DiaryINDEX|past|will
| 2002年11月07日(木) |
空疎な言葉と事実としての行動 |
自分は安全なところにいて、自分が困らない範囲でのみ他人の(あるいは何らかの出来事の)心配をして、結局は何もしていないのに、それで何かをした気になっている人間が嫌いだ。 安全なところにいるのも心配することもそれ自体は全く良いと思うのだが、何かをした気になっているところが(個人的に)問題だと思う(安全で困らない場所からでも何かをできる場合はまだしも)。 行動しないと「本当」ではない、と思う。例外はあるだろうけれど、たいていの場合は。 だから、行動を、しようと思う。もし、自分がそうしたいと思うことなら、思うだけでなく、実際的行動を起こすのだ。
このことは、自分の夢を追いかける場合にも、いえる。 夢をただ夢として「いいなあ」などと見ているだけでは、それはただの空想だ(空想自体は別に悪いことではないと思うけど)。 夢は、叶えるものだ。あるいは叶えるために努力するものだ。実際的努力を、行動を。
何よりも、そういうふうに生きてる今のほうが自分自身が楽しいから。
|