Presented by 遊歩 |HomePage
遊歩のデジアド日記etc.
デジアド02中心・時々ルパン・天近・大野様and so on...

色分け:テレビ感想ゲーム関係
ご感想・つっこみなどはこちらへ


目次へ戻る過去へ未来へ |  ⇒旧サイト


2002年09月11日(水) 更新〜 / エイトロン、イイ!!

記念すべき昨日(02・23話放送日)の日記は改めて02について語りたいと思います。 ってことで、とりあえず・・・

一日遅れちゃいましたが、02ラブ・賢ラブの証として、二つほど100質系に答えてみました。「いろいろ語り」においておきましたので、遊歩の、呆れるほどの賢スキー振りをご覧になりたい方は、よかったら覗いていってやってくださいまし^^;

それ以外には・・・ ああ、ドラドラ、もう一週間たっちゃうよ〜(汗)

=====

リアルタイムで一度見たっきりなのは確かなんですが、ずっと、見なおしたくて見なおしたくてたまらなかった「DTエイトロン」のビデオ、とりあえず4巻目までゲトして、重い腰をあげて、ようやく1巻の封を開けました。

で、早速デッキに突っ込んで見たのですが・・・イイ!

ほんとに、これ、流浪の深夜アニメだったのか?ってくらい、絵にもストーリーにも音楽にも気合が入ってる!! なんか、一気に3話まで見て、あまりの良さに涙出てきちゃいました(マジで感涙)

とりあえずなんのことだかわからないって方へ。めっさかいつまんでどんな話だったか語ると、「地球の環境破壊が進んだ今から・・・100年くらい?先。人間は、有害な紫外線から身を守るためにドーム型の都市を作り、その中でくらすデータニアンと呼ばれる人たちと、そのドームの管理社会から逃れた、ドームの外にくらすリターナーと呼ばれる人たちに分かれていた。主人公のシュウはデータニアンの男の子。本来なら記憶も思考もプログラム(?)により管理され、データニアのための労働力として純粋培養されるはずなのに、なぜか突然、データニアでは不用(なだけでなく有害?)な、外の「海」の記憶にいざなわれ、仲間と共にデータニアからの脱走を試みる。一度は外に出れたものの、すぐに探査機に居場所を知られ、結局データニアに連れ戻され(たんだっけ?)“リセット”を受け、感情を持つことを不可能にされたはずなのに・・・ なぜか「海」の記憶が消えなくて・・・ そんな動機で、ひたすら「海を見たい」という動機で、管理社会データニアから二度目の脱走を図るシュウと、彼を助けるリターナーたちは、どうなってしまうのか? そして、さらに物語が進むと・・・」ってな感じですかね。

ちなみに、放送されたのはいつだったんだろう? 私が院生あたりをやってたころかな? OPがドラゴン・アッシュの「陽はまたのぼりくりかえす」だったんで、かなり前なのは確か。 もしくは、「エイトロン」の前後に「頭文字D」が放送されていた時代です。かなり古いね〜^^; 野球の延長やらその他のスポーツ中継やらF−1やらが入ると、放送時間が2時間くらい平気で延びる、メチャメチャ流浪の深夜番組だったのですが、そもそもなんでこんなアニメを見る気になったのかというと、テレビ雑誌で紹介された「管理社会から逃げる主人公」っつー設定になんとなく引かれたため。何か問題提起でもするのかな〜?って思ってて・・・。

ま、実際には、その手の管理社会に対する問題提起そのものはなかったんだけどね。むしろ違う意味でものすごくまっとうな、文部省に推薦させたいアニメでした。(最終話はどうかと思うが・・・)

それと、実はもうひとつ動機があって・・・っていうのは、当時、エヴァ放送直後くらいだったんですよ。 で、絵柄が“まんまシンジやん^^;”といううわさだったので、エヴァ見たことなかったその当時、ちょっとばかり気になって・・・。

ま、きっかけはともかく、今見てもこの1話目は涙でるほど好きです。とにかく、もしレンタルで見かけたら、全巻借りて一気に見てみれ!って感じ。 ちなみに、デジ02好きにとっては、あの京さんこと夏樹リオさんがおでになってますので、それも楽しみかも。

ちなみに、声優の話をすると、実はこの話ではじめて保志さんの声に出会いました。おかげで、私の中の保志さんのイメージ=どーしょもないダメ人間(でもいいやつ)っていうイメージで固定されちゃってます^^;

とまぁ、好きなものについて長々と語っちゃいました。 え?9・11については語らんのかですって? そりゃ、8・06、8・09は気にするのに9・11は放置っていうのは、ちょっとフェアじゃないかとは思いますが、一年前のあの出来事については、巻き込まれた方は、ほんとに不幸なんて一言で片付けられないとは思いますし、ほんとにご冥福を祈るくらいしか出来ない自分が非力でつらいのですが、それ以上に、そんな暴力が生む哀しみ・つらさを経験したはずのあの国が、いまでも暴力に訴えようとしている・・・それを思うと、素直に9・11のことを語れないのです。 それに、こんな風に日にちを区切らずとも、日々死と隣り合わせの生活を送らざるを得ない人たちだって、同じ地球というところには存在する。 それを思うと、この日は、世間で散々取り上げられるからこそ、あえてここでは黙っていたいのです。

って、数日前の日記にも書いたけどな〜^^;

とにかく、人間、無いものねだりなのはわかっているので、死に行く人には生が、生きざるを得ない人には死が望まれるのはわるので、生きていることに対して、一方的に「幸せだと思いなさい」とは言えないけれど、それでも、自分の生き様を自分で決めるならともかく、他人の生き様に干渉しないよう、全ての人がそう思えれば・・・と祈っています。



目次へ戻る過去へ未来へ

Presented by 遊歩 |お手紙下さい |HPはこちら