遊歩のデジアド日記etc.
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2002年08月14日(水) |
そうそう、ターンA話でも |
そういえば、先日ターンAの映画(前編)を見てきたのに、感想を書いてなかった気がしたわ・・・。 というわけで、ざっと感想を書いておきます。
【ターンAガンダム・地球光】 正直にぶっちゃけます。 私、本来ならメッチャガンダム世代なのですが、その当時はアニメを見るということ自体が考えられない家におりましたので、まったくもって予備知識がありません。しいていえば、アムロとシャーという名前は聞いたことあるぞ???くらいです(汗)
だもんで、最初、なんの予備知識も入れずに映画みて、話がわかるか心配でした。で、結論からいうと、とりあえず、多分大筋は理解できたみたいだ・・・です。賢たん萌え〜♪な感想を出来る限り排除して、いったん、純粋に内容的な感想を語るとすれば、あの話、あそこで終わっててもいいような気が・・・(後編がなくても単独の話として成り立つというか・・・)。 あ、もちろん、後編を否定してるわけじゃありません(ってか、そもそもまだ見てない^^;) じゃなくて、何も知らないものがいきなり「地球光」だけ与えられても、それなりにいろいろと考えさせられることがあったっていうのかな。
あの構図を完全に現在のエルサレムに還元できるかはともかくとして(というか、微妙に違う気がするし・・・)、ひとくくり大きな目でみれば同じ「人間」として括れるはずのものの間に対立が存在することにはかわりない。 その中で、和平の道を模索しようとするものもいれば、その指揮下にあって反発しようとするものもいる。 組織がでかくなれば、それだけ統制が利きづらくなるのは当然なことで・・・。 それに加えて、純粋に争いを好むものも(多分)いる・・・。 多分、どれも人間としては「あり」なんじゃないかな?と思います。 ってのは、己をどのレベルで捕らえるかの違いにしか過ぎないんじゃないかと思うので。 己を「人間」として括ろうとすれば、「人間」としてのベストな道を模索するだろうとするし、そうすれば、人種の違いは己の外の問題ではなく己のうちに包含される問題であって、それが敵になることはないし。 反対に、己を「個人」として括ろうとすれば、まさに自分を形作る意識と細胞以外はみんな他者となるわけで、他者といえば、顕在的な敵になるわけで・・・ 人間に闘争本能があるというのは、わからないではない。
タダでさえそれだけさまざまな因子を抱えた集団が舞台であるのに加えて、主人公が、相対立する二つの間にはさまれた存在な訳で、賢たん萌えを抜きにして、単純に、彼がどう振舞うのか、楽しみにして見てました。ま、話としては、まだその答えを出すまでいかないところで終わっちゃってましたけどね^^;
結局、核の取り合いですか。 しかも、無知ゆえの・・・。 そのこと自体は、すごく見てて納得がいったというか、当然の帰結だろうなぁ・・・と思いました。 ただ、あの核爆発による犠牲者が少なすぎるところは、ちょっと萎えでしたけどね。 現実を映し出すのなら、あそこにいた人たちは全員巻き込まれてしかるべきだと思うし、それが無知ゆえのおろかさだと思うので・・・。
というわけで、あの話が、あそこで、全員被爆死で終わっていたら、それはそれでひとつのメッセージを持った作品になったんじゃないかなぁと思います。なんとなくDTエイトロンに通じる話だと思うのですが、こういう終わり方も嫌いじゃないです。 でも、この映画、これでまだ半分なんですよね^^; この後どういう収拾のつけ方をするのか・・・ とりあえず、後半を楽しみにして待とうかなと思います。
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とまぁ、こんな感じですかね。 後半の方は、前回ごいっしょした方がお忙しそうなので、できれば、DVDレンタルしてきて、うちでその方と上映会ができたらいいなぁと思っています。 その前に、家、いい加減掃除せな・・・^^;
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