| 2002年06月18日(火) |
平面しかないなんて、ウソ臭く感じる |
人は不条理な現実に耐えるために狂うのだ、狂気が不条理なのではなく、現実が不条理だから人は狂うのだ。「生きるために少しだけ狂うのだ」
今日はサッカーがあったせいか、仕事が暇で昨日買った田口ランディの「アンテナ」を読みきった。 最初の書き出しは、この小説の初めに出てきた文章。 「狂う」ことがない人っているんでしょうか? 押さえきれない衝動を、いつでも冷静なものに変えてしまえるものなんでしょうか?
変わらない顔つきに、心の中に渦巻く狂いなんて 簡単には気づけないもので 内側にある内に何が起きても、本人は見せない、あるいは見せない姿勢をとる。それは非常に不安定なバランスで。 それに対面する、本人も、見まいとする、そんなことは見えないものだと思い込むように。 だけど「狂い」はあって、あって当たり前なもの。 正確に時間を刻む時計も、狂ってしまうことがある。
「狂う」ことがおかしいなら、「狂わない」ことはもっとおかしいことだと思う。
「おかしい」「変だ」「狂気じみてる」「間違いだ」 だったらそれは「あなたの考えの範疇で思うことで、正しいことだとは言い切れませんね」といわれたら、私はこう思うだろう(注:言おうではなく思う)
なんだか性格悪いのを暴露日記。
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