ぼうぜんと激流の傍に佇むがごとき気分。なんか書きたいキモチなくはないけど、時間がない(作れない、優先順位をあげられない)。自閉/自給自足気味なのかな。言葉の使いかたが違うのは承知だけど、的確なひとことが思いつかないヤキが回ってんのかしら。
風邪はだいぶよくなりましたが、セキ・タン・クシャミ残存。小学生のように一夜明けてすっきり、というわけにいかないものだ。薄紙をはがすように、という表現を実感。ほんのすこしずつ、よくなってはいるのだろうが停滞する肉体とこころ。
--- 熱帯夜に、亡くなった人のことを思ってまた涙。「暗いところにいて声は聞こえるが何も見えない」と巫女さんが言ったそうだ。彼方からのその声を100パーセント信じてはいないのだが、死後の安寧ということを漠然と思っていたところであるので、ではその「暗闇」を取り除くにはどうしたら良いのであろう。と考える。思いが彼岸へ通じるのか、生者の自己満足に過ぎないものか。
『オーシャンメン』という映画に「我らの友ジャック・マイヨールの思い出に」とかテロップが。深海へ潜ることの生と死。切なさが胸を突き刺す。
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