LORANの日記
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| 2005年04月22日(金) |
中国反日暴動と文化大革命 |
最近の中国大都市の反日暴動について気がついたことを書いてみます。
私たちは現在の状況にのみ関心があり、その歴史については殆ど無知です。 中国と言えば共産党の1党支配が続く封建的な国と思っている人も多いでしょう。 それは日本での報道や教育がアメリカ寄り(支配)になっているからです。
60年前の戦争で日本人の戦争犠牲者数は300万人と言われています。中国は戦場に なり無差別殺人が日本人兵士により行われたため、犠牲者数は1000万人と言われて います。 それでも敗戦後の東京裁判(極東国際軍事裁判)という戦争犯罪を裁く裁判で、日 本人の罪を許し賠償を求めないことを表明しました。これは中国人の大きな度量を 感じさせることでした。逆に日本人ならどうだったのでしょう。
1960年からの10年間、中国に文化大革命の嵐が荒れ狂いました。 経済政策の失敗で多く(数100万人)の餓死者を出して実権を失っていた毛沢東らが 紅衛兵を組織し、劉少奇や��小平といった実権派から権力奪取をしようと企てた暴 挙でした。
実権派の同調者とみなされると中傷キャンペーンが行われ自己批判を強制されました。 極端なマルクス主義の思想教育が行われ、儒教や仏教と言う以前からの文化や伝統的な芸術も批判の対象となりました。寺院仏閣は破壊され、多くの貴重な文化財が 失われました。抵抗した僧侶などはリンチまがいの殺戮が行われ中国全土で犠牲者数は数100万〜2000万人ともいわれています。 チベットの寺院は最も徹底的な破壊の対象となりました。ブラビ主演の「セブンイヤーズ・イン・チベット」というダライ・ラマのインド脱出の映画でも有名です。
これらのことは1868年に明治維新を起こした日本とよく似ています。 明治政府による天皇制導入のために神仏混淆を廃し、廃仏毀釈が行われました。 多くの寺院が壊され、貴重な仏像や仏画が破壊され海外へ持ち出されました。 明治政府を正当化するために天皇のみを信仰の対象とする神道が奨められました。旧勢力の象徴だった城郭はこのとき全国で破壊されてしまいました。ですから姫路城のような立派なお城は殆ど現存していないのです。 明治以前の教育も医療も西洋かぶれの若い明治維新の志士たちによって廃止されました。インド、チベット、中国と渡ってきた東洋医学は無残にも否定され、医療を 続けることはできなくなりました。医師を西洋医学のみと決めたのですから。
このように日本では明治維新という名の文化大革命が、なにも学問を知らない若い 志士(坂本竜馬のように32歳)たちによって起こされましたが、その後の対処がなされていません。明治以前の宗教、教育、医療などの名誉回復がなされていないのです。中国は4人組裁判として旧文化の名誉回復がなされたのと対照的です。日本は依然として明治政府によって作られた法制をそのまま墨守しているだけです。いつになったら以前の文化の名誉回復がなされるのでしょう?文化人の怠慢ですね。
このように中国が政治的に遅れているだけではなく、日本は文化的にはさらに遅れているのです。自らの不明や誤解を訂正し修正しなければ、到底文化国家などとは言えません。
国家が教育に口出ししてはいけないと福沢諭吉は私塾・慶応大学をつくりました。 オランダは教育に一切干渉しないで、自由教育を推進しています。ノーベル賞受賞 者数の人口比率では世界一です。日本人の人口にすれば180人にもなります。
単に感情的に中国反日暴動を捉えるのではなく、その底流にある文化の相違と日本 人の文化観について検証する必要があります。
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