ふうこの英国留学日記-その後

2004年01月19日(月) 活字中毒者の涙

先日の日記で書いたように、松尾スズキのように私も待ち合わせで人を待っているとき読むものがなくて、財布の中のレシートや領収書、カード類を読んで時間をつぶしたことがある。
レンタルビデオの会員証の裏にある注意書きがあるとほっとしたり、クレジットカード会社の住所を読んで、これは最寄り駅はどこだとか。。。歯医者の診察券を取り出しては、水曜日の午後の休診のときには先生は何をしてるんだろうと思ったり。。。
しかし、レシートを読むのは手帳を読むこと以上に苦痛である。。。ああ、これクレジットカードで買ったらから来月支払いだな。。とか、安い食べ物のレシートなんてどうあがいても読むところもなく、こんなにしょっちゅう自分は買い食いしてるのかと反省したり。。。

私の財布の中にレシートなんて、バラエティーに乏しく、勤め先と自宅の最寄のコンビニか、駅前の八百屋か魚屋、無印、そして本屋がほとんど、それに月に数回洋服屋や文房具屋のレシートが混じる程度である。。。たまーにあるちょっとこじゃれた店のレシートは大体、周囲の人へのプレゼントだし。

まあ、とにかく財布の中のものを読んで暇をつぶすというのはなかなか想像力と前向きな気持ちが必要な行為でできればしたくないので、私はいつも手元に何か読むものを欠かさずにいるよう気をつけるようになったのだ。

私が日本にいない間に、柴咲コウがすごく売れていた。
今日、家に帰ってふとTVをつけたら彼女が歌っていて、不覚にも秋元康のリリックに動かされてしまった。

「サヨナラ サヨナラ あなたに会いたい
 サヨナラ サヨナラ どこかでもう一度 偶然のように」

私にもサヨナラしてしまったけれど今でもとても会いたい人がいる
ちゃんといい感じでお別れを言えなかった人
そのときは最後だという実感もなく
いつも会ったあとに別れるようになんとなく別れてしまった
でも今でも泣きたくなるほど
私は彼が好きだった
もう一度偶然にでも会えたらと思う

でも、きっともう二度と会わない 会えない
会ったところで苦しくなるだけだろう
会ったところでどうにもならないなんてこともわかってる
彼は私があの頃彼のことをすごくすごく好きだったことをわかっていた
私があのときのような気持ちで彼の前に立てないのなら
そして、彼がもう私を受け止めることができないのなら
たぶん、私たちは関係の残骸の前で苦い思いしかできない

でも、やっぱり「最後にもう一度」だけでも
会いたいと強く思ってしまう
その人としか共有できなかった自分の中にあるその部分が
彼を求めて呼んでいるような気がする

古い傷がシクシク痛むように、今私は胸が痛い。
本当に胸って痛くなるんだ。。。って知ったのはいつだったろう。


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