SweetDiary

2003年05月24日(土) 一期一会

テレビをみていて、ある場面でこんな会話がでてきました。
記憶喪失だったAが自分の過去を思い出し、すんでいた場所に旅立つ場面です。BはAの同居人です。

B: Are you going out? Where are you going, huh?
A: I finally remember where it is that I belong.
B: You belong..
A: You have someone waiting for you too.
A: You are somewhere you belong.
A: You should go and find out where.
B: Fuu..
A: It's the best,belonging is the very best thing there is.

結局、Aのいったところはもうすでに荒地でそこにはだれもいませんでした。。

ここでbelongというのは帰るとこをさしていると思います。Aは帰るところをみつけた、でもそこにはもうなにもありませんでした。

こんなこと、現実世界でもよくありますよね。たとえば、昔、仲のよかった友達と久しぶりの再会をしたけれども、その人はもう自分の中で思い描いていた人ではなくなっていた、とか。

個人的な例をだせば、大学卒業した後、僕は大阪で働き出すのですが、あえて住むところを西宮のままにしました。それは、大学時代の楽しい思い出をどこかひきづっているところがあり、そこに住みつづければそのままの楽しさを味わえるのではないかという幻想からきたものです(もちろんそれだけが理由で住んだわけではないのですが...)。

でも、時はうつろいます。そこには僕の求めていた楽しさはなにもなく、結局、そこは引き払い、実家から通うことになります。

僕は自ら自分の環境をかえることができるひと、どんな環境にも適当できる人を尊敬します。なぜなら、それが僕にとってとても難しいことだからです。

大学に入学して西宮にすんでいた5年は僕はそこに適応していました。しかし、名古屋での1年半、そしてここでの2年半、それはとても適応しているとはいえません。

故郷や友をなつかしみ、どこか浮き足立った生活を送る毎日にずっと辟易しています。どこかなじめない、これは今の僕の大きな欠点なんだとおもってます。

一方、故郷の時の流れはほんとに緩やかです。今まで、いつ帰っても、みんなが笑って迎えてくれました。いつまでもつづいてほしいこの雰囲気。でも、どこかで、この雰囲気が限りあるものであることに気付いたとき、とても悲しい気持ちになります。

いつか両親はいなくなり、友は去るときがくる。だから今、このときを大切にいきなきゃいけない、そう思う今日この頃です。






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