ふうこの英国留学日記-その後

2002年05月08日(水) どんぐりのせいくらべ

昨日、友達と大学の名前について話していて、自分も大学名で結構人を判断してるんだなと思ってなんだか落ち込んでしまった。

日本でも、イギリスでも、有名大学というのはあって、日本の場合偏差値でだいたいどこがすごいか?ということになっている。イギリスは、大学にいく人が20%−30%くらいのせいか、大学にいくというだけで、インテリ層といった感じなのだが、そしてその中でも、どこの大学だと響きがいいか?みたいなのがあるみたい。

私は、今いる大学も、今度勉強するであろう大学も、コースの内容とイングランド南部で、あまり寒くないところ、ロンドンまで電車でいける範囲といった条件で決めてしまったので、イギリスでもどこどこ大学はすごいんだよ。とか言われると、あんまりぴんと来なかった。

でも、そのすごいと言われる大学に、知り合いが何人も受かったと聞くと、東大に受かった人を見るのと一緒で、すごいね、すごいね。と騒いでしまった、やっぱりどこでもいい大学に入るのは基準が高く、その基準を満たすべくその人たちは、ちゃんと勉強したんだな、と感心してしまう。私にとっては、自分は入れそうもないので、単純に、なんとかは勉強ができるんだなー、すごい!!と思ってしまうのだが、それが人には、大学名で人を判断してると見えるらしい、そして、そう言われて、初めてそんな自分を意識して嫌になってしまった。


まあ、イギリスの大学の場合、推薦状が効果大らしいので、まあ、厳密にはそうでないケースも多々あるのかもしれませんが。

実際に働き始めたら、人間の能力と大学名なんて関係ないのに、就職活動を前にした学生たちにはどうしても無視できない問題でもあるようです。結構、先進国ってどこも学歴社会なんだなあ、なんて思ったり。

私の場合、有名大学に受験して入った人を見ると。。。ああ、きちんと勉強した経験にある人と思ってしまう。そういう人は、10代のころに一時でも勉強に集中した時期がたいていあるので、勉強するというスタイルが身に着いているように思う。

しかし、私の知る限り、一番賢い人というのは学歴を必要としないのので、そういうことの一切から自由なんだなと思う。私が、自分が大学や大学院で勉強して良かったと思うのは、私はそんなに頭がよくないので、大学や大学院を出ておいたほうが、人に教わって系統だって勉強できるし、有名じゃなくても、大学や大学院出の肩書きは私を楽にしてくれてるってわかっているから。

どんなにキレイごとを言ってみても、世の中は弱肉強食で、競争は厳然としてあり、みんなその中で、自分を有利な立場に置こうとあがいている。
そして、ための武器として、英語力と修士という肩書きをとろうと私の今いる大学では、多くの日本人ががんばって勉強している。私は、自分もその一員のくせに、そういう日本人たちの、野心をバリバリ感じると、すごーく自分とはかけ離れた世界のことのような気がして、接点がないと感じる。それは、そういうエリート志向の彼らとちがって、私が昔からおちこぼれだったせいかもしれないし、私の価値基準が彼らとはずれているせいかもしれない。

とりあえず、もっとおおらかな人間になりたいなあ。




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