恋愛至上主義
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2003年08月06日(水)

ママはいつも他人と比べる。そして結論は全て決まっている。
お前は何も頑張っていないと。
そう言われた訳じゃないけどニュアンス的にそういったことをいつも言う。
あたしは何をしても否定されるだけ。
何が悪いんだろう。
環境のいい所でで、しかも割りにあってて。
そこで長く続くあの子はすごい、えらいと。
そこで終わればいいのに最後はいつもあたしへの批判で終わる。
遠まわしに。
遠まわしにお前は何も頑張っていないと。
褒めてほしいとまでは思わないけど少しは認めてほしいと思った。
あたしはただ認めてほしかった。
あたしにも出来る事があると。
実際は何もないみたいだ。
少しはためになることをしようと思っても全て空回りなのか。
いつも否定ばかりだ。何をしても何をしても。
確かにあたしが悪いんだろうけど。
何が辛いかといったらやはり人がたくさんいるから。
人がたくさんいるところは怖い。
誰か一緒にいたらまだ自分を保てるから大丈夫だけれども。
たくさんいるところは自分の居場所がない。
いっぱいいるんだからいなくても良いんじゃないか、とか考えてしまう。
部室の閉じられた扉は入りづらかった。
居場所が無いんじゃないか、と。
用も無いのに携帯をいじった。
誰かと話がしたくて電話をかけた。
帰りの遅いあたしを訝しがってサキが部室から出てきた。
初めて電話を切る事ができた。
こんなとき、やっぱりいないほうがいいんじゃないかって思う。
何かもうやだよ。
何する気にもなれない。
無理。










「認められたい」は何かの病気の典型的な症状だったはず。
それも、「なんちゃって」に総称される人達が絶対になりたがらない、ような。
あたしの場合、病気とかじゃなくて、
単なる甘えだろうけど。

ぁ。今日昔住んでたトコロの近くに行ってみたよ。
京橋っていうトコロで、学校から二駅。
何度も行ってるんだけど、今日、ふと、小さい時、
あたしはココに住んでたんだ、って思い出した。
いゃ、忘れてたわけじゃなくて、急に意識した、みたいな。
ほのぼのレイクの看板?あれの近くだったんだよ。
そこにあたしは短い間住んでた。
まだ祖母はいるのだろうか。
もう顔すら思い出せない祖母。
見渡しても覚えのある場所なんかなくて。
やっぱり15年以上昔の話だから変わっているのは当たり前で。
レイクの看板さえどこにあるかわかんなくて。
ふと、Y元が、「俺の家からレイクの看板見える」って言ったから、
ふと、上を見上げたら、あった。
急に懐かしくなった。
あぁ、この辺だったんだ、って。
小さい頃のあたしは、きっと親が離婚するなんて考えてもみなかったはず。
なんだか泣きそうになった。
もしも、ソコに、見覚えのある昔住んでた家なんかを見つけてたら、
きっと、大泣きしてた。




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