月のシズク
mamico



 星はまたたく

先生の部屋で音楽再生機をセッティングして、「試しに何か流してみて」
と渡されたCDの束の中から、敢えて、ブラームスのシンフォニーを選んだ。
重層的な音の波や渦を聴きたかったのではない。敢えて、それを選んだのだ。

なのにそのCDが終わったら、先生はすくっと立ち上がって、ルビン・シュタイン
のピアノを流し始めた。強いタッチのショパン。どれもこれも好きな曲。
私は最初、そのCDを、束の中に見なかったふりをした。避けるように。
だけど、音として再生してしまったからには、あがなうことは不可能だった。
眼を閉じても、仕事に没頭したフリをしても、音は私の中に染み込んできた。

部屋に戻ってから、ホコリのかぶったMDを流した。
パンドラの箱。竜宮城からのおみやげ。そして、私は浦島太郎になった。敢えて。

雑音がたくさん入ったピアノの音は、でも、すぐに私の部屋に馴染んだ。
ぜんぜんみじめなんかじゃなかった。むしろ、部屋の空気はやわらかなとろみ
を増し、私はヴォリユームを上げた。雑音は大きくなったけれど、そのぶん、
ピアノの音が、とても、とてもリアルに感じられた。私の閉じられた過去。

先生は「言語という音楽記号の中からエモーショナルなものを引き出す効果」
として、ある種の音楽について語ってくれた。原稿を読みながら、然り、と
思った。それは実体験を共にした私だから、すぐさま「然り」と共感できた
のかもしれない。私にとって、このピアノがそうだったから。

自暴自棄でも、感傷趣味があるわけでもない。きっと誰にだってあること。
ルビン・シュタインのピアノが流れる部屋で、学生のレポートをチェックして
いて、はっとさせられた。記憶は、トラウマ記憶として封じ込めておいても
どこかでその「よみがえり」を夢見るものである。そういった意味のことが
書かれていた。蘇りを求めているのなら、それをそうさせてあげよう。
はっきりと、そう思った。

誰の中にも、思い出したくない、あるいはもう思い出せない記憶がある。
でもそれが何かの拍子に、不意に、ひょこっと、やって来たのならば、
私はそれを引き上げて、汲み取ってあげようと思おう。
過去の記憶は必ず、未来に向かっているものなのだから。


2003年01月15日(水)
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