ちちやす日記   こんげつぶんきのうあしたかこぶん


2003年12月01日(月) 肩こりに何が効いたものか
 整骨院。いつもより多少(ほんのちょっとだけ)肩こりがましな気がしてそう言ったら、先生も「そのようですね」とのお答え。前夜の長風呂がよかったのか、疲れること極力避けた結果であろうか。

 旧PCの私的なデータを全部削除。フォーマットしてOSからインストールし直すのがいいのだろうけど、再アップデートなどの手間を省くために現存の環境を生かすことにした。知り合いの家にもらわれてゆく予定。
 新しいほうのノートPCで、初めてCD−Rを焼いてみる。思ったよりも簡単でやや拍子抜け。いくつかの行事や旅行の写真を焼いて、あちこちに配らねばならない。

 短編集『鉄道員(ぽっぽや)』読了。読みやすくて、すいすい読めてしまった。個人的に良かったのは「うらぼんえ」。死者と奇跡にまつわる優しい物語に、だが泣けはしなかった。

 離人感といおうか、自分の感情が他人のもののように遠く、感動がどこか薄っぺらくなっている気がする。たまたま本が好みに合わなかったというだけなら良いのだが、感性が鈍っているように思えてならない。薬の作用あるいは副作用、そうでなければ病気そのもののせいで、楽しむ(ものを感ずる)こころが弱まっている。というのは考えすぎか。それさえも危機感が薄く、ぼんやりと「困ったなあ」、「それでもまあいいけど」などと思うだけ。喜怒哀楽の振幅が狭まっている模様。

 最近の日記、このようなことばっか書いていて辛気臭いと我ながら思う。いろいろ考えてしまう理由はちょい凹み状態であったのと、そこから脱しつつあるせい。また、ウツが小康状態になって(と自分では感じていて)、前のように突っ走れない我が身を歯がゆく思っているからだろう。
 発症(と認識する)前、投薬を開始する前は悲しみ苦しみも大きかったが、正の感情も大きかった気がする。脳の回路と微量元素の多寡が問題なのか、現在の状態で「正常」であるのか、わからないことだらけ。要は「どの段階でバランスを取るか」なのだろう。ともかく、今の状態を良しとしない気分だけが、漠然とある。

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 ウツの先輩が似たようなこと言っていたなあ、と今にして思う。自分が体験して・その状態になってみて初めて他人の気持ちが理解(または想像)できる。

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 アロカシアの新しい葉、表面のつやが美しい。既存の葉は、葉水として水道水を吹きかけていたらカルキか何かが析出したらしく、白い粉を吹いたようになってしまった。かなり気になるがこすっても落ちない(こすりすぎたら葉を傷めるし)。
 クワズイモは大きい葉が一枚、黄変してしまったので切り落とす。ほかの葉は元気だから大丈夫だと思うのだが。

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 ただきちさんが仕事で不在。いつ帰ってくるかわからないなどと言う。さみしいのでビーズクッションなど抱いて寝る。


かこぶんきのうあした
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