2003年08月15日(金) |
ご先祖様が、臭いとおっしゃっております。<改> |
多人数いっこくどうことMADですが、どうも。
さて、先日のマシンガンズの解散ライブ、ノイジーが 「次に武道館を使うのはなんだか知らんけど、使っとる人たちがクサイと言うほどに暴れろ――! 『あのー、会場が臭いんですけど誰が使ったんですか?』 『セックスマシンガンズっていう、最高にアホなバンドがライブをしていたんですよぉ〜』 って言われるくらいアホになっていけよ―――!!」
と言っていたわけだが・・・マシンガンズの次は全国戦没者追悼式でした・・・。 ニュースで見てビックリ。 あの、会場、臭かったらすみません。 ノイジーはまさか、戦没者追悼式だと知る由も無かったと思う。 でも「そこらに飛んどるご先祖様を驚かせろ!」とか言っていたから、あながち間違いではないかもしれんね。
で、いろんな事があったなぁと思い返す。
<<↓↓全部回想↓↓>>
思えば自分がマシンガンズに会ったのは高校2年の9月くらいだった。 この話には究極のヴィジュアル系、マリスミゼルを抜きでは語れない。 高校1年の冬ごろだか、雑誌に載っていたMALICEを友達に見せられて、「この人オカマ!?」とか暴言を吐いた。 (雑誌にオルボ(曲)のドデカイポスターがついていた。) バイト先の人から曲を貸してもらって、ガクトの声の良さにドッパマり、また、曲も好みだったため自分でCDを買う。 初めてマトモに好きで買ったCDはMALICE MIZERの「ヴェルエール〜空白の瞬間の中で〜」初回版だった。 丁度始めようとしていたインターネットでマリスのサイトを巡る。
今でも忘れないんだが、初めてやったネットで改行の仕方を知らず、ファンのBBSに長々と文章を綴っていた。 最低である。ある意味大迷惑。 そこのチャットで改行を教えてもらい、(改行(ENTER)は書き込みのボタンだと思っていた) さらにコピー&ペーストの意味も教えてもらい、(右クリックは邪魔だと思っていた) 学校→バイト→ネット(チャット・ICQ)→4時ごろ寝る→7:30起床 という、お肌荒れコースをまっしぐらである。これを大体3年間ね。ヤバイ。
しかしマリスが突然、活動縮小をし、自分は行き場のない思いを抱えていて、 さらにマリスのファンサイトからも遠ざかっていたときだった。 そのサイトで特別仲良しになった人が「愛媛よね?愛媛だったらこのバンドいいよ!」と 教えてくれたのがマシンガンズだった。 「今度愛媛まで見に行くから、気が紛れる程度に一緒に行こう」と誘ってくれて、 さらに勉強用のカセットテープを送ってくれた。 自分の学校の友達のKさんと3人で行くことになったんだが (チケットは普通にぴあで取った。2000円という信じられない安値に驚く。) 突然その人が来れなくなってしまい、友達と二人で行くことに。
運命の日は1998年の11月24日だった。
学校が終ってから、着替えてチャリでサロンキティへ。 ファンが軍服とか着てて怖いのなんのって。唇とか黒いし。 初ライブはマリスだったからまだ良かったものの、これが初ライブだとイケナイトラウマになりかねない。 マリスもある程度トラウマだが(笑)。 で、サロンキティには裏に公園があって(ほとんど公園内にSKがある状態)そこにたくさんのファンが溜まる。 ライブの前にガラッと控え室の窓が開いて、「いっぱい来とる!」みたいな事を叫ばれた。 普通に「お、チャリで来たんかー」みたいな話をしているファンとメンバー。 ファンが「うっさいわい!」とか返事をしている。 それを見ながらポカーンとする友達と自分。 ありえん。メジャーデビューしときながら、ファンと普通に会話するバンドなんて見たことない(笑)。
で、初めて「ドリンク代」とやらを取られてライブを見る。 SKは一段高くなっている部分があるんだが、ヘタに前にいくよりそこのほうが見られると思い、そこにする。 自分らの前には怖かった軍服のおねいさん達が陣取っており、なんか凄い気合でビビる。 で、サロンキティは2階から下りてこないとステージに上がれないんだが、 そこが金網になっていてメンバーが下りてくるのが丸見え。 下りながら金網をガシャンガシャンやる白い服のメンバーにビビる。 そのまま"ピィ――〜〜〜デーレーレレッ「ウォ!」"になったかどうかは覚えていないが、 とにかく視界が一気に開け、ワサワサと動く髪の毛にナウシカ気分だったのは忘れもしない。 Kさんと爆笑。なんじゃこれ―――!!となる。 音に反応して体は動くんだが、ヘドバンだけはできない・・と思っていた矢先、Kさんが華麗なヘドバンをする。 何よりも普段おとなしいKさんにビビる(笑)。 客はアンチャンの友達が多数だったっぽくて、「安藤!」とか「おもしろくねーぞ!」とか罵声が飛ぶ(笑)。 アンチャンも「うっさい、うっさい。」とか恥ずかしそうに言う。 で、知っていたことと言えばボーカルは愛媛生まれだという事とドラムがサイパンだという事くらいであとは知らない自分。 そのライブで一番好きになったのはノイジーだった。 アンチャンは無条件で格好よかったから、好きとか嫌いとかもなかった。 スッシーは・・・怖かった。マジで。煽りもまだちょっと怖いキャラみたいな感じで、 どっちかっつーとノイジーが可愛いイメージだった。 ドラムはサイパンではなくシモさんだったんだが、自分はサイパンだと思い込んでいて サーイパーン!と叫ぶ。間違いすぎ。 なんか、その頃からサイパンはなんとなく好きだったみたいだ(笑)。←見たことないのに
ロクなヘドバンも出来なかったが、帰りにCDとTシャツを買うか本当に悩む。 今考えればTシャツ買うなんてありえんわけだが、←オイ その時は本当に感動して、凄くて、何かモノにしたかった。 で、CDとにはサインがついていたものの、買わずに出る。 出待ちも興味がなかった為、とっとと帰る。
翌日学校で大盛り上がり。 自分は恵まれていたのか(?)友達がクラスに数十人おり、別にヴィジュアル系を聞いているからと 虐げられることもなく、むしろ皆バンド好きだから雑誌を買いあさって、切り抜きを 無条件であげたりしていた。 だいたいマリスを知ったのが友達の雑誌だしな(笑)。 んで、本当に楽しかったと言う話をしたのを覚えている。 教壇のところに立って、皆の前で「こんなんなっとんで!」とヘドバンもした。 一気にハートを持っていかれる。
翌年マリスのGacktが脱退。 正直、すでに心はマシンガンへと動いていたため、ショックはあったがまだマシだった。 その頃から自力でHPを作るためにタグを勉強する。 マリスのKAMIさん逝去。友達Kさんとありえん程泣いた。
高校3年春にファンクラブに入る。 マシンガンズのファンページ、「EUREKA!」を開設。 FM愛●の某番組の投稿と観覧の常連になる。 毎日HN(普通だったけど)でマシンガンズをリクエスト。普及に努める。
1999年5月7日、ANCHANGとNOIZYがFM愛●へ来るとの話を聞く。 学校が終わり、集団(6人くらい)で速攻行くが人っ子ひとりいない状態。 しばらくすると数人来て、あー本当に来るんやなぁと実感。最前列を確保。 DJのYさんに「今日ってマシンガンズ来るんですか?」と聞くと、 「もうおるよー、●HN●ホント普及しとってよかったねぇ。」と笑顔で言われて泣きそうになる。 で、メンバー登場。ウワァ!みたいな声があがるものの、皆じっと席に座ってメンバーの動向を見守る。 本当おとなしいというか、穏やかというか、のんびりの愛媛県人。 来たのはANCHANGとNOISY。 「女子高生がいっぱいおりますが、どうですか」とDJが振ると、ANCHANGが 「いいですねぇ、たまらん」みたいな事を必死で言ってくれるのだが、 こんな女子高生じゃANCHANGに迷惑じゃ!!DJよ、それは言うな!と思う。 ライブがあるんスよ〜みたいな話だった。明日は広島やけど、皆来て〜みたいに言われて 友達に小突かれ、ボーっと見とれる中「いきます!いきます!」と言わされる。 CMに入った時、NOISYが「明日ほんまに来てくれるん〜?」と聞いてきて、「いきます!」と返事をすると (以降NOISY=N 自分=虎) N「あれやろ、あのむっちゃ速い船のやつ?」 虎「いえ、あの・・船なんですけど・・・」 N「速いやつで俺ら今日きたんよ〜」 虎「あの、貧乏なんで・・遅いやつで・・」 N「(爆笑)貧乏なんや!(ANCHANGに笑いながらあいつら貧乏だと説明する)(ANCHANGも爆笑)」 なんか、そんな感じでバカにされた。←おい 退場の時、勇気を出してANCHANGに握手をしてもらった。 写真いいですか?と聞いたら「ええよ」と笑顔で言ってくれたが、マネージャー(か知らんが)に 「もう帰りの時間になるので、」と引き離される。 アンチャンは「ゴメン、マジでごめんね!ありがとう!」と言いながら連れて行かれる。 帰りは女性運転手のタクシーで帰っていった。 建物の中から乗って出てくるのだが、途中でANCHANGは笑顔で手を振っていた。 ノイジーはじっと前を見詰めたまま不動。ニコリともせず。 呆然と見つめる自分と、冷静にシャッターを切る友達。←後に写真部(←聞いてない) 最後にはアカンベーをして帰っていった。 やっぱり皆バカにされていた。
1998年5月8日土曜日、二度目のマシンガンズを見るため、遅い船で(笑)友達Sっちと広島へ上陸。 しかし電車の駅で「広島」と「広」を同じモンだと勘違いし、正反対の方向へと進む。バカすぎ。 しかも広で下車、何もなくて驚き、人に「広島ってここですか」とか抜かす。 違う事に気づき、仕方がないので広で記念の貞子プリクラを取る。
60枚に一枚の貞子が出る。(予定していなかった場所に貞子が印刷されている。) 貞子が出た場合、お守りをくれるという話だったため店員に見せると、ミッフィーのぬいぐるみを貰う。 正直、先行きが不安になる。
ナミキジャンクションの前は入れない人で溢れているのだが、溜まれないため (スタッフが「どっかいってくださいー」と言っている)いろんなところに怪しい人が点在している。 ジャンクションのビルを見ようと路地を回ると、女の子の集団に呼び止められる。 高校1年生の子たち4人で、今日は見ようと来たがチケットが取れなかったとの事。 譲れるチケットもない為謝ると「私たちのぶんまで楽しんできてください!」と大量のいよかんを渡される(笑)。 その中の一個にその子たちのメッセージを入れて、想いを託される。 一人が自称アンチャン似だったのだが、本当に似ていた(笑)。
Sっちと腕章を買い、託されたいよかんをスタッフに渡し、 ついでに呪いのプリクラとお守りのミッフィーをつけた手紙をANCHANG宛に渡し、 ナミキジャンクションでライブが始まる。 ビルの4階くらいなので、底が抜ける可能性があるとか話を聞いた覚えが。 で、人ごみで散々暴れる。 11月のライブ以来なのに、振り付けだのなんだのも勉強しまくっていて楽しくて楽しくて、 変なところでジャンプとかしてもーても楽しすぎて、始終楽しかった。
ライブレポートがどっかにあるんだが、また探してみる。 アンコールで出た時に、スシがジャミラみたいにTシャツを着てきて、宇宙人みたいな喋りをしていたら 続いてサイパンも出てきて、同じようにTシャツを被り、喉を叩いて「ワレワレハ・・」とかやり始めて スシが爆笑。サイパンはウケている理由がわからないのか、普通にやりつづけていた。 この時かなー、スッシーがHANBI-la大回転で、ANCHANGに「30回(かな?)大回転しろ!出来なかったら〇〇じゃ!」←スマン忘れた とか言われて、「おう!やってやるよ!・・できるかな。」と凄い頻度でグルグル回っていた。 演奏後、ANCHANGが「回れてましたか?」とか聞いたら、ファンは数えていたのかいないのか反応が薄く それでも回れていた、という事になった。(多分回れていたと思う。)
このライブで完全にスッシーにベタ惚れ。あとサイパンにも。友達はノイジーにベタ惚れ。
自分が一番印象に残っているのは、愛媛でもなくこのライブ。たまらなかった。
で、船で帰るわけだが最後の船を乗り過ごしてしまい本当に大変なことに。 これは長くなる為略。とにかく、船長に体を迫られました。←マジで
魔の手から逃れて帰郷。しかしその日はサロンキティでライブ。 家でちょっと寝てから、SKへ向かう。 入り待ちという気分でもなかったが、居たらメンバーがやってくる。 スッシーは普通に笑顔で会釈をしていて、 ノイジーはKISSの「バカなーあいつにー♪」の所のポーズをやって入っていった。 ANCHANGとSYPANは見てない。←おい
で、ライブ。前回と同じ位置を陣取る。 スッシーがお前――!と言いながら指を指してくれた。(と思い込んでいる。)キモイファンにありがち。 で、ピックも投げてくれたが(と思い込んでいる)、指輪に当たってどっか飛ぶ。取れず。 自分が見たライブで、KISSの時に「"おバカな俺にもキスをくれ!"キーッス!キーッス!サイパンにキーッス!」とか 「キキキキキキ――ッス!!!」とかやってたのは、この時が最後だった。 ANCHANGのアンプかPAかのところに、ミッフィーを発見する。 オレンジ色の服をきたミッフィーのキーホルダーだったのだが、昨日渡したものと一緒。 あ!あれって!まさか!と思いながら、まぁそのまさかだろうなぁと遠い目をする。 (でも自分の中ではアレに決まっている。キモイファンにありがち。) あまりにも楽しくライブを終える。友達に言うと皆に羨ましがられる。 冬にツアーがあるだろうから、クラスの皆で行くか――(総勢12人)!とか言っていたら 冬のツアーは愛媛がぶっとばされていて、皆口篭もる。
1999年12月期間限定の秘密サイトを開く。 2000年始めで閲覧者1万人突破。ビビる。閉鎖。←根性なし
サイパン脱退。だが学生の為行けず。 2000年1月7日サイパンが抜けヒマワリの入った武道館ライブを見て、 サイパンのいないのに打ちひしがれ、一人タコヤキを買って男子寮で寝る。←やめろよ
2000年3月15日かなんかにFCツアーイベントがあったんだが、自分は引越しとかぶって行けず。 引越しも手につかないモンモンとした日々を過ごす。
その後、今に至る。略しすぎた。
MAD TIGER地味作品集
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