ふすまのおく
細々、ぼそぼそ書いてます。

2025年10月18日(土)

久し振りに日記を書くけれど、その内容があまり前回のものと変わり映えしなさそうでちょっとげんなりしている。

少し前に、以前住んでいたところに近い観光地に2泊した。
一泊はひとりで、もう一泊は仲間とで。
一泊目の宿は共同風呂・共同洗面所の宿で、その分お値段が良心的という、
インバウンドや若者のにぎやかさとはかけ離れた落ち着いた宿だった。
夕食・朝食も宿で済ませたので本当に寝るだけのためならそれで充分だった。
大勢で泊まりに来ている人たちもいれば、一人旅の人もそれなりにいて、
何やら気恥ずかしくなることもなくて快適だった。

二泊目はコテージにて仲間と宿泊。
コロナで中断されていた行事が今年復活して、お泊りを久し振りにした。
その中で聞いた話で、色々と思うところがあった。
熟年と呼ばれる歳で結婚したお二人の話が、とてもいい話だったのだけど。
他人のコイバナは私としては大好物なのだけど、自分のコイバナが不毛で参る。
自分も熟年と呼ばれる歳で、伴侶が果たして必要なのか、
必要だとしてそもそもどうやって相手を見つけるか。
ただ時々会ってお茶を飲んだり、ちょっと暇つぶしができる仲間が欲しいのか。

まだ自分の中でも方針が決まらない。
誰かと一緒に生きる事も必要なのだと思う。
「人といると精神的に安定する」と言われたが、正しくは
「一人で生きていると死へ向かいたくなる」のでそれを止める存在が必要なのだと思う。
で、誰かと生きる場合、自分の今いる場所や職も変える必要が出てくるのだと思う。
その覚悟はあるか(覚悟が生まれるのか)、母の存在はどうするか。
そのうえで誰かを求めるか、求めたとして自分を求めてくれる人がいるか。
考えてしまう。もう本当にこんな歳で、こんなことで悩むとは。

遠く離れた仲間内でそういう話ができるのはとてもいい事なのだけど、
今自分がいる周囲でこんなことで葛藤している人はおらず、
相談するにも、相談相手の子供の年齢の人間での悩み事をなんと答えるのか。
そういう意味でもひとりだ、孤独だと思う。

家に帰ってきて思うのは、ここにいていいのか?とかあの場所へ帰りたいとか、
ちょっと今の場所では言えないような事が多くて困る。
仕事もそれなりに安定してきて、仕事場での居場所自体はありそうなのだけど、
個人としての居場所がここかと言われると葛藤する。
やっぱり「ホームにて」で考えてしまう。


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襖 [MAIL]