2025年05月08日(木) |
定期戦の思い出(1985年) |
まず、Uの方はバイクの審査が通って、稼働できるようになった。 クエは昼でクリア。で、夜はWやったら、名掛丁(実質ダブル)で原町→泉崎、それでも大体ともに550円www
河北の定期戦の思い出のLINE投稿を見てたら、こんな記事が。
年代だと、俺が高校2年の時のはずだが、そんな記憶はないぞ。 あ、もしかすると、この時は第一戦の日に午後から練習ぶち込まれたんで、着いたのが延長に突入したあとだったんで、俺が着く前の話かな。
以下引用。
1985年(昭和60年)、伝説は生まれた。 会場は、改修中の宮城球場の代わりに使用された評定河原球場。普段は静寂に包まれた河原も、この日はまるでお祭りのような熱気。観客席はぎっしり埋まり、應援団の声はまるで戦国時代の鬨(とき)の声。選手たちは気合十分…というよりも、その熱気で酸素が足りないレベルだった。 下馬評では、仙台一高が「勝って当然」と予想されていた。春の県大会予選で圧倒的な力を見せつけ、攻守のバランスが完璧な彼ら。特にエース佐藤文彦選手は「投げてよし、打ってよし、ユニフォーム姿も絵になる」と評判のスター選手。しかし、春の県大会予選で負ったケガが完治しないまま、この定期戦に強行出場することに。 そして迎えた試合、あまりにも予想外の展開に… 「あっ!!」 延長戦にもつれ込む白熱した接戦の中、佐藤選手が緊急登板。場内は静まり返り、全員が彼の一挙手一投足を注視していた。 そして運命の瞬間—— ノーワインドアップから、一塁へ牽制! ……のはずが、審判の手がゆっくりと上がる。 球場全体が一瞬、無音になる。誰もが「まさか…」と思った。いや、思いたくなかった。しかし、現実は無情だった。 「ボーク!!」 観客席がどよめき、二高応援団は歓喜の嵐。まるで映画のように、彼らの歓声が天を突く勢いだった。一高ベンチは言葉を失い、選手たちは呆然とし、佐藤選手は「ウソだろ…」と天を仰いだとか、仰がなかったとか。何より、心の中では「ボーク…?」と心の中で問い続けたことでしょう。 ここからがまたドラマチックな展開だ。予想外の判定に、一高ベンチはルールブックを持ち出しての抗議が長時間続く。審判と激論を交わし、まるで映画のワンシーンのように、全員が集中していた。しかし、判定は覆らず、試合は続行。 結局、試合は白熱した延長戦の末、仙台二高が劇的な勝利を収める。そしてこの「伝説のボーク」は、定期戦史上最も語り継がれる出来事となった。 でも、佐藤選手の物語はここでは終わらなかった。 この敗北を糧に、彼と仙台一高は奮起。ケガを乗り越え、その後の県大会で強豪・東北高校を破り、35年ぶりの優勝を果たす。まさに逆境からの大逆転だった。 そして、今なお語り継がれる伝説のボーク。 野球は何が起こるかわからない。でも、この試合が伝えたのは、それだけじゃない。 「ボークひとつで、歴史は変わる」のである。(宮城県仙台市青葉区・50代教職員男性)
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