アイ ナンカ イラナイ。
夏野 空の日記

2003年10月02日(木) 杏仁の泣いた夜

我が家には「杏仁」という名の子供が居る。
おそらく去年からウチに棲みついているそいつは殆ど口を開くことをしない。
寡黙であり、自己主張をしないそいつが。
時折話しかけてくる私に。
夜半。


杏仁は「竹」である。
特別に愛情を与えているわけでもないのに、すくすくと育っている。
真っ直ぐに。
まぁ、伸びているのはその殆どが葉の部分であるが。
まるで手を伸ばしているように。
天に向かって手を伸ばしているように。
飽き足らず真っ直ぐに伸ばしている彼は(あるいは彼女は)他の何物にも
捉われることなく、何にも侵されることなく、そしておそらく無垢であろう。

ある夜半、普段は当たり前のように視界に入っていた杏仁を、
意識もせずに存在させていた杏仁を、何故か見つめていた。
考えていた。
少し疲れていたのかもしれない。
少しくたびれていたのかもしれない。

幾晩前のことだったのだろうか。
数えることはできないけれど、その時確かに杏仁について考えた。
何について考えていた時だったのだろう。
思い出すことはできないのだけれど、その時確かに杏仁について考えた。

「コイツは水と空気と太陽があれば生きていけるのだなぁ」とか。
「何かを考えているのだとしたら何を考えているのだろう」とか。
「迷ったりすることなんてないのだろうか」とか。
人間の分からないどこかの次元で
実は何かを考えながら、色々悩みながら生きているのかもしれない。
けれど杏仁はそこから動くことができず。

ふと。
植物も自殺したがるのだろうか、と考えていた。

本能というものに忠実であるのなら。
そして他の何物にも捉われないのであれば、彼らは生きることしか知らずに
その生命の続く限り生き続けるのであろう。

ふと。
植物が自殺したがることがあったとしたら
どのような方法を取るのだろうか、と考えていた。

根を伸ばすことを止めるだろうか。
空気を取り入れることを止めるだろうか。
光合成を止めることはできるのだろうか。

生きることしか彼らには許されないのだろうか。

切り倒され殺されることはあっても。
他の植物の為に犠牲になることはあっても。
生きるという行為しか彼らには許されていないのだろうか。
考えることさえ許されていないのだろうか。


死ぬか生きるか選べる人間という生き物は恵まれているのかなぁ、と。
植物って何だか可哀相なのかもなぁ、などと思いながら、
杏仁の為に、手に持っていた煙草を揉み消した。





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