晴れも褻も 〜ハレもケも、と読みます。私らしいかなと。

2003年03月31日(月) 宝物

ギャンブルの方は負けてしまったようです。とほほ。

引越しの荷物を整理していると、バイオリン関係のものが多いのに気付く。
思い起こせばかれこれ約18年(始めた年が不明)やってるから当然なのだが、
予想外に楽譜は多いし、バイオリン型のシールだのメモ帳だの
何よりいろんな人からもらったメッセージにたくさん書いてある。
高校を卒業する時の礼拝式文やオケの台紙、
誕生日祝いのカード等々、自分でびっくりする。
特にみんなの前で弾くようになってからがすごく多い。これも当然か。
それまでは本当に個人作業で、みんなの前と言ってもお教室だったからなぁ。
ただ、全体を通して本当にたくさん思い出があるもので。

先生、失敗しちゃいましたよ〜
そうね(失敗は失敗、シビアな人が多いです)、
今は練習が足りないから曲の方は仕方がないとしても、音はすごくよかった。
やっぱり細く長く続けてきた成果よね(←ほめているのか?)

小学校にあがる頃からご存知のこの先生は、
私が今まで体験してきた楽しいこと辛いこと悲しいことが
音になって、音そのものが熟成されてきたと仰ってくださった。
そういうものだろうか。
そういうものだとしたら、すごく素敵なことじゃないだろうか。
感情は音になるということは前から知っていた。
怒っていれば強くて雑な音がするし、やさしいときはことさらに丁寧だ。
上機嫌な時はボーイングすら楽しげになる。
でも、楽器とは違うところで私の中に起こった出来事が、音になるのだとしたら。

哀しいことも幸せなことも乗り越えたことも、
私が関わった全ての人、大切な人、いくつかのイベント、忘れたくないこと、
その中で感じたもの、感情、そういう超個人的な、社会的な全てのことが
私の宝物だと思っている。
そういうものの上に大切な人たちとの関係があると思っている。
その宝物が、音というかたちになって、とけこんで、存在するとすれば、
こんな素敵なことない。

おまえは〜〜(この総決算の時にこけおって〜〜〜)
今の先生はパンチを繰り出して(若いなぁ)笑ってらした。
この人が認めてくださる音になったのが何より嬉しい。
発表会ではこけたけどレッスンではちゃんと弾けてましたよね(強がり)

悲しいことから逃げ込んだり、逆にバイオリンから逃げたい時もあって、
オーケストラやバンドといった、人とのつながりの基礎になることもあって、
やめたいと思ったことも数知れなければ、やってて良かったと思ったことも数知れない。
結果論で行けば、やっぱりやっててよかったと思う。
最後こけても練習してないんだから仕方ない、言い訳だけどそれより今大事なことは、
人生を、思い出を彩る、今までの事を一つの結果として出せる、
そんなモノがあるというのが、いいじゃないですか、嬉しいじゃないですか。
お前は音大に行けばよかったのにって先生は仰るけれど、
そんなことしたら今はどうなっちゃっていたんだろ。ちょっと恐い。
とにもかくにも支えてくださった両親や先生や友達や環境に
感謝、感謝、感謝。
みんな、私の宝物。


***南の島の写真をアップしました。→こちら***
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