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見えない力と見える力。 どちらも本当は同じ力 わからないことを人は神秘という。 でも今までにいくつもの神秘が崩壊してきた。 不思議なことなどどこにもないのだ、と、 いつか皆が口にする日が来るだろうか。 不思議なことは、解くためにあるのだから、 いつかそのような日が来るだろう。 人間が、不思議を見つけられなくなるその日が。 僕が生きている間には来ないだろうけれど。 それは幸せなのか不幸なのか。 どうせなら、自分が人類最後の不思議を奪ってしまう者になりたい気もする。
『君は、科学がただの記号だって言ったけど、そのとおりなんだ。記号を覚え、数式を組み立てることによって、僕らは大好きだった不思議を排除する。何故だろう? そうしないと、新しい不思議が見つからないからさ。探し回って、たまに少し素敵な不思議を見つけては、また、そいつらを一つずつ消していくんだ。もっともっとすごい不思議に出会えると信じてね……』 (森博嗣『幻惑の死と使途』)
別にこれは、科学だけではない。 精神現象と今は言われているものだってそうだ。 結局、人間を含む生物というものは無生物からできたものであって、 無生物には神秘的なものを認めないのなら、生物にだってそんなものはない。 無生物と生物の間には大きなブレイクスルーはあるだろうが、 結局のところは生物もある誤差の範囲内での多様性を示す複雑な機械でしかない。 でもそれで僕らは十分に色々なことができる。 たとえば「文化」を築くことができてきたし、これからも築いていく。 価値観は、変わっていくけれど。むしろ変わらないほうが不自然だ。 だけどこの世の中には、不自然を望もうとする人々も多い。 自分の「自然」を押し付けるな、と言いたい。 ここ(ウェブ日記)で言っても便所の落書きと変わらないが。
ちなみに僕は今の時代、つまり神秘の存在する時代に生まれ、そこで生まれ育った人間なので、やはり神秘を感じる瞬間があります。「神秘」という概念が脳のどこかにインプットされています。それはたとえ自分が否定しても消えることはないでしょう。ただ、別に、後の世代が神秘を感じなくなっても不思議ではないし、何も嘆くようなことでもない、と思います。今のところね。
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