フラペチーノをトールでキャラメル・マキアートをいただきました。他にモカと抹茶も味見させてもらいました。美味しかった!
先日NHKBSで手塚治虫と石ノ森章太郎の作品の初回・最終回スペシャルを放送していた。だからということでもないが、買い置きしていた手塚作品を読んでみた。手塚はあらゆるジャンルを描いている。特に歴史ものや宗教ものに惹かれるものがある。
今回は旧約聖書から「天地創造」である。自分からすると旧約聖書と新約聖書の違いとか、ユダヤ教とキリスト教の違いなど、出発点はいっしょでもどうして異なるものになってしまったのかよくわからないところがある。そういうところをコミックで見たら理解できるかもしれないと思っていた。しかし巻末の解説まで読んでも残念ながらそこまで理解を深めることはできなかった。続編の「十戒」「イエスの誕生」を読むうちに理解が深まることを期待したい。
手塚治虫の旧約聖書物語シリーズ「天地創造」に続く第2巻である。
学生時代に映画「十戒」が配信され、ミッション・スクールである隣の白菊学園の女生徒たちがたくさん見に行ったように記憶している。当時聖書の知識など全く持ち合わせておらず、「『十戒』って何だ?」と不思議に思ったものであった。「モーセという人が出てきて人々を引き連れて行き、海が割れてそこを渡るそうだ。」などと断片的に噂が飛び交った。今読んでみるとだいたい合っているようだ。
それにしても旧約聖書の「神」はイスラエルの民に対してイジワルだ。苦しい試練を与えたり、試してみたり、まるでイジメのようだ。何もそこまでしなくてもと思う。しかもあれほど尽くしたモーセに約束の地を踏ませない。
私はこの頑なな一神教の信者でなくて良かった。
旧約聖書に出てくる神さまはユダヤの民に対してとても厳しくて寛容性がないように思う。どうしてこんなにイスラエルの人々に辛くあたるのだろう。他の神さまを信仰する人々にも寛容でない。聖書を礎にしている宗教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教それぞれに言える。
八百万の神さまを持つ我々日本の神さまや、たくさんの仏さまが登場する仏教などから見ても、一神教である彼らの宗教はとても頑なに見える。
今回の第3部は「イエスの誕生」までを描いているが、旧約聖書はその手前までで終わっている。いずれにしても神さまは民に辛くあたっており、私からすれば到底理解できない。