本当は婦人公論という題名にしようかと思っていたけれど、こっちのほうがしっくりきそうだ。
今発売中のその雑誌、特集に惹かれて買ってしまった。 個人的にこういう特集は大好きなのだが、もう少し色々な人の話を例にとって、深く掘り下げて欲しかった。全然物足りない。小さい頃読んだ婦人公論はもっと読み応えがあった気がするのだけれど。それは私が成長したのか、婦人公論が薄くてあっさり味になったのか、私は後者だと思う。
案外みんな苦しんでいるんだなと最初に思った。 私と家族、特に母親との関係に少々問題がありそうだ、と思い始めたのは思春期からだ。確かに小さい頃は可愛がられたのかもしれないけれど、面と向かって誉められた事はほとんど記憶になく、覚えているのは叱られ、嫌みを言われたり、否定される事。それに加えて、母親が更年期になるのと私が思春期に差し掛かるのと、ほぼ同時だった事もあって、毎日口論ばかりしていた時期もあった。掴み合いになった事も何回もあった。
私は可愛がられたかったし、いじめられて家に帰ってきても発破をかけるんじゃなくて、暖かくしてもらいたかった。誉めて欲しかったし、それでいいんだよって言ってもらいたかった。話を無理矢理聞こうとするんじゃなくて、話し掛けるのを待っていて欲しかった。取るに足らない事でも一緒に喜んだり悲しんだりして欲しかった。先生に疑われたときも、私の話をきちんと聞いて欲しかった。
大きくなった私に残ったのは自信の無さ、だと思っている。 そういう風に接してもらえなかった私は、どういうわけか人との接し方がわからない大人になってしまった。暖かくしてもらった事がないから、人に暖かく接する事ができない。
でも、母親の事は憎くてしょうがないわけでもないし、きっと外から見たら仲のよさそうな親子に見えると思う。実際仲が悪いわけではないと思っているのだけれど。それでも腹の中には母親に対してまだ何かがくすぶっている。この日記も泣きながら書くぐらいだから。
大人になってもまだそんな思春期みたいな話をしているの?なんて思うときもあるけれど、それが私の今の問題点にすべてつながっているので、母親との問題を、乗り越えるなりかわすなりしないと、私はいつまでたっても本当に人を好きになったりできない。
|