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2003年09月13日(土) 故郷があるって素晴らしい!

いやー、田舎があるってすんばらしいですなぁ。
昨日も、田舎の叔母から野菜が送られてきたんです。
玉ねぎがたくさん詰まってましたぜぃ。いえ〜い!
私は無類の玉ねぎ好きやねん。
いろんな料理にも使えるし、大助かりです。
これからは少しでも倹約してゆかねば、という状態の我が家には
救世主みたいでんな、って、おおげさな!(笑)

弱いモノからみた世界観
なんつって、タイトルだけみたら大げさですなぁ。
って、そんな大げさなコトではないんですよ。
うーん、最初、このことを思いついたとき、
まず、「弱いモノ」っていう言葉を使うことにちょっと抵抗というか、
疑問というか、そういうものがあって、それについて考えているうちに、
日記もかかずにいたというか。。。。←言い訳がましいなぁ。
「弱い」と言ってしまっていいのかなぁ、とかさ、思ったり。
「弱い」というのは、ある意味わかりやすくするための目安であって、
あくまでも本当に「弱い」のかは、まったく意味があってないと思うんだけど、
そこはその意味だけ汲んでいただければな、なんて思っちゃったりします。

例えばね、思うんだけど、
足元の覚束ないお年寄りが街に出るとするでしょ、で、見かけるわけなんだけど、
おじいさんが、あるお店で商品とお金を差し出したりする、
その手元も、お年寄りなんで時間がかかったりするわけじゃない、
と、その時、相手の、例えば店員さんだとか、係りの人だとか、
その人がどう対応するか、どう対処してくれるか、
めんどくさそうに受け取る、とか、
いかにも、早くしろよ!みたいなイライラした態度をする、とか
いいですよゆっくり待ちますよ、とその人に合わせてくれる、とかさ、
老人で、足元が覚束ない・手元も危うい、という、ただそういう状態にいるだけなのにさ、
そうやって世間的に「弱い」と言われる立場にいることによって、
街や人、環境や、それが広がってゆけば世界観さえ、違ってみえてくるのじゃないかな?とか
感じることがあってね、だからそういう「弱い」と言われてる人、
思われてる人、思える人、っていうのは、
実は、真実というか、本質というか、そういうものを垣間見ることができるんじゃないか、
そういう人こそ、いろんな事や人や物の価値がわかるのじゃないかな?
ということを考えていたんです。
大げさなことじゃないんだけど、
でも、ちょっと思い当たるトコロもあるよね?

自分はオンナだからさ、オンナでいることで、ある場面では
「弱い」と思われることもあったりするわけですよ。
そういう時にもよく感じるんですよね、
ああ、この人はこんな考え方が出来る人なんだな、とかさ、
この人は、こんな見かたしかできないのか、とかさ、
自分が特別じゃない分、そういうことをよく感じる気がするんですよね。
うん、そういうことをいろいろと、書きたいなぁ、と思ったりしてたんです。

腹が立つこともあるし、悔しい目にもあうし、しなくていい苦労をしたりもするんだけど、
自分はいつも透明で、いろんな気持ちを受け止めて「弱い」立場で
いろんな物事を見つめていよう、
なぁ〜んて、なんかちょっとえらそうだな。だはは。

うん、でもきっと、そういえば。。。。なんて
思い当たること、あるでしょ?






おやすみ。



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