するめ烏賊の空
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今日体育の時間にバレーボールをした。私のとってる此のクラスには1人、足の悪い障害者の女の子がいる。其の子もバレーの試合に参加した。 もちろんその子はボールが来てもうまい事拾えなかったし、完全にお荷物だった。でも、クラスの子達(男女混合)は決して其のことを責めたりしなかった。サーブだって、順番が来たら同じようにやってた。其の子はやっぱり上手く出来なかったけど、1人の男が“もう一回だよ”と言い、ボールが相手側のコートに入るまでやらせてあげていた。
アメリカではこれが普通。障害者だって同じ生徒。障害の部分はサポートするけど、普通の子と一緒。身体が健常者の上半身ぐらいの大きさの車椅子の子達だって、同じクラスで数学の問題解いてる。
はじめて見た時は衝撃だった。だって、日本では見たこと無かったから。 日本の高校生だった頃、駅のホームで“障害者のお客様が乗り込まれますので、御了承下さい。”という感じのアナウンスを聞いたことがある。それは駅員さんの福祉ゴコロだったと思われるが、今にして思うとそれは其の人にとってものすごく重荷になったのではないだろうか。周りの人からの好奇心や哀れみの一見無関心を装った視線は如何だったのか。たとえば私が周りの人達からの視線をいきなり浴びせられたとする。私はきっと羞恥の心で潰される。 そんなアナウンスが必要なのは、駅員さんの助けが必要だったから。もし、電車とホームの隙間と段差が無かったとしたら其の人に駅員さんの助けは必要無かった。そう考えると、いかに日本が障害者の人が生き難いのか思う。段差は至るところに在るし、何よりも障害者の人に対しての接し方があまりにも特別視し過ぎだ。
“アメリカは福祉の国”というのを何処かで聞いたことがあったけど、ホントだね。建物や歩道には段差が無く、階段の横には必ずスロープがあり、無い所はエレベーターがある。車椅子の人が扉の近くにいると、誰かがスッと行って扉を開ける。ほんと普通に。
其の女の子は、サーブを6・7回やってやっと相手側に届いた。すると其の子のチームも相手のチームからも“GOOD JOB”って声かけられてた。嗚呼、こういうので良いんだって思った。
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