この避難所を作る前に書いていた場所が最近にわかに復活したので、そちらに書いた日記を避難所にも残しておく事にした。 以下、everydiaryからのコピー。
ちょうど今年は祖母の23回忌、祖父の7回忌がある年だということで、祖父の命日が近い3月の終わりに法事をすることになった。
弟や姉家族は前日から来て、(甥もいたせいもあったのか)賑やかになった。昔は姉も弟もうちにいて、祖母が生きていた頃は家族が7人だったときもあったんだなあ、賑やかなのが当たり前だったんだなあと思う。
父親の弟(故人)の奥さん=叔母さんを駅まで迎えに行き、車の中で他愛もない話で盛り上がる。 叔母さんの息子である従弟は、家に両手で数え切れないほどのガールフレンドを連れてくるのはいいけれどいつも振られるらしい、とか、その従弟がこないだ眉を剃り、もともと濃い顔立ちでがっしりした従弟がやくざ並みに怖く見えたとか、そんな話をした。 叔母さんは話の端々で亡くなった叔父の事を「本当にいい男だったのよー」なんて言うので私は泣きたくなった。(父はさえない容貌なのだが)父の弟なのに叔父は背が高くてハンサムだったし、小さい頃うちに遊びにきた叔父は幼い私から見てもやんちゃで、大人しい父とは正反対だった。 叔母さんは叔父を亡くしてからあまり外を出歩く事がないのか、「かっぺだからさー、どうやって電車を乗り継いでいくかわからなくてさあ」なんて言っていたけれど、本当の田舎者である私からすると、23区内は都会だと思うよ…。
叔母を迎えた車で母方の祖父を迎えに行き、そのままお寺へ直行。 そこで墓掃除をしていない事に気づき、叔母まで巻き込んで掃除。 そうこうしているうちに親戚が揃ったので、法要が始まった。
寺の住職はひとことで言うと「清濁併せ呑む」人で、土建屋が切った庭の木が枯れそうだ…という話からありがたーい説法まで、説得力で聞いているうちらを圧倒した。凄い、でも住職はこんな感じの人が多いのかも。 遺影の、少し若い祖父や祖母の写真を見ていたら、 祖母 嫌だった保育園に強引に手を引っ張って連れていってくれた事 祖母が一時退院をしているときにカレーを食べた事 人工呼吸器をしている場面 (通夜のとき?)北枕で寝ていて、包丁が布団の上にあった事 祖父 祖父母参観に来て前の扉を開けて堂々と入ってきた事 そのときにつくったモビールがずっと後まで飾ってあった事 部屋でいつもテレビを見ていた事 そんな事を思い出しては涙ぐんでしまった。
法要が終わり、近くのホテルで精進落しをする。 思い出話に花が咲いた。 ついでに小さい頃私がした粗相も親戚が思い出してくれた。 また蒸返してくれてありがとね。私も忘れないよ。
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