いぬの日記

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2006年03月05日(日) 憎くて憎くて愛しい、俺のアマデウス!

研修終えてみると、背中〜肩〜首と背面一帯が凝りまくりです。
ついでに左股関節も痛い。じわじわと常に痛い。うう。
バランスボールにせっせと乗ったり、柔軟体操したりしています。


考えられる原因としては、まーストレスと、あとヒールで毎日雪道を歩いていたから足に負担が来てるとか、最近歯のトラブルがあったから噛み合わせとかの影響とか。
・・・・・・ずいぶん沢山あるなあ。






ランドリオールのドラマCDは、あまぞんで予約しました。
予約したら書き下ろしのおまけ漫画つき!わーい!
お店によってはでっかいポスターも付くらしいのですが、どこでもらえるか分からなかったし、大体ポスターもらっても嬉しいだけで貼れないしなあ。
(アニメイトだったら確実にもらえたらしいのですが、札幌のアニメイト中心街には恐くて立ち寄れない)
というわけで諦めてあまぞん。
配達してもらえるしね。
クレジットカードを作ってから、あまぞんの誘惑に耐えてきましたが、やっぱりこの上なく便利なシステムだ・・・。
本を物色するには向かないけど、本屋にないような本を確実に手間なく買うにはいいなあ。


というわけで、今度「ハロー理子」の1巻と3巻も買いたいな〜と思ってアマゾンに入ったら。
ロアルド・ダールの原書が山ほど「秋田いぬさんへのおすすめ商品」に上がっていてクラクラしました。
うう、何て無駄にサービスいいんだ。ちょっと涙が。買わないけどさ。
でもクェンティン・ブレイクの挿絵は最高に合っている。素敵。
・・・・・・・・・と思って画面を眺めていたら、いつのまにか「お化け桃の冒険」と「王女マメーリア」を買っていた。
うん、でも、「おばけ桃の冒険」は田村隆一・訳が絶版になる前に買っておきたかったから。いいんだ。
(あぶない!あぶない!)


ロアルド・ダールは幼い私の根幹に刻み込まれた作家さんなので、訳が変わるととても違和感があるのです。
新訳を冷静に評価するのはむずかしい。




先輩から「アマデウス」のDVDとコブクロのCDを焼いてもらいました。
アマデウスは、中学、大学と一度ずつ見ましたが、見るたびに少しずつ目線や感想が変わるので面白いです。
中学の時は、冒頭でモーツァルトがサリエリの曲をどんどん変奏していくのにワクワクして大興奮したし、作品の中でずっと流れている楽曲の迫力や美しさにうっとりしました。
大学の時は、サリエリの歪んだ愛憎が強烈で胸を打たれました。
昨日は、以前は何だかうざいな〜としか思わなかったコンスタンツェにも少しだけ感情移入できたし、サリエリの感情も、以前見たときよりももっと複雑に感じました。
彼の才能を誰よりも理解し、愛したのもサリエリなら、彼の人間性を誰よりも憎み嫌ったのもサリエリで、二つの感情は裏表で同じ方向を指し、愛情が増せばその裏で憎悪も増していった。
彼の音楽を愛する時は憎悪を忘れるほどの喜びを、彼の人格と存在を憎む時は、あれほど愛した才能をためらいなく潰せるほどの激しさを。
ストーカーとかって言葉を当てはめようとすると薄っぺらくなってしまうけど、きっと誰よりもモーツァルトのファンだった。
手書きの楽譜を見るときのサリエリの興奮は、立派なファン心理に見える。
最後に、彼の作曲を手伝うことができた時間は、サリエリの至福だったんだろうな〜あそこにいたのは単なるファンだ。
得てしてファンは、作者本人の幸福には大して興味がないのだよね・・・。
サリエリの不幸は、自分の才能を理解して生かせなかったことかもしれない。
「音楽を聴く才能」というのも立派な才能だし、プロデューサーや評論家として才能の発掘をすることもできたよね。
でも、それは本当にやりたいこととは違ったのかな〜。


しかし、アマデウス症候群といえばバナナフィッシュですね!
伊部さんとゴルツィネを同じくくりにするなんて失礼極まりないけど。
(伊部さんに対して。そういえば伊部さんは年上彼女と結婚したのか?)
バナナフィッシュのことを思い出したり考えるといつでもときめく。恋?




「医龍」のドラマキャスティングが決まりましたね。
私の期待は伊集院だけですよ。さぞかし可愛いだろう。楽しみ。
朝田が海猿の青々しい感じだったらやだなー。あれはあれで良かったけど・・・。
あと加藤先生が稲森いずみなのは・・・どっちかというとガリガリなくらいスレンダーな印象は良いのだけど、政治的手腕に優れているようには見えないのでは・・・どうなのかしら。
ヒステリックな女医さんにならないことを願います。


クロサギもドラマ化するらしい。
うーん、何かどんな感じになるか想像つくなあ。
漫画のドラマ化多いですね本当に。


「チームバチスタの栄光」は医龍を思い出すので気になっていたのですが、なんかかなり面白そう。
読んでみようかなあ。






高校野球には詳しくないし、新聞のニュースを2・3個見ただけの感想なのですが。
知識も、状況についても良く知らないので、とんだ的外れな感想かもしれないのですが。
だから、読んで不快になる人もいるかもしれない、と注意書きをしておきます。


甲子園辞退のニュースを読んで「都立水商」という小説のことを思い出したのは私だけではないはず。
高野連の体質も、高校の責任者の「責任」の取り方もムカムカする。
現役高校生の一年間は、たった一年間しかないのに、それをひっくるめて投げ捨てる「責任」を誰が取れるんだ。
校長先生と理事長が野球部員1・2年生全員の気持ちを理解して今後のことを考えて納得させられるだけのことができる、わけがない。
そんなに責任取りたければ当事者に相応の(飲酒・喫煙に対して高校が定めているだけの)処罰をして、それから自分で責任取ればいいんじゃないでしょうか。
部活動とメンツと「高校野球の爽やかで純朴で一生懸命な清清しいイメージ」と団体責任をごちゃ混ぜにするのって変じゃないですか。
学校としても指導不足を深く反省しているし、直接彼らには責任がない生徒たちはショックを受けている、学校としてもそれなりの教育的指導と処罰はきちんと受けるし、生徒にも徹底する、今後このようなことが二度とないように重々気をつける、だから、罰を受ける筋合いではない者たちは甲子園には参加させてあげてください、と学校の責任者が頭を下げる、という風にはならないのでしょうか。
何としても参加させてあげたい、と思うのが親心で人情じゃないの?何で同じ部活に参加していたというだけで、直接関係のない人たちが「責任」取って希望を投げ捨てないといけないんだろう。
そして、どうしてそれを、彼らの高校生活には大して関わってこない校長先生や理事長が決めるんだろう。
二回目の不祥事だから仕方ない、という見方もあるようですが、一回一回の不祥事の原因と責任は別物ですよね。
もしかしたら学校側の指導の甘さや緩みがその裏にあるのかもしれないけど、ここまで厳重な処罰になったのが「高校野球で甲子園だから」だったら、おかしくない?
甲子園が何だ。
単なる部活動で、学生時代の大きなイベントで、大事な思い出になるはずの大会でしょう。
そこに学校のメンツが絡んでくるってのは、スポーツに疎い私には、良く分からない。
先輩が喫煙で停学になったからって、囲碁部が大会出場を辞退するか?
うーん、まあ指導が厳しい学校だったら、あるかな・・・あるかもなあ。
私の方が、これが「高校野球」だからって、過剰反応してしまっているのかなあ・・・。
でも、それで数十人の他の学年の部員までが犠牲になるのって、やっぱり厳しすぎない?
高野連から「出場停止」の処罰があったというならまだしも、「辞退」というのが納得いかないのかなー。
処罰をするな、なんて思わないけど、「責任を取って辞退」というのが意味が分からない。


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