そらのもよう。



友達の日記(テキスト)。

2001年12月29日(土)

ある私の友達が、ネット上に自分の日記を公開している。
そして先日。
彼女が私の元カレの日記について書いていたことがあった。
その日記(彼女の感想?)を読んだ時、私はなんだか嬉しかった。
元カレの日記は、自分のトラウマについて書いたものだった。
あの人は、それをずーっと誰にも言えないまま自分の中にしまっていた。
家族にも、親友にさえも。。。
ただ、私はそれを去年の今ごろ聞いて知っていた。
私は初め信じてなかったけれど、私が最初に話した相手だったらしい。
だからほんとに20年間以上、誰にも話したことがなかったのだ。
私はその話を知っていたからこそ、あの人がみんなの前に公表する前までの思いとか、あの文章を読んでのみんなの反応への不安とか、そういうのを考えるとすごく心が痛かった。
「なんで公表したの?
 自分で自分を苦しめないでもいいじゃん。なんで???」って。
今思うと、ある意味あの人よりも私の方が(?)みんなの反応が怖がってたんじゃないのかな?って思う。

彼女がその話を読んで言っていたこと。
それは、その話を別に特別なことだとは思わない。人にはそれぞれ、人には言いたくないことが一つくらいはある。だからそれを聞いたからってどうも思わない。
そんな感じのことが書いてあった。
私はその言葉を聞いて、とてもうれしかった。
彼女は、人との付き合いで、見えている部分だけで理解しようとはしないのだ。
上手く言葉で表現できないけど、ちゃんと人を一人の人として判断する。
そんな感じ。
私はそんな彼女の人との付き合いをするときの姿勢(?)が好きだ。

彼もあの日記をみんなに公表することで、別に同情を求めようとは思ってなかったと思う。
むしろ、これを言ったからって友達の関係が変わるとは思わないと思えたからこそ、あの日記を公表することが出来たのだろう。。。
私はそう思う。

彼女が言った「特別なこととは思わない」という言葉。
確かに読み手によっては同情した人だっていると思う。
だけど私には、彼女の言葉の意味がなんとなく理解できたし、その感想が何よりも嬉しかった。
実は、彼女が書いたテキストに数人の人から苦情(?)みたいなものがいくつか来たらしい。
だから今、そのテキストは一時取り下げになっている。

そして私が思ったこと。
ある人が他の人の日記を読む時。相手が友達の時、全然知らない人の時、相手と自分との関係で感想は変わってくるのではないか?と。
友達でも「人見知り程度」or「仲良し♪」って言うのでは、また思い(感想)が違ってくる。
ネットっていうものはとても便利だが、画面の向こう側には多くの人がいる。
ロボットじゃない、生身の人間が。
苦情の話を聞き、ネットの世界は難しいと思った。
人それぞれ、みんなに感情があるのだから。

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