The Five Senses
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2003年08月11日(月) |
Love in one's Life |
私が"愛"について書いたのは、 今回ある人の手伝いをして 彼のそれに対する"愛"を感じ、その意味を少なからず理解しえたからだ。
実際彼は何度も彼のそれに対する"愛"を語ってきた。 しかし私は頭でおぼろげに想像の中で理解できたものの、 それは抽象的で間接的でしかなく、はっきりと飲み込んではいなかった。 今回私は空いている時間はほとんど彼の手伝いに費やし、 色々な作業、過程を見、初めてその全てに彼の"愛"が注ぎ込まれ、 意味が飲み込めることができ、 そこに彼の言う"愛”が存在することをやっと実感することができた。 それは最終的に形として現れ、そして人々を感嘆させる。 私は彼の偉大なる"愛"を初めてそこに感じ理解した時、 脳の奥から何か鈍痛のようなショックを受け、軽くめまいがした。 なぜなら、私はそれを理解したと同時に、 それは彼のアイデンティティーを作り上げ、 彼自身を公に存在させる一因だということを、 感じざるをえなかったからだ。 これを"愛"と彼は呼ぶ。 えぇ、まさに。 愛と呼ぶ以外に何と呼べばいいのでしょう。
情熱を感じる。 ある時私はそれに感動し、何か胸の奥から込み上げるものを感じた。
そして、疑問が浮上する;それでは私の"愛"はどこにあるのだろうか、と。
思いは沈殿するばかりで、何も前には進んでいないことを、ふと悟る。 目をばっちりと開いて瞳孔も最大限に開いても、何も見えない暗闇の中、 まだジャーニーは続く。
薄暗い光さえもいまだ見えない。
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