学校から疲れて帰ってきた。
父親は病んでいて
母親は看護に行き
弟は学校だった。
今まではそんなの、どうでもよかった。
玄関を入った処直ぐの扉。
其の向こうにきみがいたから。
呟く「ただいま」だって
無駄にならなかった。
でも。
もう、扉の直ぐ傍に君がいるかもしれないと
そっと扉を開ける必要も
「ただいま」って言いながら頭を撫でてあげる事も
寒い京都の冬を乗り切れるように
ストーブをつけっぱなしにしておく必要も
全く無かった。
広くも無いリビングが寒々しかった。
きみの食事皿も、水飲みも、お風呂での専用ブラシも
毛布も、タオルも、勿論フードも
何も無かった。
余り写りの良くない被写体のきみの
想い出を留めた絵は存外に少なかった。
帰ってきた暖かいはずの「家」には
誰もいなかった。
淋しかった。
此れと同じ孤独を
きみは留守番しながら感じてたのかと思うと
涙が溢れた。
冷え切った手足は
暖かい湯船に浸かっても冷えたままで
そう思うのは心が冷えているからで
どうしても壊れたままの心は
涙を流す事さえ疲れ果てたと訴えた。
「涙が枯れる」とはこう言う事なのかと思った。
死ぬとはこう言う事だ。
傍にいるなんて嘘だ。
想い出なんていらない。
それを留めた写真も。
ただ、手を伸ばした其処に
絶対的な体温さえあれば。
それだけで、笑う事が出来るのに。
私の目の届く範囲には
私の生きて行かなければならない世界には
もう、きみがいない。
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