あの日 - 2003年02月02日(日) 私は多分、あの人を傷つけるだろう あの人の幻想を、壊してしまうだろう 失うのが怖いからといって だからといって あたしがそれを演じたところで、一体なんになるだろう? そうして続いたところで、一体なんになるだろう? 恐らく演じきれはすまい あたしはそういうのにはもうずっと嫌気がさしていたし それが自分をひどく疲れさせることも知ってる あの人は そこに使うエネルギーは悪いものじゃないと言うけれど 確かにそれはそうだけれど それでもあたしが「苦しい」と感じるのならばそれは やはりどこか不自然でよくないエネルギーなんだと思う 「思いやる」とか「気をつかう」というのと、「無理をする」というのは やはり別のものだ。 恐らく演じきれはすまい 今でも演じられていないかもしれない それでも無意識に形を歪めている それに気づいたときのやりきれない悲しさとか 空しく響いて残る言葉とか 結局あたしはこの先、誰に対しても こんな風に超えられない壁を抱き続けて 内側で空回りし続ける熱をもてあましていくのだろうか? 「こうして欲しい」と請われることと 「こうした方がいいのだろうな」と思うこと それは確かにあたしを変えるきっかけであり 思いはしてもあきらめていた部分を刺激されることでもあり だからこそ内側での抵抗が苦しく思えて 時々、投げ出したくなる。「今のままじゃ、ダメなの?」 …ダメだと思うから、あたしには「自信」がないんだろうにね。 ちがう。あたしはただ、「あたし」を受け容れて欲しかっただけ あたしじゃダメなの?って、 結局自信がなくて弱気なあたしの結晶みたいな言葉だった。 「受け容れて」くれたらあたしは自分に自信がもてるの、だなんて 他力本願で、自分はなんにも変わろうとしていなくて 自分勝手でひどい発言だよね? そのうえ あたしは、答えられなかった。 あの人は、あたしを受け止めてくれている。 大事に思ってくれている。 あたしはそれをもっと感じなきゃならない。 あたしにはあたしの傷があるように あの人にはあの人の傷がある。 あたしはそれをもっともっと感じなきゃならない。 ...
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