DiaryINDEX|past|will
2002年06月01日(土) |
ある自由な日々に生きる |
『人間は自由であるように呪われている』(サルトル)
周りには自由が果てしなく広がっている。 今、たとえ不自由だと感じていても、それは不自由な自分に、すなわち変わる必要のない安定した自分に心のどこかで「安心」しているだけである場合がわりと多い。 どこにでも行けるということは、どこにも行けないということと同義だ。 何も求めるものがなければ、ただ流されていくだけだ。 自分で何かをしようとしなければ、誰も何も与えてくれない。 もちろん自分で何かを勝ち取ることもできない。 その先に待っているものは、平凡な死、名前のない死だ。 別に名前なんてなくってもいいといえば、そうかもしれない。 でも、たぶん、それは悲しいことだと思う。 名前なんてただの記号にすぎないけれど、記号さえも与えられない人間は寂しくはないだろうか。
『「ねえ、私が死んで百年もたてば、誰も私の存在なんか覚えていないわね」 「だろうね」と僕は言った』(村上春樹『風の歌を聴け』)
|