self-satisfaction
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| 2002年03月15日(金) |
たとえばイルカのように |
このあいだのテレビ番組、たしか日テレ系の “特命リサーチ200X�供� という番組だったと思うけど 自閉症の子供たちの治療の方法のひとつとして、イルカと一緒に泳ぐというのがあった。 イルカと一緒に泳ぐことで、無表情だった子供たちに表情が生まれて 自己主張が出来るようになるとか、そんな話だったと思うんだけど。
イルカの超音波は、ダイレクトに人の脳に届くんですよね? イルカの言葉は直接心に届くのだ。記号もカタチもないのに。 なんなのかはっきりとはわからなくても伝わるんだな、っと。
で、唐突に詩の話となるわけなんですけど、今日、詩学3月号を読んでいたんですけど で、私の詩はとうてい文芸ではないわけです。でもコミュニケーションの手段 でもないつもりなのです。強いていえば、心情吐露なわけで。 で、私の詩を書いている目的はなんだろう、なんて、到底答えなんて出ないような ことを考えたりもしたわけなんですけど、うーん、なんなんでしょうねー? 目的ということはあんまり考えたことないんですけど、 でも私の詩の行く先というか、進化の方向とかはちょっとだけ考えていて、
たとえばイルカのように
感覚だけを伝えられないだろうか。 難しい言葉も剥ぎ取って、ただそこに転がってる感覚だけを読む人に残せるような、 言葉にできないような、強いて言葉にさせないように、言葉には換えられないように そんな感覚を詩に刻むことが出来ないだろうか、って ここ2,3日、考えてて。たとえば恋をして好きな人と抱き合う感覚っていうのは 嬉しいとか幸せとか、そんな言葉にかえたりしないで、そのままの感覚を 詩に移し変えることができたら、官能的に味わえるような。。。
なんだかわからないけどもう一度読みたいなぁ、と思ってもらえるように。 ただ堪能してもらえれば。カッコイイ言葉なんてよくわからないし、 たぶんその方向への成長は難しい。カッコよく書こうとすると 自分らしさや自分の感性やらがなくなってしまうと思う。 成長はしたいのですけれど、でも私のようなスタンスがあっても いいのではないかな、と。 なんだか最近、そんなふうに考えてて、そんな感覚だけの詩を 極めてみたいなぁ、と思っています。
長くなってしまった。 イルカは大好き。 旧下関水族館のイルカは私にお魚を見せてくれたのだ。むふふっ。 そのエピソードは、また後日にでも。
おやすみ。
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