分の名前で負っている仕事ではないのだ。
でも、本当に、今のこの時間からでも、遅れた自分のこれからの勝負の布石になるようにと、思って生きていこう。
恋人のことばは、不安におののくわたしの心を、優しく厳しく慰撫してくれた。
●「向田邦子の恋文」というドラマをテレビで見た。久世光彦演出の、TBS新春恒例の枠。
向田さんの死後、ずいぶん経ってから、遺品の中に、彼女の、恋人に宛てた手紙と、恋人の手紙と日記が見つかった。
脳溢血で仕事ができなくなったカメラマン。家族と別居して暮らす彼を足繁く訪ねる向田さん。わずかでも一緒に過ごし、食事を作り、共にし、話をする。放送作家としてひっぱりだこだった向田さんは、寸暇を惜しんで彼を訪ね、愛する。家族のドラマを得意とした彼女が築いた、特異な形のもうひとつの家族の姿。
「忙しいから、訪ねてくるのは大変だろう?」と云う彼に、
彼女は「ここに来ることができなきゃ、台詞のひとつも書けない」と答えている。
彼らの関係は、彼のガス自殺によって、一方的に終わった。
わたしはこの原作を、新潟で読んでいる。
昨年の7月、忙しく過ごす恋人と、わずかな時間でも二人で過ごしたく、新潟まで追いかけて行った時のこと。その日の日記にこう書いている。
***
「向田邦子の恋文」という本を読んだ。向田さんの死後見つかった、不倫相手との手紙やら日記を公開したもの。人ひとりの人生での秘め事は、フィクションと同一線上に並ぶものではない。何故こんなものが出版されたのだろう、と、読後もやもやしたものが残った。
向田さんの著作は全部読んでいる。20代、偏愛していた。亡くなってからも、書棚から時折ひっぱり出す。この人が切り取る生活は、痛ましく美しく、当たり前でいながら、いつも不思議な日常の異界だった。作品だけで十分だった。いいじゃないか。……そんなもの出版しなくったって。
書簡という文学形態を意識したものでもなんでもなく、ただただ愛情を綴った日常的な手紙は、読んだことを忘れたいくらいの、純粋さだった。大人になってからの純粋さは、あらゆる世間体や自己愛、見栄や計算の、その下にある。大人なら誰でも持つ、それらの逡巡の下にある。だから、見え隠れする愛情は、純粋なほど痛ましいのだ。みっともなくも美しく、その美しさは
他者に知られる必然を一切排している。
……読まなければよかった。本を読んでそんな風に思うことなんて、めったにない。……だから出版する意味があったというのか?
***
と、その出版を解せずにいて。
気になって見てしまったドラマだが、向田さんを演じた山口智子が、魅力的だが適度に乾いているので、逆に安心して見ることができた。相手役の男性は、知らない俳優だったが、人間を演じておれず、痛みが伝わらない。何も伝わらないことと、淡々と演じることとは違う。
それより、演出だ。
久世光彦氏ほど向田さんを知っている演出家はいないのだろうが、老いた演出家の限界を、ちょっと感じたり。
原作にあった、個人の裡に秘められた生(なま)の生(せい)の痛みは、
影も形もなく。それが、テレビドラマに置き換えるための方策だとしたら、狙いだとしたら、もう遅れてるんじゃないかしら? 少なくとも、ゴールデンの連続枠ではないのだから。
***
見ている間、やはり恋人のことを考え続けていた。
向田さんの作品を思い出し、一人の女性の短い人生に起こりうる、色んなことを考えていた。
人生、一回しかないから、できれば上手に生きていきたいのに、なかなか難しい。
●早く仕事に出たい。家で一人だらだらやる仕事に、早くも飽きてしまった。現場で、人の中で、人にもまれて早く働きたい。

| 2004年01月01日(木) |
だらだら仕事。●ヒトラーとスターリン(アラン・ブロック) |
●ああ、ほんとに1日中仕事してしまった。しかもだらだらと。
集中してやれば4時間できっと出来たことを、1日中机の前に座って、だらだらと。なんだか先の思いやられる2004年初日。
でも。次の仕事のための新しい曲が素晴らしく、1日中聴いていたとも言える。なんたって、恋の歌だ。楽譜に起こしたり、細かくタイムをとったり、仕事に使おうとしているのに、突然、唄に純粋に感動してしまい、涙がでてきたりしてしまい。
恋の病、深く、その道、依然として険し。ああ。
●後半読み流してしまった「ヒトラーとスターリン」を、読み直す。先の巻に進むために、ドラマを思い起こす。この本の面白さは、対比して二人の人生を追うことで、巨大な人生を俯瞰することが自分の小さな人生にも反映するということが分かってくることだ。
●この区切りの日になると、いつもいつも祈るような気持ちになっている。
自分自身に対する不満をあげればきりがなく、「こうありたい、ああ在るべきだ」と自分に言い聞かせて新しい暮らしを促す思いもあるのだが、それよりも、どうであっても生きている喜びの方が強い。
たいした人間ではなくとも、生きていて、時に物を生み出すことにエネルギーを傾けることが出来る。自由に人を愛したり愛されたりすることができる。この「自由」は、結婚しているとかいないとか、恋人がいるとかいないとか、子供がいるとかいないとか、そういった地平をひょいと超えたことろにある。
自分を自由に愛せること。他者を自由に愛せること。世界を自由に愛せること。
この「自由」があるから、わたしは自分がありきたりでも、自分に不満でも、「幸せ」だと、いつも思える。
そして、その「自由」を剥奪された人のことを、祈るようにして思う。この日になると、いつも思う。「平和」ということばはどうも仰々しくて自分との距離を測りかね、わたしはこうして「自由」のことを思う。
生活は、暮らしは、仕事は、忙しくって、忙しくって、目の前のことをクリアしていくことだけに懸命にならざるを得ず、それでも、大事なことからは目を離さずいられるようにしようと、区切りの日に、こうして強く思う。
●こうしたいつもの年末の物思いに囚われ続け、ちっとも仕事が手につかない。思い出したように、いつもは手をつけない部屋の深部を片づけようとしたり、百�里料棺犬鮃�げたり、ふらふらしている間に、1日が過ぎた。
明日からは気を引き締めて仕事しないと、4日の仕事はじめが不安になる。いい仕事をするためには、準備段階でごまかしをしてはいけないのだ。(と、自分に言い聞かせ……)
2004年を迎えた。
たまたまこの日記を読んでくださる人たちへ。
どうぞ……
健康であれ。
幸せであれ。
生きてあれ。
そして。
自由であれ。

| 2003年12月30日(火) |
年の瀬の物思い。●冥土(内田百�痢� |
●復活して、ようやく掃除など。部屋がすっきりと片づくと、物を考えようとしてしまうのは、どういうわけか。はじまってしまった物思いは、それが役に立とうが立つまいが、我知らず去るまで続く。
●金井田英津子氏の挿絵装丁になる、内田百�里涼司喀犬鯑匹燹�「花火」「尽頭子」「烏」「件」「柳藻」「冥土」と、有名なものばかり。あまりの面白さに、頭がくらくらした。
居ても分からぬ此岸と、分かり得ぬ彼岸を、あちらでもなくこちらでもなくたたずむ人。実体と影の見分けがつかず、闇に取り込まれて。
生きていることを、ついつい見直してしまいがちなこの年の瀬に、自分の不確かな足元にふと目を向けさせる、読書時間だった。それでいて、純粋な読書の歓びを感じさせる、日本語の力。
新しいものより、はやりこの手の読み物が好きなのは、どうしたものか。
●恋人より、たぶん、今年最後の電話。いつも、何を話すわけではない。ただ、声を聞くだけでいいのだ。
明日からは、たぶん、一筋に仕事する。年末年始、関係なし。ただ、ついついテレビをつけてしまう。今も、今年起こった重大ニュースを羅列する番組を見ながら書いている。