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「対立する場合の相手は自分にとって大切な ものであることに間違いない」。 先日、友人からのメールに書いてあったことば を引用させてもらった。わたしはこれを読んで、 目からウロコが落ちた。 「対立をするということは、ある程度、心を許し あって、自分の中身を相手に伝えたからこそ 起こること。その時点で、その相手は、自分の ことを伝えたい相手に変わりはない」。という のだ。 対立が生まれたとき 相手を理解しようと努めるか、面倒臭いとその 場から退いてしまうか。また、その方法すら、 わからずに、思考が停止してしまうこともある だろう。 1番良くないことは 問題そのものを、考えることから逃げてしまい、 何かがわかったような気になってしまうことな のではないかと思う。 自分はどうだろう? 自分の物差し、価値観で、相手を理解した気 になること。 「何かがわかったような気になること」。 残念ながら、しばしばあります。 自分と関わる、すべての人と、良い人間関係 を築きたい。きっと、誰もがそう願うことだろう。 でも、現実はそうはいかない。 違う人間である以上、心底理解し合えることは、 ないのかも知れない。 だからこそ、真っ向から相手と向き合い、批判 し合うことが、大切なんじゃないかと思う。 自分の思いを、対立なくして、相手に適切に伝 えること。これは、実に難しいし、根気のいるこ とだ。でも、その相手をわかろうとする「姿勢」 に、意味があるのではないだろうか。 その結果が、どうであっても、傷つくことを恐れ てはいけない。誤解が生まれたら、とことん話 し合えば良い。わかり合えないことから、逃げ てしまっては、人と人が存在する意味すら、き っと、分からないままなのかも・・・? そう考えると、「対立する」、「対立できる」とい うことは、素晴らしい。 なかには、「悪意」に満ちたものも、少なくはな いだろう。その辺の判断を間違わないように、 見極める目を持たなくては。 実は、これが1番難しいことなのかな。
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