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■ 星はまたたく
先生の部屋で音楽再生機をセッティングして、「試しに何か流してみて」 と渡されたCDの束の中から、敢えて、ブラームスのシンフォニーを選んだ。 重層的な音の波や渦を聴きたかったのではない。敢えて、それを選んだのだ。
なのにそのCDが終わったら、先生はすくっと立ち上がって、ルビン・シュタイン のピアノを流し始めた。強いタッチのショパン。どれもこれも好きな曲。 私は最初、そのCDを、束の中に見なかったふりをした。避けるように。 だけど、音として再生してしまったからには、あがなうことは不可能だった。 眼を閉じても、仕事に没頭したフリをしても、音は私の中に染み込んできた。
部屋に戻ってから、ホコリのかぶったMDを流した。 パンドラの箱。竜宮城からのおみやげ。そして、私は浦島太郎になった。敢えて。
雑音がたくさん入ったピアノの音は、でも、すぐに私の部屋に馴染んだ。 ぜんぜんみじめなんかじゃなかった。むしろ、部屋の空気はやわらかなとろみ を増し、私はヴォリユームを上げた。雑音は大きくなったけれど、そのぶん、 ピアノの音が、とても、とてもリアルに感じられた。私の閉じられた過去。
先生は「言語という音楽記号の中からエモーショナルなものを引き出す効果」 として、ある種の音楽について語ってくれた。原稿を読みながら、然り、と 思った。それは実体験を共にした私だから、すぐさま「然り」と共感できた のかもしれない。私にとって、このピアノがそうだったから。
自暴自棄でも、感傷趣味があるわけでもない。きっと誰にだってあること。 ルビン・シュタインのピアノが流れる部屋で、学生のレポートをチェックして いて、はっとさせられた。記憶は、トラウマ記憶として封じ込めておいても どこかでその「よみがえり」を夢見るものである。そういった意味のことが 書かれていた。蘇りを求めているのなら、それをそうさせてあげよう。 はっきりと、そう思った。
誰の中にも、思い出したくない、あるいはもう思い出せない記憶がある。 でもそれが何かの拍子に、不意に、ひょこっと、やって来たのならば、 私はそれを引き上げて、汲み取ってあげようと思おう。 過去の記憶は必ず、未来に向かっているものなのだから。
2003年01月15日(水)
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