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『全宇宙を司る神に対する宗教感情に似たものと言えるかもしれない。この世界で外観も性質も全然異なったものが、実はその「背後」では同じ組織、同じ物理的法則に支配されているのだということを考えるとき、人間が感じるあの気持ちも宗教感情に一脈通じるものがある。それは自然の数学的美というもの、言いかえれば内側で自然がどのように働いているかを味わうことであり、僕らが目のあたりにしている自然現象というものは、実は原子同士の複雑な内的活動の結果なのだということを悟ることでもある。そしてそれがどんなに劇的で、どんなにすばらしいかを感じとることだ。それはほとんど畏敬――言ってみれば秘められた自然法則に対する畏敬――に近い感情なのだ。』(リチャード・P・ファインマン)
あるとき。 私は、世界を知りたいと思った。 私は、人間を知りたいと思った。 私は、自然科学を学んだ。 私は、文学に惹かれた。哲学に惹かれた。世界を、人間を、そしてその関係性の中に存在する(と思い込むことで存在している)自分を知るために、惹かれた。 そしてまた、自然科学を今も学んでいる。 理系・文系などという区別は意味のないものだ。本当に世界を、人間を、そして自分を知りたいなら、どちらも必要なのだ。もはや境界領域が曖昧になっている。 長い間、世界を、人間を、そして自己を知るのは、「文系」と呼ばれる分野の役目とされてきた。だが今では、「理系」と呼ばれる分野を無視して全てを解明するのは不可能だろうと思う。 心理学などの人文科学の領域であった「心」の研究が、脳科学の発展により、自然科学の領域でもあるようになっている。人間の感情の変化や、身体の仕組み、生命の躍動などを、分子生物学の立場からアプローチしてもいる。ダーウィンから連なる進化論は遺伝学を導入した。 人間はDNAのプログラムに過ぎないのではないか。感情は脳の電気信号の変化にすぎないのではないか。だがたとえそうだとしても、少なくとも私が生きている時代にそれが完全に解明されることはないだろう。永遠にないかもしれない。いまの時代に生きる私は、文学を使い、哲学を借り、そして自然科学を学びながら(またできることなら自ら創りながら)、世界と人間の謎にアプローチしていくだろう。つまり、自然科学の発展によってもたらされた人間観・自然観の変化の現状を把握しながら、従来の倫理観や社会規範、人文科学との「ずれ」の整合を計る、ということだ。それが、今のところの私の思考法だ。もっとも、実際には「ずれ」などほとんど感じてはいないのだが。かつて人文科学の領域であったところに自然科学が乗り込んで来たのは、当然のことだと思うからだ。何百年、何千年かけても、人文科学だけでは人間も世界も解明できてこなかったのだから、次は自然科学の力も利用する、人文科学と自然科学の融合を計る、というのは、当たり前の選択だと思うからだ。そう、未知のものを知らずにはいられない人間という種にとって、それこそがまさに自然なことだ…。なのに、「ずれ」をわずかばかりにせよ感じるとすれば、それは、そのように私が教育されてきたからだろう。私に教育を施した世代、つまり私の一つ前の世代は、人文科学と自然科学を独立のものとする価値観を共有しているから人たちが今よりも多かっただろう。その人たちによる「教育」という名の後天的プログラムが私の脳に書き込まれており、それが今の私の一部を形成しているから、「ずれ」を感じるのだろう。おそらく…そう思う。人間の思考など、結局はその程度のものでしかないのかもしれない……(だからどうしたというのだ) 私は、ふと、たまに、願う(誰に?)。 この世を完全に語りえる「真理」と呼べるものがあれば、と。あるわけがないだろうか。しかし、それを確立しようとしている(していた)人たちがいる。アプローチの違いはあれ、私は、そのような人たちに敬意の念を表す。そして、いつか私も……。
『私は科学を仕事にしているので科学信奉者なんですけれど、結局科学以外に人間のまわりでおこっていることを理解していく有効な方法があるかということを問いたいわけです。哲学を使っても、文学を使っても、人間のまわりでおこっていることを解明して結論を出したときに、そこにはかならず主観が入るわけだから、大部分の人が同意できるような結論じゃないと思うんですよね。ただの意見ではなく、確かめることができて普遍性がある、人を納得させられるような方法で対象を理解するというときに、科学以外に有効な方法はないと思うんですよ。やはり、科学がこれだけ発展してきた一つの大きな理由は、多くの人を説得する力があるからだと思います』(利根川進)
『自然の書物は数学の言語によって書かれている』(ガリレオ・ガリレイ)
『純粋さとは、汚れをじっと見つめうる力である』(シモーヌ・ヴェイユ)
『世界と君との戦いでは世界に味方せよ』(フランツ・カフカ)
『「解決なんて無いんだ。この地獄は永遠なんだ」「おかえりなさい」』(引用元不明)
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